第16話 オカッパ頭との商談 -木工職人の疑問編-
モルテがマリーシアとの紅茶談義の中でどうにか緊張を解していた頃。
その隣では無口に紅茶を飲むベルナールが居た。
紅茶の味がよく分からないからなのか、遠慮しているからなのか、それともそれよりももっと気になるものがあるからか。
会話に参加しない彼に、マリーシアが問いかける。
「ベルナール、セシリーがどうかしましたか?」
さっきからずっと彼の視線の先に居るのがセシリアだと気が付いて、マリーシアが不思議そうに問いかけた。
するとベルナールはピクリと肩を震わせてマリーシアの方を向き直る。
「いえ、あの……」
そこには困惑の色が浮かんでいた。
(これは、「言っていいものか」と迷っている顔ですね)
彼の逡巡を一目で見抜き、言葉を重ねる事にする。
「余程常識を逸脱した物言いでもしない限り問題にしたりしませんから、思った事を言ってくださって問題無いですよ?貴方が職人である事は、私もきちんと理解していますから」
その言葉にベルナールは少なからず驚いた。
彼が今正に気にしていたのは、その部分だったからである。
彼は木工職人である。
今回は仕事の内容に『設計に関する助言』という項目があった為モルテと一緒に客前に来たが、本来は工房の中で黙々と物を作るのが彼の仕事なのだ。
客の対応は全てモルテに任せている。
その為客前で話した経験が乏しい。
その上貴族の前である。
喋ると、何か粗相をしてしまうかもしれない。
そう思って、最低限の事しか言わないと、決めて来ていたのだが。
(話を振られて答えない方が、それこそ礼節に悖るのではないか)
そう、思い直す。
マリーシアが言ってくれた「貴方が職人である事は、私もきちんと理解しています」という言葉も背中を押して、ベルナールは些かの逡巡の後、答える事を選んだ。
「いえ、その、セシリア様の様な幼子が明細などを見て、一体面白いのかと思いまして……」
そう答えた彼に、「あぁ、なるほど」とマリーシアは納得の声を上げる。
(おそらく彼は、セシリアが本当に明細の内容を吟味しているなんて、露ほども思っていないのでしょうね)
だから「面白い」等という言葉が出てくるのだ。
しかしまぁ、もしもセシリアが明細の内容を確認しているのでは無いと思ったなら、熱心にソレを眺めるセシリアは確かに不思議に映るだろう。
彼らにセシリアのこの行動の意味を理解してもらう為には、彼女の『性質』を理解してもらうのが一番早くはあるのだが。
(……うん、まぁ良いでしょう)
マリーシアは脳内で少し考えた後、自分達の情報を彼らに開示する事に決めた。
先日と今回のモルテの人柄を見て「彼とはこれから長い付き合いが出来そうだ」と、マリーシアは思っていた。
だから現時点で彼らに教えても問題ない部分を少しだけ、彼らに教えてやることにする。
「あの子はまだ4歳ですが、こう見えて私達3人の中で最も頭の回る子なのです」
そう言ってやると、ベルナールはキョトンとした。
「え? 何言ってるの?」という顔だ。
「知識の量や判断力はキリルお兄様が一番秀でていて、私は3人の中では対人に関するあれこれが最も得意ですが、それと同じ様に、あの子は発想の転換力や想像力、そして頭の回転の速さは随一です。だからこういう役割分担なのですよ」
マリーシアがそう説明してやっていた間も、彼は「何を大げさな」と思っていた様である。
商人なら未だしも、不特定多数との対人経験が少ない職人如きの考えなど、マリーシアに読めない訳は無い。
しかしマリーシアは、そんな彼に怒りの感情は抱かなかった。
何故ならば彼は「大げさだ」とは思っていても、現時点ではまだそれを馬鹿にしたり、それを理由に仕事に手を抜いてはいないのだから。
「役割分担、ですか?」
不思議そうに尋ねてきた彼に、マリーシアは頷いた。
