第47話 魔法の液体(染み抜き用)
「今日の内に片づけないといけないのは、せいぜいこれら半分くらいよ。その半分の中でも漬け置きが必要な物がまた半分くらいあるから、それらは今日はまだ干さなくていいし」
これの4分の1。
それだけでも、少なくとも子供達にとっては途方もない仕事量の様に思えた。
作業に慣れている人や作業工程を知っている人達ならそうは思わないのだろうが、そのどちらでもない彼らにとっては、布の山が断崖絶壁にも見える。
つまり、踏破出来る自信はまるで無い。
「ね?そう考えると大した量じゃないでしょ?」
「楽勝だ」と言わんばかりのモリーに、思わず「どの辺が楽勝だっ!」と突っ込みたくなったのは、ユンだ。
しかし子供達のそんな様子などには全く気が付かず、モリーは本日用意したお仕事体験用の教材を持ってくる。
それは様々な布だった。
色も形も、全く統一性の無いものばかり。
しかしただ一つ、それらに共通点がある。
それは、『シミが付いている事』だ。
「君たちには染み抜きを体験してもらおうと思うの」
「染み抜き?」
彼女の声にそう問い返したのは、アヤだった。
しかしアヤの言葉は子供達の気持ちを代弁したものでもある。
それを感じ取ったモリーは、子供達皆に向かって言葉を続ける。
「そう、染み抜きよ。染み抜きっていうのは強い汚れを落とす作業。その為にはちょっと特殊な手順が必要でね。じゃぁ試しにまず、そのまま水で洗ってこのシミを落としてみて」
「実践あるのみ」と言わんばかりに、彼女は質問者・アヤに一枚の布を渡した。
セシリアはその布に見覚えがあった。
(コックさんの服、かな?)
以前セシリアが貰ったエプロンと同じ生地で出来ている様に見えるし、使われている糸の色も同じだ。
よくよく見てみると、その服のお腹部分に、何かが飛び散った様な黒いシミが付いている。
アヤは染み付きの服を受け取ると、モリーに「使っていいよ」と言われた木桶の中にそれを入れた。
その桶の中に入っていた液体の正体が此処に来た時からずっと気になっていたのだが、モリーの先程の口ぶりからすると、どうやら普通の水だった様だ。
アヤはすぐに、例のシミを落としにかかった。
ゴシゴシと擦ってそのシミを取り除こうと奮闘するアヤ。
しかし一向にその色が薄くなる気配は無い。
「……全然取れない」
「頑固な汚れだなぁ。一体何付けたんだ?」
アヤが悔しそうに声を漏らした後ろで、ゼルゼンが彼女の手元を眺めながら言う。
すると『普通に洗ったのではシミが落ちない事』を子供達が理解したタイミングを見計らって、アヤの様子を静観していたモリーが声を掛けてくる。
「じゃぁ今度はこの液を一滴だけ、シミの部分に垂らしてみて」
彼女のそんな言葉でアヤは一度手を止めて、とあるビンをモリーから受け取った。
貰ったビンは透明で、その中にはやはり同じく透明の液体が入っている。
アヤはモリーに言われた通り、ビンの中の液体を一滴だけ、丁度シミの部分に垂らした。
すると――。
「あっ!シミが!!」
最初に声を上げたのは、メリアだった。
彼女の言葉通り、つい先程までどれだけこすっても落ちなかったシミが、その液体に触れた瞬間に水の上に浮きあがった。
他の子供達も、声こそ上げなかったものの、皆一様に不思議そうな顔でその様子を覗き込んでいる。
浮き上がったシミを見て、それからアヤはモリーに視線で確認を取った。
彼女が肯首したのを見てからアヤは手元に視線を戻し、恐る恐るといった感じで例の箇所を少し擦ってみる。
すると、あれだけ力いっぱいこすっても消えなかったシミが、今度は簡単に水へと溶け始めた。
そしてすぐに、つい先程までは確かに付いていたシミが、まるで嘘の様に跡形も無くなる。
「これが染み抜き。普通に洗っても落ちない頑固な汚れをピンポイントで落とす作業よ。これはコック服だけど、中には旦那様方が使うテーブルクロスや服の汚れ落としをすることだってある。私達はその汚れを如何に綺麗に、そしていかに生地を傷つけずに落とすかに苦心するの」
『魔法』を目の当たりにした子供達のまだ驚きから回復していない目が、モリーの声に吸い寄せられる。
そんな光景を、モリーは内心で「可愛いなぁ」などと思いながら、言葉を続けた。
「必要以上の強さで布を擦ると生地が傷みやすくなってしまうし、同じ薬剤を使っても布によっては縮んでしまったりするものもある。どの生地にはどの薬剤を使って、どの洗い方をするのが最適か。私達はこのお屋敷で誰よりもそれを知っている、スペシャリストにならなければならないのよ」
その為に、最初の内は雑用を熟しつつ、先輩達から少しずつそういう事を教えてもらうの。
彼女はそう言うと、残りの子供達にもそれぞれ染み付きの布を手渡し始めた。
そうして、染み抜きにチャレンジしてみるようにと促す。
皆と同じように染み付きの生地を受け取ったセシリアは、いそいそと体験をし始めたツアー参加者達から一度目を離し、ふと周りで働く大人達へと視線を向けた。
近くを通る人達は、皆興味津々な様子でこちらを見ている。
しかし同時に、洗濯ものに向き合っている人達は皆一様に自分の手元に集中していて、こちらを気にする様子など全く見せない。
彼らの手元に注目すると、彼らは皆一見すると簡単な事をしているだけの様に見えてしまうほどスピーディーに、洗濯物を片付けていっていた。
今皆でチャレンジしている染み抜きだって、まるで手間等何も無いかの様に手際よく終わらせていく。
――スペシャリスト。
先程モリーが言ったその言葉が、セシリアの脳内に響く。
確かに彼らの仕事は、見紛う事なきスペシャリストの手腕だ。
そしてそれは、今までツアーで回って来た人達を見ていた時と等しく被る感覚がある。
そして、思う。
(スペシャリストというのは、きっと皆そういうものなんだ)
素人には難しい事を、いとも簡単に片づけることが出来てしまう。
だからこそのスペシャリスト。
そしてそれを今までのどのツアー内でも感じることが出来た事に、セシリアは嬉しさを覚える。
この屋敷の人達は、誰もがスペシャリスト足ろうとして仕事をしている。
その勤勉さには、感嘆と感謝しかない。
そんな風に想いを巡らせていると、彼女の背中に声が掛かる。
「セシリア様、次はセシリア様の番ですよ」
振り返ればノルテノが丁度呼んでいた。
セシリアは「はーい」と言いながら、染み抜き用の布を握って皆が囲んでいる木桶の前へと向かうのだった。
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