第38話 『役に立つ』の基準
布団を敷き終えると、一行はまた『子供部屋』を出た。
向かったのは子供部屋と直続きになっている隣の部屋である。
そこはキッチンだった。
冷蔵庫とガスコンロとシンクがあるが、他の調理器具などは全て引き出しなどの中にしまっているのだろうか。
シンク周りには皿1つ、コップ1つ出ていない綺麗な状態だ。
あと部屋にあるものと言えば4人掛けのテーブル位だが、そのテーブルの上には現在見覚えのある物が積み上がっている。
つい先程まで食べていた食事に使っていた、トレイに乗せられたままの食器達だ。
それが2、3段程、積み上げられている。
「ご飯を食べた後の食器は、一度このような状態でこの部屋に置きます。少しでも早く『子供部屋』を片付けて布団を敷き、年少の子達に昼寝をさせる為です。いつもそれが終わった後に、この部屋の食器を片付け始めます」
ミランダはそこまで言うと、食器の乗ったトレイを一つ手に取った。
そしてそれをシンクの方へと持って行く。
ミランダに付いていくと、丁度シンク周りの足元には5つの木箱が置かれていた。
「使い終わった食器はこのように、食べ残しをこの中に入れてから――」
彼女は言いながら、まずスープ皿の中に食べ残っていた一欠けの人参を、シンクの三角コーナーの中に落とした。
「スープ用の深皿、サラダ用の小皿、目玉焼きとベーコンの入っていた平皿、スプーンやフォーク、そしてお盆の5つに分けて、それぞれをこの木箱の中に重ねて入れていきます」
1つ1つ言う度に食器を手に持ち、それぞれを違う木箱の中に入れていく。
そして全て終えると振り返って一言、こう注意点を説明した。
「食べ残しはどんなに小さい物やほんの少しの汁でも、きちんとシンクで落としてください。でないと木箱が汚くなってしまい、こちらも掃除しなければならなくなってしまいます」
彼女の言葉に子供達がそれぞれ頷いた。
それを確認してから、ミランダは号令を掛ける。
「それでは皆さん、作業をお願いします」
その言葉に合わせて、それぞれが動き出した。
「こんな仕事もあったなんて、私今まで全然知らなかった」
「そうだね、これって地味だけどちょっと面倒臭い」
作業をしながら口を開いたメリアに、アヤが苦笑交じりに答える。
するとグリムが不思議そうな顔をしてこう言った。
「こんなのそのまま厨房に返しちゃえば良いのに」
どうせ厨房で洗うんだから、お盆に乗ったままの状態で持って行けばいいのに。
そう言葉と続けて首を傾げる。
確かにそう言われればそうだ。
セシリアも「なぜこんな事をわざわざするのだろう」と、一緒になって首を傾げた。
しかしミランダは、「これは必要な事です」と、グリムの意見に対して首を横に振る。
「私達は使用人です。貴方方はまだ使用人ではないですが、使用人の家族である事に間違いは無く、だからこそ此処で生活する事を許されています」
だから貴方達は少なからず伯爵様の恩恵を受けている事になる。
まずはそう、子供達に説明した。
子供達は知らない事だが、住み込みである以上、そこの家賃や食事代、光熱費等についても伯爵家で持たれている。
この敷地内に住む者の中で伯爵様の恩恵に与っていない者等、子供も含めてただの一人も居ない。
「使用人とは、主人である伯爵様方の為に働く者の総称です。ですから私達の労力は本来、伯爵様方の為にだけ使われるべきなのです。なのに伯爵様は私達に色々とご配慮くださっている。その内の1つがこの『子供部屋』です」
本来貴族の家に勤める際、使用人の食事や洗濯物などは福利厚生の一環として存在する。
つまり食事は厨房で賄いが振る舞われるし、洗濯はランドリーメイドが仕事の一部として洗濯してくれる。
しかしその影響は、伯爵家で就業していない他の家族には及ばないのが普通だ。
その為そもそも使用人以外の人間は、例え家族だとしても邸内では暮らせない。
家族と一緒に暮らしたいなら屋敷外からの通いで仕事をする必要があるが、そうなるとその間子供達をどうするかが問題になる。
それを解決したのが、伯爵様の鶴の一声だった。
「通いは使用人達も大変だろうし、家に置いてきている子供の様子も気になるだろう。邸内に使用人の専用棟を建て、住み込み可能にしよう。親の仕事中は未就業の子供達を一カ所に集めて世話をすれば、様子も分かるしご飯だって厨房からの賄いを持って行けば食べる物の心配をしなくて良い。みんなも安心して仕事が出来るだろう」
そんな彼の言は、使用人達にとってはとても嬉しい申し出だった。
しかし彼らは使用人だ、主人に迷惑を掛ける可能性を手放しで受け取る訳にはいかない。
勿論この提案には筆頭執事・マルクが反対した。
「旦那様、それはなりません。『お金は領民の税金。領民の為に使う物だ』と言ってご自分達の生活でだって必要以上の出費を嫌うのに、私共の為にそのお金を使うなど」
マルクのその言葉に、当主・ワルターは「なに、問題ない」と笑う。
