第7話 出発前の一悶着
丁度ポーラが扉を閉めた頃。
セシリアの膝の治療が終わった所で、ツアー参加者達はやっと我に返ったようだった。
「だ、大丈夫ですか?セシリア様」
オロオロとしながら寄って来たのは、ポニーテールの少女だった。
セシリアの顔と膝を交互に見る瞳からは、セシリアに対する本気の心配が見て取れる。
「大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
「いいえ、そんな滅相もありませんっ!!クレアリンゼ様の御息女であられるセシリア様の事を心配するのは、私にとっては当たり前のことですので!」
お礼を言われて、彼女は一気にテンションが上がった。
笑顔のセシリアを見て「本当に大丈夫そうだ」と分かった事もあるだろうが、それ以上の熱量がそこにある事は明らかだった。
その様子に、セシリアは1人、思い当たる人物の名前が頭に浮かぶ。
昨日ゼルゼンに教えてもらった、例の『ファン』の子である。
(えーっと、確か名前は――)
あの時名簿に書かれていた名前を思い出そうとしながら、治療が終わり治療道具をポーチの中へと入れ始めた彼に、いつもの様にお礼を言う。
やはりいつもの様に「別に」という一見そっけない答えが返って来た、その時だった。
「ゼルゼン。お前普段はチビ共相手にそんなことしないくせに、当主の娘だとその態度かよ」
まるで噛みつくかの様に、少年の声が言う。
確か子供達の中で最初に玄関から出た少年だ。
「そういうのを贔屓だっていうんだよ。だっせぇー」と鼻で笑った少年に、ゼルゼンは深い息を吐いた。
「お前こそ最近何なんだよ、俺が何かする度に一々噛みついてきやがって。もしかして俺がコイツの『初めてのお友達』とかいうやつに選ばれたのが、そんなに羨ましいのか?」
「ちっ、ちげぇよ! 俺は別に『最初のお友達』に興味なんかねぇ。……俺はただ、何でお前は外に出られて俺はダメなんだって、そう思ってるだけだ! だってそんなの不公平だろっ!!」
セシリアと初めて会って以降、ゼルゼンがこんなにもイラついた声を出すのは初めてだ。
(珍しい)
等と思いながら、2人のやり取りを見守る。
すると、彼はこんな事を言い出した。
「外にさえ出られれば、そんなだっせぇ肩書なんてこっちから願い下げだ!」
ちょっと、ムッとした。
(そんな相手、こちらも願い下げだよ)
反射的に心中でそう答える。
ゼルゼンは例え素っ気なくても少し言葉が乱暴になっても、絶対に嘘でもそんな事は言わない。
そして何よりゼルゼンの事を、悪意を以って言葉で貶めようとしている。
友達がそんな風に言われていて、機嫌良くなんて居られる筈が無い。
等という思考が、ゼルゼンの大きなため息で遮られた。
「お前、ソレは本人を目の前にして『お前の友達にはならねぇけどお前を利用して外に出たい』って言っちゃってるのと同じだけど、それで本当に良いのか? コイツにそんな口利いたって親にバレたら大変だぞ?」
そう言って彼が向けた視線の先には、こちらに使用人棟の扉を閉めて、こちらへと歩いてきているメイド・ポーラの姿があった。
先程の彼は感情のままに叫ぶ様に発言していた。
おそらくこの距離ながら一言一句違えずにポーラの耳に届いている。
少年はゼルゼンの視線による誘導で、此処で初めてポーラの存在に気が付いた。
そしてその形相と視線がかち合い、ビクッと肩を震わせる。
いつもは微笑みを湛えている彼女の顔に、今笑顔は無い。
無表情だが、目が明らかな怒気を孕んでいる。
ポーラは、静かに怒っていた。
それもその筈。
さっきの彼の言葉は、間違いなくセシリアの事を舐めている物だった。
そして彼女は仕える主人が舐められて何とも思わないくらいメイドとしてアマチュアでも無ければ、人として彼女に感情を寄せていない訳でもない。
怒っているポーラを前に、少年が思った事は1つ。
当主には未だしも、親には告げ口をされるかもしれない。
抵抗の為にキッとポーラを睨み付けるが、その程度で大人が怯む筈も無い。
他の子供達も段々その事に気が付き始めたのだろう。
そして「自分も何かやらかしたら親に言いつけられる可能性がある」と思い至った様だった。
表情を硬くして、恐ろしい物を見るかのような視線をセシリアへと向けて来る。
(別に私は怖い物でも何でもないんだけど……)
お門違いな畏怖の感情が向けられた事に、セシリアは直ぐに気が付いた。
それほどまでに、周りの空気がピシリと凍ったのだ。
しかしその重い空気は、すぐさまセシリアの誤解を晴らす為の言葉によって雪解けを迎える。
「今程度の事になら、わたしは別に怒ったりしないわ。だってみんなが中々外に出る機会が無いっていう事は、わたしもよく知ってるもの」
