第10話 『貴族』を知り、『セシリア』を知る
彼女は小さくても『貴族』である。
この中では唯一、その権限があることになる。
彼女の一言で自分が殺されるかもしれないと思えば、怖くない筈が無い。
そして彼女の機嫌を損ねそうな事が、つい先程あったばかりだ。
急に発生した怯えの視線に囲まれて、しかしセシリアは取り乱したりはしなかった。
彼女は目をゆっくり閉じて3秒、間を置く。
セシリアは、ずいぶん前から『不敬罪』の存在は知っていた。
それは物心ついた時に、母が早い内からセシリアに教えていた事だったのだ。
子供に教えるには少しヘビー過ぎる事情ではあるが、彼女曰く「命に関わる事だから、何かがあった後では取り返しがつかない」という事らしい。
昔から彼女のスパルタは健在だったという事だ。
しかしあの時しっかりと教えてくれていたからこそ、セシリアは4歳で此処まできちんと『貴族』の権限と向き合える。
「わたしは『極刑』って言葉が嫌いよ。だってもしも罪に問うならきちんとその証拠を確認して本当にその人が悪い事をしたっていう事を証明した上で、その罪に見合う刑に処するべきだと思っているから。それにわたしは、刑に処するよりも公正を促す方が大事だと思ってる。だから少なくとも私は、「不敬罪」なんてものを使う気は無い」
瞼を上げたセシリアは、明確に『不敬罪』を拒絶した。
そんな主人に、ポーラは思わずといった感じで苦笑を浮かべる。
「と、この様にオルトガン伯爵家の方々は皆揃って人が良い方ばかりです。その為少なくともセシリアお嬢様を含めた伯爵家の方々は『不敬罪』という言葉を、例え冗談でも使うことは無いでしょうね」
両者の言葉で、やっと周りの緊張が少し解れる。
そんな中、セミロングの髪の少女が「もしかして」と尋ねてきた。
「私達が普段使用人棟からあまり出してもらえないのは……」
「はい、『不敬罪』から貴方方を守る為です。この屋敷には他の貴族の方も時折訪れます。不敬罪は貴族本人が黒と言えばどんな場所でも適応可能です。その為、幾ら邸内が旦那様の権力の及ぶ範囲だと言っても、不敬罪適用後に対象の人間を庇う事は大変難しいのです」
告げられた言葉の合間に、質問した少女の「やっぱり」と呟く声がセシリアの鼓膜をほんの僅かに震わせる。
「各仕事場で貴族に対する最低限の礼儀を学んでいる就業済みの子達ならば未だしも、未就業の子供達はそういった事をまだ全く学んでいません。そういう子達を『不敬罪』から守る為には、他家の貴族との接触の可能性を限りなく潰す他無いのです」
その言葉に反応を示したのは、先程ゼルゼンと言い合いをしていた少年だ。
彼の反応というのは、舌打ちだった。
先程話していた時も外に出られない事に不満を抱いていた様だったし、おそらく「そんな理由で俺の自由を縛ってるのかよ」といった所だろう。
セシリアがそんな事を考えていると、ポニーテールの少女の手がまたピンと上がる。
「あのっ、私は母と同じクレアリンゼ様付きのメイドになりたいんですが、どうやったらなれますか?」
勢いよく告げられた質問の声からは「今日はそれを聞く為にツアーに参加したんだ」とでも言いそうな勢いだ。
そんな彼女の言葉に、ポーラが厳しい表情を作って言う。
「まず最初に、そんな、まるで主人を選りすぐるかの様なおこがましい事を言える立場に私達はありません。そして実際に希望したとして、もしもその希望が通らなかったらメイドを止めるなどと言う様な我儘を許すつもりもありません。レディースメイドになりたいのなら、まずはそこをはき違えない事です」
「は、はい……」
ポーラの圧に押されて、少女が怯む。
しかしポーラは諫めるだけでは終わらない。
「それを踏まえた上で『希望が必ず通る』とはとても言えませんが、希望する事自体は可能です。そして希望が叶うかは、本人の技術と奥様の采配次第です」
その声に希望の光を見い出して、俯いていた少女の視線が上がる。
するとそこにあるのは、先輩メイドからの叱咤激励で。
「希望をしたらその後貴方に出来る事は、その希望がいつ叶っても良い様にメイドとしての腕を上げておく事だけでしょう。……しかし向上心を持つ人を奥様は特に好まれる様です。頑張っていればお声が掛かることもあるでしょう」
それはポニーテール少女が、ポーラの言葉の中に自分の目標を見つけた瞬間だった。
その瞳が、やる気が満ち満ちる。
そんなやり取りが落ち着いた頃を見計らって、今度はマルクが口を開く。
「執事の仕事は、先ほどポーラが言った様な主人の身の回りのお世話の他に、仕えている相手が御当主様や次期御当主様である場合は、執務のお手伝いという仕事もあります。執務は主にこの執務室で行い、旦那様の補助として書類の仕分けや簡単な決算事項などを熟します」
続いてマルクは作業台を指差して言う。
「此処で私は作業をし、旦那様の所に見ていただく必要のある書類は旦那様の元へと運びます。助言を求められれば私の解釈をお話しもします。そして適度に休憩を取っていただく事も忘れてはならない大切な仕事の1つです」
「旦那様は止めないといつまでもお仕事をなされる方ですから」と苦笑交じりに言葉を続けたマルクが、ふと視線を上げて小さく頷いた。
セシリアが半ば反射的に視線を追ってみると、その先にあるのは掛け時計である。
「さて、私達の仕事についての話は以上です。後は仕事の体験ですが……私達のお仕事は主人に直接接する物しかありません。その為残念ながら貴方方に仕事を体験してもらう事は出来ません。しかし代わりに、私の仕事風景の一部を見学する許可を旦那様から頂いています」
マルクの言葉に数人、目を輝かせた者が居た。
全員ではないのは、緊張している者とあまりその仕事に興味を惹かれない者が居るからだろう。
「見学していただくのは朝の身支度等の風景です。もう少ししたら旦那様の起床時間になりますから、そろそろ寝室へと向かいましょう」
マルクはそこまで言うと、「それでは行きましょう」と言い、歩き始めた。
彼の背中にセシリアがすぐに続き、後ろに子供達も続く。
こうして一行は、執務室を後にしたのだった。
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