第48話 チェインバーメイドの日々の暗躍

 


 染み抜き体験を時間ピッタリに終えた一行は、最後のツアーの行き先へと向かった。


 場所は、館の一階廊下。

 片側には一面窓、もう片方には幾つかの扉がある、長い廊下だ。


 そこはオルトガン伯爵家3兄妹の私室が並んでいる場所であり、セシリアにとってはいつもの場所だった。

 しかし子供達にとっては違う。

 彼らは皆、使用人棟と比べてずっと広くて長い廊下を物珍しそうな様子できょろきょろと観察していた。



 その廊下の真ん中に、本日最後の『先生』役が待っていた。


「シンディー」

「セシリアお嬢様、ようこそ」


 セシリアの呼びかけに、シンディーと呼ばれた女性が窓を磨いていたその手を止めて振り返った。

 セシリアを目視すると、いつもと同じ優しげな微笑みで出迎えてくれる。


「ツアー参加者の皆さんもお疲れ様です。此処が最後だと聞いていますが、どうでしたか? 今日一日、有意義に過ごせましたか?」


 そんなシンディーの問いかけに、反応は様々だった。


 自信を持って頷く者。

控え目に微笑んでいる者。

飄々と笑っている者。

フンっと鼻を鳴らす者。

 

様々な子供達の顔が、そこにはある。

 しかしそのどれもが、肯定的な色を示していた。

少なくともつまらなそうだったり、嫌そうな表情をしていたりする者は、誰一人として居ない。



 その様子を感じ取って、シンディーは「どうやら各々にとって今日はそんなに悪い一日では無かった様だ」と、少し安心した様に微笑んだ。


「では此処が最後です。もう少しだけ頑張ってくださいね」


 彼女はそう言うと、足元に置いてあった籠を持ち上げる。

 中に入っているのは、彼女の仕事道具達だ。

 

 シンディーはその籠を胸の前に両手で抱えてから、姿勢を正し改めて自己紹介する。


「私は『チェインバーメイド』のシンディーと申します。私達『チェインバーメイド』の仕事は、館内の隅々まで綺麗にする事です」


彼女が抱えた仕事道具達は、その全てが掃除道具である。


彼女達は館内の至る所に出向き掃除をする事を仕事にしている。

その為、掃除道具一式は持ち歩く為にいつも籠に入れて運ぶのだ。


「この仕事にはノルマというものは基本的にありません。しかしだからといってダラダラと仕事をしていいという訳でもありません。私達が掃除をする場所は、旦那様方の生活環境か使用人達の仕事場です。その為日々少なからず、汚れます。それを旦那様方に感じさせない様に従事するのが、私達です」


 シンディーのそんな言葉に、セシリアはなるほどと納得する。


 確かにセシリアは今まで『生活していけば部屋は必ず汚れる』という事実さえ自覚なく過ごしていた。

 そこには彼女たちのそういう心掛けがあったからだったのだと、今初めてセシリアは知った。


 セシリアはその心掛けを今まで感じ取ってあげられなかった事を少なからず恥じた。

 しかし『チェインバーメイド』達にとっては、それは正しく自分達の仕事をきちんと全う出来ていたからこその成果と言えよう。


「この仕事で最も大切なのは、『どんな小さな場所・些細な事でもきっちり丁寧に作業をする』という事です。旦那様方の生活に支障が無い様に心掛けるだけではなく、常に館内を綺麗に保つ努力をし、いつ誰に見られても恥ずかしくない状態にしておく必要があります」


シンディーは、此処まで言うと一度口を噤んだ。

そして言うかどうか一瞬の逡巡の後に再度口を開く。


「……私達の仕事には、執事やレディースメイド、パーラーメイドなどの様な仕事上の華々しさはありません。寧ろ旦那様方に掃除した事実を気付かせない位いつも周りを綺麗に保つ事が私達の真価だと言えるでしょう」


それはきっと、直接旦那様の役に立ちたくて使用人になろうと思った子達にとってはマイナス評価となる部分だろう。


(しかし私達は『他のメイド達が気付かないような屋敷の隅まで綺麗にする事が出来た』という小さな達成感が得られるところに本当の楽しさがある)