使用人の子供達にとっては『例え邸内であったとしても、歩き回る許可を貰う事はとても難しい事なのだ』という事は、ゼルゼンから話を聞いて既に知っている。
確かに言い方は悪かったし多少は思う所もある。
けれど、そういう事実が根幹にあるからこそのあの言葉なのだと分かっていれば、仕方が無いとも思う。
だから振り返り、ポーラを見つめて言葉を続ける。
「だからポーラ。今の事だけじゃなく今日のツアーでのみんなの言動については、お父さま達には勿論、みんなのお父さま達にも言わないで」
セシリアの為に怒ってくれている彼女に、敢えてそう言う。
視線で「私の為に怒ってくれた事はとても嬉しい」ときちんと示せば、彼女は正確にそれを受け取ってくれたようだ。
少し顔の険しさが減る。
「しかしお嬢様、本来使用人とは主人を敬い助ける者です。彼らの無礼な言動を容認すれば、その図が崩れてしまいかねません」
それでも出た彼女からの反論は、「感情的な物は横に置いても貴族と使用人の主従関係を崩しかねない命令は許容できない」という意味の言葉だった。
それは日々その規律に従い真面目に働いている他の使用人達の為の言葉であり、「主人としてきちんと線引きがしなければならない」という、セシリアに対しての警告でもある。
(ポーラ、わたしはそんな考え方が出来る貴方が好きよ。私にとって必要不可欠なお目付け役だと思ってる)
それでも。
「でもねポーラ、彼らはまだ使用人ではないのよ」
結局は、周りが納得できる言い訳が付けば良いのだ。
規律を守り頑張っている他の使用人達の気持ちにきちんと筋を通せる。
貴族として使用人との間にきちんと線引きが出来る。
そういう言い訳が。
「彼らは確かに使用人の子供達だけど、まだ使用人ではない。だからわたしも、彼らの主人ではないの。主人でもないのに、今さっき初めて会ったばかりの年下の子を『敬え』なんて、そんなの傲慢だと思う」
彼らはまだ使用人では無く、只の平民でしかない。
貴族に平民が楯突く様な事を言うのは良くないし、そんな事があった場合は最悪死罪だってあり得るのが身分の差という物だという事も分かっているけれど、少なくとも私はそんなものを無駄に振りかざす人にはなりたくない。
「それに、そもそも尊敬はそうやって得る物ではないって知ってるわ」
尊敬とは行動の結果相手が抱く感情であり、誰かが無理矢理植えつけるものではない。
私はまだ周りから尊敬を受ける努力を何もしていないのだから、尊敬を向けてもらえないのが当たり前だ。
「勿論ポーラにもお仕事があるのだから、お仕事のための報告をわたしが咎める事は無い。勿論彼らが使用人になったり、そうでなくても公式の場では、彼らともきちんとする。それが『貴族』という物でしょう? 貴族として今ここで約束するわ。それで、どう?」
言いながら、しかし言葉とは裏腹にポーラが自分の言を受け入れてくれるか不安だった。
だから無意識に上目遣いでポーラに『お願い』する図になってしまっている。
しかしそれでも、セシリアは彼らと少なくとも今日だけは『主人と使用人』ではなく『同年代の対等な人間』として接したいのだと真剣に訴えた。
予想外の『お願い』にポーラの心が揺れる。
きっと彼女の行動は、『貴族』としては正しいとは言えない。
一使用人の目線から彼女を見ても、甘いと思う。
でも。
伯爵家の方々は、総じて使用人に優しい。
いつも不要な権力を振るうのを嫌がり、主人と使用人という枠が不要な場所では出来るだけ対等に接したいと思っている、そんな人達だ。
そんな彼らの事を、ポーラは『甘い』と思う。
しかし同時にその甘さが彼らの良い所なのだという事を、ポーラは知っていた。
(一体誰に似たのでしょう)
その答えは父であるワルターであり、そんな彼の心に共感している母のクレアリンゼなのだろう。
そんな血をきっと3兄妹の誰よりも色濃く受け継いでいる彼女に、危うさを覚えなくも無い。
(それでも)
そう思ってしまうのは、やはり自分も彼女に対して何だかんだで『甘い』からなのだろう。
「分かりました、セシリアお嬢様。私はお嬢様や子供達に危険が及ぶような事が無い限り、本日の彼らの言動について旦那様方や彼らの両親に何かを言う事はありません」
それはポーラからの宣誓に近い言葉だった。
いつもの優しい表情に戻った彼女から貰った、約束。
その言葉に、セシリアは満面の笑みで「ありがとう」と言葉を返した。
少しくらい粗相があったとしても、余程の事が無い限りはその行いが両親に告げ口される事は無い。
そうと分かって、子供達を包んでいた張りつめた空気がフッと緩む。
こうしてやっと、皆でツアーを行う為の土台が此処に誕生した。
セシリア達一行は幾つかの不安要素を抱えながらツアーの第一目標へと今、出発する。
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