「お前達が仕事により集中する事が出来れば、それだけ仕事の能率が上がる。そうすれば人件費を減らす事も出来るだろう。寧ろ私のこの申し出はお前達をこき使う為の提案だ。お前達が断るのなら、仕方が無いが」
それは一種の方便だったが、同時に1つの可能性でもあった。
それを否定する事は、誰にも出来ない。
使用人達に出来るのは、彼が与えてくれた物に見合う行いをする事だけだ。
結局使用人側は主人の言に沿い、希望者は邸内の使用人棟に住むようになった。
これは使用人達にとっては間違いなく、稀に見ない好待遇だ。
「私の仕事は伯爵様の恩情によって使用人の仕事に加えられた職務です。使用人達の役には立てますが、伯爵様のお役に立つような仕事ではありません。だからこそ、この場所に関する仕事は最小限に収める。それは私の職務の一環です」
彼女はそう言うと、アヤを見遣る。
「先ほどアヤが言った通り、この作業は地味ですが意外と面倒な作業でもあります。これを私がすることによって、館で働く使用人達はほんのちょっとだけ手間が省けます。そうすれば、使用人達は助かったその分だけ主人に注力する事が出来ます」
私が伯爵様に対して出来るのは、せいぜいこのくらいなのですよ。
それは敬愛する主人の直接的な力になれない自分を悔やんでいる様な物言いだった。
そのせいか「だからせめてこのくらいの事はしなければ」と言った彼女の声には、少し悲しそうな音が含まれている。
周りの子供達は彼女の語りを、作業の手を止めて聞いていた。
『伯爵様』がどんなに凄い方で、使用人が彼にどんなに恩を感じているか。
此処に住む子供なら誰だって、親から何度も聞かされて育つ。
しかしその内容の大半は「今日の旦那様は――」や「この前旦那様が――」などの間近にあった出来事だ。
一体何が凄いのか、あまり良く分かっていなかった。
まさか自分達の毎日食べているご飯が、住んでいるこの場所が、『伯爵様』の恩情だなんて予想もしていない事だった。
知らない内にその恩恵を受けていたなんて、と子供達がカルチャーショックに見舞われるのも仕方が無い。
因みに子供達の中でただ一人だけ手は止めなかったセシリアは、その話は以前にポーラから聞きかじっていて知っていた。
だからこそセシリアは、ミランダが伝えた事実では無く彼女の心に寄り添う事が出来る。
「ミランダは子供達を預かるっていう、大切な仕事をちゃんとしてる。それによって助かる使用人がいる限り、その使用人達に助けられて生活してるわたし達は、ミランダに助けてもらってるのと同じだよ」
だから主人の役に直接立てて無いなんて、そんなつまらない事を気にする必要は無い。
そう言葉を続けたセシリアに、ミランダは驚きに目を見開いた。
しかしすぐに、泣きそうな顔で微笑む。
「……実は、以前伯爵様の前で同じような言葉を零してしまった事があるのです。すると丁度今のセシリアお嬢様と同じような事を仰られました」
「それならなおさら、気にする必要なんてないじゃない。お父さま本人がそう言うのなら、間違いなくそうなのよ」
お父さまは、そんな嘘はつかない。
そう教えてやれば、ミランダは「そうですね」と答えた。
この後、みんなで手分けして作業を終わらせ、仕分けた食器の入った箱を玄関に持っていった。
玄関に運ばれたそれらの食器は、後でコック見習いが取りに来るそうだ。
時間はあっという間に過ぎていった。
もう次の場所に行く時間だ。
因みに「この後はどんなお仕事をする予定なんですか?」とメリアが問えば、「この後は部屋の掃除をしつつ子供達を見守るわ」と答えていた。
この『見守る』には、年中の子達の文字の読み書きの練習を見たり、喧嘩の仲裁をしたり、服を汚した子供達を着替えさせたり。
本当に色々な事が含まれている。
仕事中の彼女には基本的に『休憩時間』という物は存在しないのだろう。
「……いつも居る所だから目新しい事はあまりないと思っていたけど、私達が気付かない所で色んな仕事をしていたんだなって、今日のツアーで実感しました。ミランダさん、いつもありがとう」
玄関まで皆を見送りに来ていたミランダに、メリアが一歩前に出てお礼を言った。
生真面目なメリアらしい言葉と律儀な態度だ。
彼女の言葉に、ミランダは顔を綻ばせて「どういたしまして」と答えた。
そして次に、出発しようとしているツアー参加者達へ向けてこんな言葉を掛ける。
「どんな事にも言えると思いますが、本人がきちんと見ようとしない限り、それはただの背景。例えそれが目の前で行われている事だったとしても、そこに気付きは無いでしょう。折角セシリア様に頂いた機会です。あと半日、色々な事を見聞きし、是非自分の糧にしてください」
それはほんの少しの間に成長の片鱗を見せた子供達に対する、ミランダからの激励だった。
子供達は皆それぞれ、その言葉に思う事でもあったのだろうか。
彼女の言に揃って頷いたのだった。
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