第8話 執事とレディースメイドのお仕事

 


 時刻は午前9時半。


 セシリア達は執務室の扉の前へと向かっていた。



 実はセシリア、「ツアーの一番最初に子供達に話したい事がある」とお願いされて、執事とレディースメイドの仕事場を回る順番を、ツアーの一番最初にしていたのだ。


 そしてそのお願いをしてきた本人が、この時間に執務室で待っているという事である。




 執務室の扉の前に着いたセシリアは、後ろを振り返り後に付いてきている子供達を見遣った。


 ちょっと緊張している様子の者や興味深そうに辺りをきょろきょろと見回している者、退屈そうな表情の者など。

 皆それぞれに反応は違うが、全員ついてきている。


 最後尾はゼルゼンだ。

 後ろから聞こえて来る声を聞いてみるに、どうやら道を逸れようとしている者を注意したり、立ち止まったりしている者を急かしたりと、道中は終始活躍してくれていた。


「此処は、『執務室』。お父さまが書類仕事をするお部屋なの。今はまだお父さまは居ない筈だけど、此処でお父さまの筆頭執事が待ってるわ」


 セシリアがそう教えてやると、子供達の視線が彼女に一斉に集まった。

 中には不安そうにしている者達も居る。

 そんな子達に微笑みを向けて安心させてから、執務室のドアをノックした。



 コンコンコン。


 その音に答える様に、扉はすぐに開く。


「ようこそいらっしゃいました、セシリアお嬢様」

「おはよう、マルク。今日はよろしくね」

「はい、お任せください」


 執務室の中に居たのはセシリアに綺麗な礼を取ったマルク、一人だけだった。

 彼は扉を大きく開くと、全員を中へと招いてくれる。


 そしてみんなが入ると静かに扉を閉め、執務室を物珍しそうに見回している子供達の正面へと回った。


「皆さんようこそ。私はマルク、オルトガン伯爵家御当主であるワルター様の筆頭執事をしております」


 執務机の正面側に立ち、マルクは子供達全員の顔を見回しながら発した。

 流石は筆頭執事と言うべきか、マルクの朗々たる物言いは自然と子供達の背筋を伸ばす力がある。


「御当主様の筆頭執事は、邸内の使用人たちの元締めもしております。そのため今回はセシリアお嬢様にお願いして、皆さんには一番最初にこの場所に来ていただきました」


 子供達の耳が、半ば強制的に向かされる。

 全員の姿勢が出来た事を確認したマルクは小さく頷くと「まず」と話し始めた。


「初めに、本来使用人というのは、主の為に仕事をする者達の総称です。君たちが邸内の仕事に就く場合、例えその中のどのような職を選んだとしても、その事に変わりはありません」


 彼はそう前提を置いた上で、次の言葉を続けた。


「『生きる為に仕事をする』という考え方が世の中にはあります。その考えを私は決して否定しません。しかしそれと同時に、仕事をする上で『主の為に』という気持ちを全く持たない者は此処で働く権利は無いと、私は思っています」


 それは先程までと変わらない声色で語られた。

 しかし内容は存外厳しい。


「此処で働く事は、決して貴方達にとって義務ではない。いくら親が此処で働いているからといって、必ずしも貴方方が此処で働く必要は無いのです。『主の為に』という気持ちを持てない者は、この邸内から外に出て別の仕事に就けばよろしい」


 我々平民が出来る仕事は他にも沢山あるのですから。

 マルクはそう言葉を続けた。


 それは日頃両親から『伯爵様』の良さを懇々と説明され、辟易している者達に向けた言葉だった。

 そういう者達に、「普段は見え難いだけで貴方達には生きる場所を選ぶ権利がきちんとあるのだ」と彼は皆に語り掛ける。


「中には他の仕事よりも給金が高いからという理由で使用人を選ぶ人も居るでしょう。そういう考えも、私は決して否定しません。しかしやはり『主の為に』仕事が出来ないのであれば、その人の事を『使用人』だとは、私は決して認めません」