人知れず暗躍したという満足感、それが彼女達の仕事のモチベーションを支える重要な物の内の1つである。

 ――それに。


 彼女は柔らかな思い出し笑いを浮かべながら、言葉を続けた。


「他の屋敷ではなかなか無い事ですが、此処の旦那様方はたまに私達のそういう『小さな仕事』にもお気付きになっていて、声かけくださります」


それは、先ほど言った『常に旦那様方に仕事をした事を気付かれない位、周りを綺麗に保つこと』とは相反する状態だ。

しかしそう心掛けた上でそれでも気付いてくれるというのは、それだけ旦那様が自分たちの仕事を見てくれているという事だし、褒めてくれればやはり嬉しいものである。


「そのお言葉は、とても励みになるのですよ」


 微笑んでそう言った後、彼女は一度言葉を止めた。

 子供達を見回して「何か質問等あればお答えしますよ」と尋ねる。

 

しかし誰からも質問の声が上がる事は無い。


 質問は無さそうなので「それではお仕事体験に」と言おうとしたが、そのギリギリで小さな声が滑り込む。


「あ、あの」

「はい、何でしょう?」


 おどおどとしながらも発言の許可を求めたのは、ノルテノだった。

 シンディーがその先を促すと、ノルテノは少しだけ躊躇する様子を見せた。

しかし両手をギュッと握り、勇気を絞り出す様にして口を開く。


「その……『旦那様方の生活に支障が無い様に心掛ける』というのは、例えば具体的にどんな仕事があるんでしょうか」

「そうですね、例えばリビングや書斎、それから各方々の私室の掃除などがあります。作業内容も、掃除の他に、布団のシーツを新しい物に入れ変えたり、花瓶の水を入れ替えたりしますね」


勿論リビングの清潔さを保つ為にはあそこを業務で使用する『パーラーメイド』達との協力が不可欠だし、替えの布団シーツは『ランドリーメイド』との連携が必要。

花瓶の水の入れ替えだって、花を育てている『庭師』や常に主人達の近くに寄り添いその時々の気持ちや状況を良く知る『執事』や『レディースメイド』とのやり取りが必要な時もある。


彼女達の仕事は屋敷内の広範囲に渡るが故に、意外と他の職種の人達との交流も多い。


「あ、あと、『チェインバーメイド』のお仕事は館内でも誰がどこを掃除するとかの分担はあるんでしょうか?」

「先ほど言った居間や書斎、私室などは主要な場所ですから、毎日掃除を行う担当者が予め決められています」


特に私室などのプライベートスペースは掃除してくれる人が決まっていた方がその部屋の主も安心するだろうし、同じ人間が担当した方が仕事の勝手も分かってやり易い。


「そこでの仕事が終わった後、またはそうした担当が無い人には、決まった仕事場というものはありません。皆、今日は屋敷の西側、明日は東側と、随時動きながら仕事をする事になります」


 シンディーがそう答えてやると、ノルテノは口の中で「それなら――」と呟いた。

 その後にどんな言葉が続くのは分からないが、彼女の表情を見る限りは、どうやら少なからず彼女の力にはなれた様である。


「他に、質問は?」


 言いながら子供達を見回すが、今度こそ質問は打ち止めの様である。

そう判断してシンディーは次の行動へと移った。


「それでは皆さんにはこれから、私のお仕事を少しだけ体験していただきましょう」


 そう言うと、持っていた掃除道具の中からとある物を取り出して、皆へと配っていく。



 配ったのは、新品の雑巾だった。

 みんなに配り終わると、彼女はこう説明し始める。


「これからみんなで廊下の床掃除をします。まずは水にこの雑巾を濡らして――」


 乾いた雑巾を、すぐ近くの床に置いてあったバケツの中にザブリと入れる。


「そして、絞る」


 言いながら、一度沈めた雑巾をバケツの上に持ち上げ、ギュッと絞って水気を切った。

 そしてそれを手早く広げ、床の上へと置く。


「そして、床を拭きます。注意点は1つだけ。拭いていない所が無い様にする為に、周りを適当に拭くのではなく、こうやって四角く拭いていく事。簡単ですが、守らなければ拭いた箇所を全て拭き直さなくてはならなくなってしまいますから、気を付けてくださいね」


実演を交えて説明された為、とても分かり易かった。

子供達がみんなして「分かった」と頷いたところで、作業開始である。


「さぁどうぞ」というシンディーの一言に促されて最初に取り掛かったのは、アヤだった。

彼女は今しがたシンディーに教えてもらった通り、まず雑巾を絞り、雑巾を広げて床に置き――。


「ストップ」


 シンディーの静止の声に、アヤは頭にクエスチョンマークを浮かべながら彼女を見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る