第12話 『こんな所』じゃない
セシリア達一行が次に訪れたのは、屋敷の裏にある馬小屋だった。
木で作られた屋根と囲いで出来た、館の中と比べると実に簡素な作りの小屋である。
「うっわ、ぼっろー。この家壁が抜けてるぜ」
進行方向に目的地が小さく見えてきたと思ったら、急にそんな声が飛んできた。
言ったのは、朝にゼルゼンに噛みついていた『彼』である。
『彼』は邸内での移動中には緊張していたのか、大した逸脱行動を起こしていなかったのだが、外に出た途端に団体行動を乱す様な言動が急に増えてきた。
他の道を行こうとしたり、セシリアよりも先に行こうとしたり、今みたいに悪態を付いてみたり。
つい先程まではマルクという、良い意味で緊張感を持つ大人が近くに居たから良かった。
しかし彼が居なくなった事によって、締まっていた場の空気が一気に弛緩した。
その落差が、『彼』をこのような言動に駆り立てる一つの理由でもあるのかもしれない。
要はマルクの様にセシリアが出来れば良かったのだが、残念ながら現在のセシリアには少し荷が重いだろう。
因みにルートを外れたりする諸々の行為については、一応その度にセシリアが注意してはいるのだが、如何せん迫力が足りない。
『彼』は小馬鹿にした様に笑うばかりである。
まぁそれでも、彼はセシリアから遠く離れる事は無い。
何故か?
目的地への道が、全く分からないからである。
加えてどうやら『彼』はポーラの動向を気にしている節があり、『彼女という抑止力のお陰とそのアドバンテージのお陰でどうにか手綱を握れている』というのが、今の状態だった。
そして『彼』の言葉に乗る様に、もう一つの声が重なる。
「ホントだ、それに何か臭いしー」
『彼』の隣に居る、もう一人の少年の声だ。
この少年も、先程から『彼』の言動に度々同調していた。
今回も『彼』の言葉に共感の意を示し、大げさに鼻を押さえる動作をして見せる。
そんな2人の行動は咎めても、言葉に関しては咎める事はしなかった。
感じ方は人それぞれである。
好きな物もあれば、嫌いな物もある。
だから、人の趣味嗜好に私がとやかく言う事は出来ない。
そう思ったからこその、放置だった。
彼らの言葉をスルーしながら馬小屋に向かって歩いていくと、丁度その中から人影が一つ、外へと出てくるのが見えた。
それはすぐにこちらの存在に気が付き、ペコリと頭を下げてくる。
「セシリアお嬢様、こんな所までようこそいらっしゃいました」
男は「お世辞にも綺麗とは言えないこんな場所に」と感謝した。
しかしその言葉に、セシリアは頭に疑問符を浮かべる。
「どうして『こんな所』なの? ここもうちの為の、大切な場所じゃない」
何故そんなに卑下した様な言い方をするのか。
本気で不思議に思っている様子のセシリアに、男は少し驚いたような表情を浮かべた。
(だって此処は見た目もだけど臭いもキツイ。特に婦女子には不人気なんだ。それは長年この仕事やってれば、俺にだって分かるよ。なのに――)
彼は、別に他の使用人達からこの仕事のせいで邪険にされた事など一度も無い。
ただし彼の仕事場には、皆すすんで寄ろうとしない。
(そんな場所を、彼女は少なくとも『こんな所』呼ばわりしないのか)
彼の抱いた驚きは、すぐに喜びへと変わる。
自分で『こんな所』呼ばわりしてしまったけれど、それはあくまでも周りから見たこの場所がそう見えるだろうからだ。
自身はこの仕事も仕事場も、案外気に入っている。
それに。
(あぁ、懐かしいなぁ。……本当に懐かしい)
彼の抱いた喜びは、彼女とのやり取りの中に見つけた既視感にもあった。
忘れもしないその既視感の正体に、男は感慨深げに心中でそう呟いたのだった。
***
遠い昔、まだ自分が使用人として働き始めた頃。
此処で下働きとして仕事を学んでいた彼の元に、とある少年が訪れた。
それは、自分とは比べ物にならない上等な布で作られた衣服を身に纏った、自分よりも幾分か年下に見える少年だった。
その時が彼との初対面だったのだが、彼が誰なのかはすぐに見当が付いた。
だからこそ彼の来訪に慌てて駆け寄り、こう言ったのだ。
「ワルター様! わざわざこんな所に来られずとも御呼びいただければすぐに馬車を玄関までお回ししましたのにっ!!」
「わざわざ此処に来る労力を使っていただく必要は無かったのに」と、その時は言いたかった。
その為の言葉だったのだが、何故か彼は不思議そうに首を傾げて尋ねて来る。
「『こんな所』ではないさ。だって此処が無ければ、私達は馬車を使って遠方まで出向く事も出来ない。無いと困るのは私達なのだから、私達にとって此処は大切な場所だろう?」
その顔に浮かべられていたのは「何を当たり前な事を言わせるのか」とでも言いたげな表情だった。
どうやら彼は、こちらが本来伝えたかった部分にではなく、その口ぶりの方に意識が行ってしまったようだ。
「言葉の核心が伝わっていない」と内心で苦笑を浮かべながら、しかしその一方で自分の仕事場を他と比べて卑下してしまう癖が付いていた事に気付かされた。
仕事場の環境が環境なのだから仕方が無いけれど。
でも自分達の仕事場をそういう風に言ってくれる事は、純粋に嬉しい。
その時の彼は、まるで他の使用人達に対して抱いていた劣等感を見透かすかの様な、澄んだ瞳をしていた。
その印象的な瞳の輝きは、20数年経った今でも鮮明に覚えている。
これが、彼とオルトガン伯爵家現当主、ワルターとの最初の出会いだった。
***
そんな当時の彼と異口同音の言葉を告げられれば、驚かない筈は無い。
そして自分の仕事をこうして認めてくれた事を、嬉しく思わない筈が無い。
「ありがとうございます。そんな貴方方にだからこそ、私達も仕え甲斐があるのです」
多くの人前で話したり、人に何かを伝えたりする事は、正直得意じゃない。
けれどそんな風に言ってくれる彼女の為に、今日は頑張ろう。
彼は心中でそう、自分に向かって誓いにも似た目標を掲げた。
そして大きく息を吸い、子供達全員に対して話しかける。
「皆も来てくれてありがとう。僕はオルトガン伯爵家の御者・レノといいます。今日は御者の仕事について話した後、少し体験をしてもらおうと思っています」
まずはこんな感じで良かったか。
言った後で少しだけ不安になって、半ば無意識にレノはセシリアの反応を確認した。
するとそんな彼の視線に気が付いて、セシリアが微笑を向けてくれる。
レノは彼女の様子に少し安心した後で、それに背中を押される様に口を開いた。
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