第5話 大コケ

 

 今まで外に出た事の無い、出た事があったとしても親に手を引かれて行く事しかなかった子供達にとって、自分の意志で一歩外に踏み出すというのはそれだけで『未知』である。


 おあつらえ向きに、今日は晴天だ。

 空は青く、雲一つない。


 風が優しく頬を撫でながら通り過ぎていく。

 空に登った太陽が、少年少女達を煌々と照らす。


 初めて感じる解放感に、どの子供達も皆一様に目を輝かせた。

 そんな少年少女に嬉しくなりながら、セシリアが口を開く。


「これから『おしごと』ツアーを開催します! わたしが案内するから、みんなはわたしの後ろを付いて来ること。絶対にわたしより先に行ったり、違う道に逸れたりしないようにねっ!!」


 注意事項を告げて、出発だ。


 先陣は、勿論セシリア。

 今日のセシリアは皆の纏め役で、皆のリーダーだ。


 セシリアはその顔に声に体に、足に。

 やる気を漲らせて、広い庭の青い芝生を踏み締めた。



 景気付けに走り出して――転んだ。


 それはもう、どこかの漫画の一コマかというくらい盛大に、転んだ。

 ズベシャーッと芝生の上にうつ伏せに滑って転ぶ音が、皆の耳を等しく叩く。




 突然の事に、少年少女達も、まだ玄関を押さえたままでいたポーラも、その向こうから皆の出発を心配そうに見守っていたミランダも。

 全員が一様に固まった。


 降りてきたのは、晴天の空に似合わない静寂。

 聞こえてくるのは、どこか遠くの方で鳴く、鳥の声。



 沈黙が続く事、ゆっくり3秒間。

 皆が唖然としている中、予め耐性を獲得していたたった一人が、どうにか起動に成功した。

 ――ゼルゼンである。


 彼はとても、とても深いため息を吐いた。

 そして依然として転んだ体勢のままでいる彼女の元に歩み寄る。


「お前なぁー。だからいつも言ってんだろ、走るなって」


 何忘れてんだ。

 等と軽口を叩きながら彼女との距離を詰める。

 一行の最後尾に付けていた彼は立ち尽くす他の子供達をごぼう抜きにした後、セシリアへといつもの様に手を伸ばした。


 伸ばした手に小さな温もりが重なったので、軽く握って引っ張り上げてやる。

 そしてスカートの汚れを叩いてやりながら傷の有無を確認し、両膝を少し擦り剥いている事に気が付いた。


 すぐに腰元のポーチをゴソゴソと漁り、中から消毒液と絆創膏を取り出す。


「痛いー」


 消毒液を付けてやった所で、彼女が非難めいた声を上げた。

 しかしこれは完全に自業自得だ。

「この痛みを次に生かせ」と言ってやりたい。


「ったくお前は、折角大事な最初の掴みだったってのに、こんな何も無い所で転びやがって……」


 何事も最初が肝心だ。

 何だかんだで馬鹿じゃないし、最初で大コケはしないだろうと思っていたのだが。


(まさか物理的な大コケをかますとは予想外だった)


 ある意味では第一印象としては誰も忘れられない程のインパクトを周りに与える事が出来たかもしれないが、残念ながらそのインパクトは今後この集団のリーダーとしてふさわしい効果をもたらしたとは、とても言えない。


「最初だから、かっこよくみんなを案内しようと思って……足元ちゃんと、見てなかったの」

「見栄と注意力散漫の結果だな。それにお前の場合、例え足元をちゃんと見てたとしても走ったら転ぶんだから、足元見てようが関係ないよ」


 その証拠に今転んだ所、何も無い所だったからな。

 なんて軽口を叩きながらも、ゼルゼンはテキパキと彼女の応急処置を済ませていく。



 そんな2人の様子に一番驚いたのは、誰よりもミランダだっただろう。


 ゼルゼンは子供達の中でも十分やんちゃな部類に入る。

 大人の言う事をあまり聞かない、捻くれた子の内の一人だった。


 悪友達とところ構わずタオルを丸めて投げ合って遊ぶ様な子で。

 お願いしても小さな子供達の面倒なんて全然見ない子で。

 最低限食事の時間だけはご飯を貰う為に皆と同じテーブルに着席するけれど自分が食べ終わると周りが終わるのを待つことなく勝手に自由行動に入る、そんな子だった。



 そんな、手ばかりが掛かる子だった。

 なのに、今の彼はどうだろう。


 悪態を付きながらも、何だかんだで転んだ子に手を貸してあげる。

 それどころか実に手際良く応急処置まで済ませてしまった彼は、少なくともミランダが知っている彼では無い。


 だから、思う。


(あぁ。きっと彼女との出会いが、彼の中の『何か』を変えたのだろう)



 彼がセシリアお嬢様の『初めてのお友達』に選ばれたという事は、人づてに聞いていた。

 大丈夫だろうかと、不安になった。


(しかし彼が選ばれた事は、きっと彼にとってとても大きな幸運だったのだろう)


 仲良さげに話す二人の姿にしっかりとした友人関係を見て、ミランダは心からそう思った。


「ミランダ、では私も行きますね」


 不意に掛けられた声に、玄関の扉付近へと意識を向ける。

 そこには扉を押さえていたポーラが居て。


「えぇ、子供達をお願いしますね、ポーラ」


 そう答えれば、彼女は笑顔を以ってその願いに答えてくれた。

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