 利を得るために仕事に就くことが悪いとは言わない。

 それでもここで使用人をすると決めたなら『主の為に』という気持ちで働けなければならない。

 それが出来ない者を自分たちの同胞だとは認めない。

 そう、強い言葉で突き放す。

 しかし次に、彼は先程の厳しい顔とは打って変わって朗らかな顔をする。


「逆に、最初の内に上手くできない事があったとしても『主の為に』と思える方なら、私達は互いを尊敬しあって『使用人』と認めるでしょう」


 仕事が出来ないからという理由で誰かを貶める事は絶対に無い。

 それは「彼はそういう事をする人間の存在も許しはしないだろう」と相手を信じさせる力を持った言葉だ。


(とてもマルクらしい)


 彼の厳しさは、仕事にそれだけ真摯に向き合っているから。

 そして今垣間見せた優しさは彼本来のものだ。

 どちらもセシリアにとっては良く知る、彼の顔だった。



 子供達の様子を見ると、それぞれ何か思う所があった様だった。


 親に使用人になる事を言い聞かされ、抑圧されてきた者。

 気持ちが無いまま、ただ漠然と「使用人になる」というレールの上を歩こうとしている者。

 使用人にはなりたいが、自分に務まるのか不安に思っている者。

 そういう者達が大半なのだから。


 逆にこの言葉を聞いても何も感じないような者は、そもそも自分の未来について考える気が無い。

 そんな相手がこのツアーに参加したところで、きっと大した成果は見込めないだろう。


 マルクにとってセシリアは主人の娘であると同時に、生まれた頃からその成長を見守って来た子でもある。

 そんな子がこの日の為に頑張ってきていた事は、マルクも良く知っていた。


 だからこそマルクだって彼女を助けたくもなる。

 表立って彼女のサポートはしてあげられないから、せめて打っても響かない相手位は排除しようとしたのだが。


(そういう者が混じっているならばつまみ出してやろうかと思ったのですが、流石にそんな者は居なかったようですね)


 マルクは自分の心配が杞憂だったと悟って少し安心した。




 そして、ここでやっと自分達の仕事の内容について言及する。


「それでは、私達が従事する仕事内容についての話をしましょう。ここでは私の務める『執事』と、そこのポーラが務める『レディースメイド』についてお話しします」


 そう言いながらポーラを見遣ると彼の視線に応えてポーラが小さく頷き、セシリアの後ろからマルクの隣へと移動した。


「それではまず、『レディースメイド』の業務内容についてお話しましょう」


 マルクがそう言って、目配せをして会話のバトンをポーラに渡す。


「私達『レディースメイド』は、主人やそのご家族に付き添い、身の回りのお世話をします。具体的な仕事の内容は御付きする方の趣向や生活スタイルなどによって多少変わりますが……」


 ポーラは此処で一度言葉を切った。

 そして少し考えてから、話を再開する。


「セシリアお嬢様に付いている私の場合は、起床・就寝時間の管理や起床後の身支度などのお手伝い。後はお嬢様が向かわれる所に共に足を運んだり、お嬢様がお望みの物を手配したり、予定がある日等はその時間をお知らせしたりします。その日1日、お嬢様が不便に思わない様に振る舞うのが私の仕事です」


 ポーラはそこまで言うと、人差し指を立てて言葉を続ける。


「この仕事では、仕える方の気持ちを推し量り、してほしい事をしてほしいタイミングで行う事が大切になります。その為、その方の一挙手一投足を見逃さない様に注意しなければなりません」


 それは、レディースメイドとして大切な事である。

 しかし同時に最も難しい事でもある。

 少なくとも一朝一夕に出来る事では無い。


「特にオルトガン伯爵家の方々は、少し突飛な行動をされる方が多いので、その辺りはどの方に付くことになったとしても気を付けなければならないでしょう」


 そう言われて、セシリアは首を傾げた。


(突飛な行動って言われるなんて、キリルお兄さまやマリーお姉さまは一体何をしたんだろう?)


 丁度そう思った、その時。

 とある子供の手が上がった。

 セシリアが転んだ時にゼルゼンの次に心配して駆け寄ってきてくれた、あのポニーテールの少女である。


「あの、質問しても良いですか?」

「良いですよ、何でしょう」


 少女の声を受けて、ポーラが質問を許可する。


「その、『突飛な行動』とは例えばどの様な事なんでしょうか」


 聞かれて、ポーラは「ふむ」と少し考える様な素振りを見せた。

 そして次の瞬間、楽しそうな表情になる。

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