第11話 執事・マルクのお仕事観察

 


 マルクは当主の私室の前まで来ると、子供達を見回してこう言った。


「これから旦那様を起こしてまいります。見学については昨日の内に許可を得ていますが、念の為起床されたらもう一度許可を頂きますので、頂けたら入室してください。入室後は旦那様の朝に支障が無い様に、くれぐれも静かに見学する事。宜しいですね?」


 マルクの念押しの声に、子供達は皆一様に頷いた。

 その表情には一本糸がピンと張り詰めた様な緊張感がある。


 皆の顔を一度見回してから、マルクは視線をポーラへと向けた。

 そして、言う。


「ではポーラ、お願いしますね」

「承知しました」


 彼女の肯首を確認してから、マルクが当主の私室へと入っていった。


 ポーラが入り時を的確に分かる様にと、扉がほんの僅かに開かれたままになっている。

 耳を澄ませていると中の様子が少し、漏れ聞こえてきていた。


「旦那様、起床時刻でございます」


 そんな声とほぼ同時に、カーテンを引くシャッという音が空間を割く。


「……」

「おはようございます、旦那様。本日はセシリアお嬢様のツアーの日なのですが、昨夜ご相談した通りツアー参加している子供達を部屋へ入れても宜しいでしょうか」

「……あぁ、今日だったか。許可する」

「ありがとうございます」


 そんなやり取りを確認して、ポーラが視線を子供達に向ける。


(では行きますよ)


 促す様に目配せをしてから静かに部屋へと入り、一度深くお辞儀をしてから室内を進み始める。

 セシリアを初めとするツアー参加者達が、その後をちょこちょこと続いた。


「旦那様、本日の天気は晴れ、綺麗な快晴で降水確率は0%。気温も適度で過ごしやすい一日になりそうです」


 マルクはそう言いながら引いた厚手のカーテンを手早く纏めると、丁度ベッドから上半身を起こした所の主人の肩に、丁寧にカーデガンを掛ける。


「本日もいつも通りご家族の朝食は既に済み、現在キリルお坊ちゃまとマリーシアお嬢様は教師を招いてお勉強中です。セシリアお嬢様は今日1日『おしごと』ツアーの主催をなされます」


 話しながらも、マルクは動きを止めない。

 ワルターに朝刊を開いて手渡し、それから紅茶をティーポットからカップへと注ぐ。


 終始動いているというのに忙しない感じが全くしないのは、身のこなしに無駄が無いからだろうか。

 素人目にも分かる程、本当に洗練されている。


「本日の旦那様のご予定ですが、午後1時からは官吏からの直接報告、午後4時からモンテガーノ侯爵がいらっしゃることとなっております」


 マルクは適温になった紅茶をワルターに差し出した。

 視線を朝刊に落としたままそれを受け取り、結局一度も手元を見る事無くソレを口へと含む。


「モンテガーノ侯爵か……今日は気疲れしそうだ」

「心中お察ししますが、旦那様なら上手くあしらう事でしょう」

「……面倒な事には変わりない」


 愚痴を吐くワルターを上手く宥めすかしながら、マルクは紅茶を入れる道具などの乗ったカートを部屋から持って出る様に、後ろに控えるメイドに視線で促す。

 その後は主人の着替えの準備だ。


「マルク、モンテガーノ侯爵が来るのはセシリアのツアーが終わった後で間違いないな」

「はい、そのように調整いたしました」

「なら良い。子供達がアレに会おうものなら面倒事になるのは火を見るよりも明らかだ」


 ワルターはそう言いながら、最後の紅茶を呷り、飲み終わったカップを差し出してくる。

 するとその先には当たり前の様にマルクが居て、何の淀みも無く受け取った。



 次に、ワルターは見ていた新聞から目を離すとベッドから出て立ち上がった。

 その動作に合わせる様に、体の下半分のみが見えない様に衝立が置かれ、着替えが始まる。


 マルクはワルターの肩にあったカーデガンを退けると、速やかにボタンを外していった。

 主人が着ている衣類をどこかで突っかからせる事も無く全て脱がせ、着せる。


 その時間、僅か30秒程。

 ワルターの着替えはたったそれだけの時間で終わってしまった。

 するといつの間に手に持っていたのだろうか、今度は櫛でワルターの身だしなみを整えに掛かる。


 そうやって、いつものワルターが完成した。



 一連の作業を子供達は言いつけ通り、ただ黙って見ていた。

 何人もの子供が無駄の無い、流れる様なマルクの作業に驚いた様だった。

 中でも特にポニーテールの少女は顔に「凄い」という感想を張り付けて、興奮を隠せない様子でマルクを見ている。

 煌めく様な尊敬の眼差しが、ちょっと眩しい。



 部屋から出る準備が整ったワルターは、部屋から出る前に一度、見学者達に視線を向けた。


 自分の屋敷の使用人の子供達だ。

 出産時に子供達の顔は、一度見た事がある。


 それ以降は残念ながら使用人棟から滅多に外に出ない彼らと顔を合わせる機会は無かったが、それでも皆それぞれに自分の良く知る使用人達の面影を、どこかしら受け継いでいる。

 既視感の様な物は少なからず感じられた。


「皆、今日はツアーとして邸内を回ると聞いている。くれぐれも怪我はしない様にしなさい。そしてせっかくの機会だ、分からない事は聞き、余す事無く自分の糧にしなさい」


 声を掛けられた子供達は、まさか自分たちに話しかけてくれるなんて思っていなかったからだろう。

 少なからず皆驚きの表情を浮かべていた。

 中でもポニーテールの彼女は感動に涙目になりながら、下手な操り人形の様にガクガクと頷いている。


 そんな彼らの様子に微笑と肯首で答えた後、ワルターはセシリアに目を遣った。


「セシリア、此処まで大変だったろうが1か月もかけて計画したのだ、しっかりやりなさい」

「はい、お父さま!」


 ワルターの声にセシリアがいつもの調子で頷くと、口の端に笑みを浮かべて「よろしい」と返し部屋を後にした。

 仕事の為、マルクもすぐ後に続いて部屋を出て行く。




 これでマルクが仕切るお仕事見学は終了となった。



 部屋の主が居なくなった室内で、やっと緊張の解けた面々がハーッと深く息を吐く。


「『伯爵様』に初めてお会したけれど、なんというかこう、オーラ? 威厳みたいなものをひしひしと感じたわっ!!」

「まさか僕達に声を掛けてくるなんて思ってなかったから、びっくりした……」

「それよりもマルクさんの仕事が凄かったと思う、身の回りのお世話って、あんな風にするのね」

「私にはとても無理そう……」


 口々にそんな事を話していると、その部屋に別のメイドが入ってきた。

 彼女にはこれから、主人が不在の内にこの部屋を掃除するという任務がある。


「みんな、そろそろ次に行こう」


 メイドの入室を号令として、セシリアが皆に声を掛ける。

 そしていち早く部屋を出ると、その後を子供達が付いて出て行ったのだった。

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