第15話 オカッパ頭との商談 -マルクの美味しい紅茶編-
午前のティータイムが終わる頃。
お茶会が行われていた居間に、キリルが姿を現した。
彼は部屋に入ると辺りを見回して、目的の人物を見つけると同時に微笑んで見せる。
「セシリー、やっぱり此処にいたんだね」
「キリルお兄様っ!! 『お勉強』は終わったの?」
「うん。ちょっと早く終わったから迎えに来たんだ」
言いながら近付いて来たキリルに、セシリアはいそいそと抱き着きに行く。
椅子からストンと降りて頭から突進してくるセシリアに、キリルは少し驚いた様だった。
しかし綺麗に受け止めると、すぐに優しい眼差しでセシリアを見下ろす。
「そろそろ応接室に行こうか。もう少ししたらモルテも来るだろうから」
言ってやると、お腹の辺りに顔を埋めていたセシリアがそのままの体勢で見上げてきてコクリと頷いてきた。
そんな彼女の頭を撫でてやりながら、次は母へと視線を向ける。
「という訳でお母様、セシリーを連れていきますね」
「えぇ。今日は例の新しい商会との契約関係の面談があると聞いています。頑張って来なさい」
「はい、お母様」
母の応援に笑顔で応じたキリルは、セシリアに一言「行こう」と声を掛けて繋ぐ為の手を差し出す。
すると彼女がぶら下がる様にその手に引っ付いて来た。
嬉しそうに、繋いだままの手をブンブンと振ってくる。
必然的に繋いでいる自分の手も揺れるが、彼女の機嫌が良さそうなのでやりたい様にやらせてやる事にした。
そうやって2人は仲良く、応接室へと向かったのだった。
来客の案内役を務めるメイドが、既に扉の前に控えて居た。
こちらに気が付くと、彼女が会釈で挨拶をしてくれる。
(あれ、もう来ているのか)
彼女が此処に控えているという事は、つまりそういう事である。
「室内では既にお客様とマリーシアお嬢様がお待ちです」
「ありがとう」
客人だけではなくマリーシアも来ている事を教えてくれたメイドに、キリルは微笑ながらお礼を言う。
(行くよ)
セシリアにアイコンタクトで伝えれば、彼女は頷きながら握っていた兄の手を放した。
キリルがドアを開けて中に入ると、まずソファーに座っていた本日の客人達が立ち上がる。
「キリル様」
「やぁモルテ。今日は先日の件の話の続きをすると聞いているが」
「はい、本日は見積もり明細と契約書をお持ちしました。また、設計内容の微調整などについても少しお時間をいただければ幸いです」
座ってくれ、と手で座席を示しながらキリルが言うと、彼らは再びソファーに座る。
キリルとセシリアも既に来ていたマリーシアの隣に座ると、「まず初めに、紹介させてください」とモルテが話を切り出してきた。
「こちらに居るのが今回の仕事で設計内容についての助言及び納品物の製作をさせていただきます、木工職人のベルナールです」
「ベルナールと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
その男の存在は、入室した当初からキリルも気になってはいた。
自己紹介を聞きながら、彼を観察する。
ベルナールと名乗ったのは、目つきが鋭い男だった。
肌の色は日焼けを知らない白だが、大柄で所々ごつごつした印象である。
少なくとも『ひ弱』や『もやし』等と言う比喩は似合わないだろう。
顔のイメージに似合わない、ピッタリ90度のお辞儀。
そんな彼に、キリルは「あぁ、君が」と小さな声で言った後、相手を安心させる様な微笑を浮かべて見せる。
「モルテに『良い職人だ』と聞いている。よろしく頼むよ」
「勿体ないお言葉です。こちらこそ、よろしくお願い致します」
緊張気味のベルナールと簡単なやり取りをしていると、モルテが持参していた書類を差し出してきた。
「こちらが見積もり明細と契約書になります。内容のご確認をお願いいたします」
渡された書類を受け取った。
枚数は前回のグランツの時と同じ2枚で、そこにはやはり多くの文言が書かれている。
それらに目を落とす直前、視線を感じて隣を見遣った。
すると視線の主・セシリアが、ニコリと笑いかけてくる。
(これは、『明細書は私が見るよ』っていう事かな)
等と考えながら明細の方を手渡すと、彼女は喜んで受け取ってくれた。
その様子を見て、前回同様に明細の確認は彼女に任せる事にする。
(――さぁ、俺は俺の仕事をしないとね)
明細に目を通し始めたセシリアを見届けてから、キリルは自分の手元に視線を落としたのだった。
対してその頃。
そんなキリルの様子を、緊張を孕んだ瞳で見つめていた人物が居た。
――モルテだ。
背筋を、それ以上ないくらいにピンと伸ばして不動のままずっとキリルを見つめる彼。
今にも心臓の音がこちらまで聞こえて来そうなくらい、緊張でガチガチになってしまっている。
マリーシアは思わず苦笑を浮かべた。
(キリルお兄様は、たった今契約書を確認し始めたばかり。まるで噛り付くかの様に見詰めた所で、結果なんてすぐには出ないというのに)
緊張している相手を見ていると、その緊張が伝染してしまう。
お陰でモルテの隣に座るベルナールにも、既に飛び火してしまっている様だ。
マリーシアにまでは飛び火してはいないものの、それでも居心地が悪い事には変わりない。
「モルテ、キリルお兄様が全て確認し終えるまでには少し時間がありそうです。その間、宜しければご一緒に紅茶でもいかがですか?」
「あ、は、はいっ、ありがとうございます」
彼女の言葉に、モルテが恐縮した様子で答えた。
マリーシアはその緊張を解してやる様に優しく微笑むと、そのままその隣に座るベルナールにも声を掛ける。
「ベルナールはいかがです? 紅茶はお嫌い?」
「いえ、ありがたくいただきます」
ベルナールは何やら先程からずっと、セシリアの事が気になる様子だ。
明細を眺める彼女の様子をじーっと観察するように見ていた彼だったが、マリーシアの声を受けて慌てて視線を移してくる。
マリーシアのそれらの声を受けたマルクの行動は、実に迅速だった。
彼はまるで彼女がそういう行動に出る事を最初から知っていたかの様に、既に温め終えていた茶器を使って手際よく紅茶を提供する為の準備を始める。
そしてすぐに、彼らの目の前へと紅茶が用意された。
最初にティーカップを手に取ったのは、マリーシアだった。
彼女が一口、紅茶を飲んだ事を確認してから、モルテもそれに倣って紅茶に口を付ける。
次の瞬間、彼の中の緊張などは全て吹っ飛ぶ。
「――おいしい」
呟かれたその声に、マリーシアが微笑む。
「この紅茶が美味しいのは、確かに茶葉のお陰でもありますが、何よりもお茶を入れる技術が高いからです」
「分かります。この茶葉は、キルトン領の物ですよね。私も何度も飲んだことはありますが、此処まで美味しく入れられた物を飲むのは初めてです」
幸せそうに目を細めて答えたモルテの声は、本当に感嘆している様だった。
そこにお世辞の色は微塵も無い。
「マルクの淹れるお茶は、どれもとても美味しいんですから」
紡がれた言葉は、マリーシアの自慢だった。
それを受けて、彼女の後ろでマルクが執事のお辞儀をして見せる。
「お褒めに預かり光栄です」
その声には気負いも無かったが、同時に驕りも無かった。
主人に褒められて嬉しそうな男が、そこには居た。
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