「そう。私達3人は今回の件をお父様より任されています。言い換えればそれは、私達3人で大人一人分の働きを期待されているという事です。だから適材適所で役割分担をしているのですよ」
マリーシアの一連の言葉に顕著に反応したのは、ベルナールではなくモルテの方だった。
彼は話を感心しつつも、しっかりと頭に叩き込んでいる様に見える。
それもその筈。
何故なら、『商売に於いて情報は大きな武器』だからである。
商売相手の趣味嗜好や考え方などを知る事は、それだけでも大きなアドバンテージだ。
それが今までほぼ世に出ていない伯爵家の子供達の物であれば、猶更である。
彼は情報が商売に大切な道具だという事をよく理解している様だった。
一方、ベルナールはやはりと言うべきか、マリーシアの言葉を上手く飲み込めていなかった。
(まぁ、そうでしょうね)
「腑に落ちない」と言いたげな彼の表情に、マリーシアは独り言ちる。
4歳の子供といえば商人の娘や息子でさえ、まだ文字や数字を勉強し始めるくらいの年頃である。
職人の子供はまだ工房に入れてさえもらえないし、農民の子でさえ早い所では「そろそろ手伝いをさせてみようか」という年頃なのである。
「そんな歳の子供が、文字や数字の羅列を読めるどころか理解出来る筈など無い」というのがベルナールの中の常識だった。
そして人の常識とはそう簡単に覆す事は出来ない。
それこそ目の前で『出来るのだ』という事を見でもしない限り、信じることは出来ないだろう。
(そう、目の前で証明されなければ、ね)
マリーシアはセシリアが『結果を出す』事を、微塵も疑ってはいなかった。
だからこそ、セシリアへと僅かに疑いの籠った視線を向ける彼を、微笑を湛えて静観する事だって出来る。
丁度その頃、セシリアは明細書を見て何故か小さく唸り始めていた。
(どうした、お腹でも痛くなったか。それともついに座っているのが退屈になってしまったか)
そんな事を心の中で語りかけていたベルナールは、そのせいで次の反応に遅れてしまった。
「モルテ、この見積もりに書かれた作業日数、本当にこれで足りる?」
セシリアは、明細の1点を指しながら言った。
モルテに差し出された明細。
彼女が指差した部分を、ベルナールは一拍遅れて覗き込んだ。
そして驚愕する。
そこは丁度、ここに来る前にモルテとベルナールの2人で相談し、ギリギリで書き直された箇所だったのだ。
今回の様な商品の場合、受注から納品までを7日間として見積もるのがモルテ率いるクリアノ商会の常である。
しかしそのうちの3日間については、イレギュラーな事態があり作業が遅れるなどの、何か問題が生じた時用の予備日である。
つまり、最速で仕事が終わった場合には必要としない時間でもあった。
本来、この3日間は作業が遅れた場合に、客との間に納品日が遅れるなどのトラブルが発生しない様にする為の、事前防止策だ。
しかし、今回の受注相手はお貴族様。
これを機会に大口注文を貰える可能性だってあるし、もしもそうなればそれが商会に与える影響は非常に大きい。
作業に遅れた場合は、徹夜なり臨時で人手を増やすなりすればいい。
ある程度のリスクを抱えても、出来る事なら相手に良い印象を与え、あわよくば大口発注に。
そういう思いがあって、今回は予備日3日を削り4日間という最大限早い納品日で契約を行う事に決めたのだった。
そこをピンポイントで射抜いた彼女に、モルテはほんの僅かに顔色を変えた。
対してベルナールは、「ピンポイントでそこを突くなんて、凄い嗅覚の持ち主だな」と感心を前面に出す。
(例え大した理由もなく偶々だったとしても、その偶然は称賛に値する)
無意識に顎を擦りながら、面白い物を見る様な目になって彼女の会話に耳を傾ける。
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