第3話 羨望と、瞳の中の俺

 


 晴れの日。

 いつものティータイムが終わった、午後4時頃。


 セシリアはゼルゼンを庭へと呼び出していた。

 早々と庭の花壇を眺めながら友人の訪れを待っていると、後ろから小さな足音が近づいてきていることに気が付く。


「ゼルゼンっ!!」


 足音の主を視認すると、彼の名を呼びながら走り出す。

 そんな彼女を遠目に見て、ゼルゼンは慌てて声を荒げた。


「あ、バカ!!お前、走ったらまた……!」


 ゼルゼンの声は、しかし少し遅かった様である。

 彼の焦りに気付かないセシリアは、嬉しそうに走って、走って、走って――転んだ。



 何もない所で何故か躓く様な素振りを見せて、セシリアはズベシャーッと地面を滑って突っ伏した。

 そんな彼女に「あーぁー」と呆れた声色を出しながら近寄っていく。


「大丈夫かよ、おい」


 呆れに数滴の心配を混ぜて、彼女の顔を覗き込みながらしゃがむ。

 すると彼女のペリドットの瞳と目が合った。


「痛いー」

「そうだろうな、転んだんだから。……まったく、擦り剥いてんじゃねぇか。走っては毎回転ぶんだから、もう走るなよお前は」


 憎まれ口を叩きながら、立ち上がるのに手を貸してやる。

 そして砂埃の付いたスカートの裾を軽く叩いて、簡単に汚れを落としてやった。


 併せて傷の有無を確認してみると、膝小僧を少し擦り剥いている。


「お前ちょっとそこに座れ」


 レンガで作られた花壇の端を指差してそう指示をしたら、彼女は素直に従った。

 その内に肩から斜めに下げたポーチの中を少し漁る。


 出したのは、消毒液と絆創膏。

 腰を落として傷口を目前にすると、手早く消毒液を塗布してその上に絆創膏を貼ってやる。



 すっかり慣れた様子のその手付きは、何を隠そうセシリアのせいだ。


 何回も遊んでその場に居合わせる内に遊ぶ度に必ずどこかしらを怪我するセシリアの事を、やがてゼルゼンはただ見ていられなくなった。

 手当のやり方はポーラを見て学び、親から使用人棟にある手当の為の道具を借りて、セシリアに呼ばれた時は必ずそれらを持ち出す様になった。


 そうして結局誰に強制されるでも無くあくまでも自発的に、救護役になったのだった。


 ポーチの中には他にも包帯や湿布、ガーゼなどが入っており、それらを使った応急処置の方法も今はもう、ほぼマスターしている。



 一通りの治療が終わり、ゼルゼンは小さな声で「よし」と呟いた。

 そして痛みですっかり涙目になってしまったセシリアの目を、指で拭ってやる。


「自分で転んでおいて、泣いてんなよ」


 ため息交じりに言った言葉は、ぶっきらぼうな彼の優しさだ。


「ありがとう、ゼルゼン」


 それが分かっているセシリアは、彼に素直にお礼を言った。

 その声に、ゼルゼンはハッと我に返る。


「……別に」


 答えた声は、無意識に世話を焼いてしまっていた事への照れ隠し。

 素っ気なく答えて顔をプイッと背ける。


 それでも感謝の籠った彼女の視線が痛くて、苦し紛れに別の話題を振ってみた。


「いつもここだよな、お前と遊ぶ場所。ちょっと俺、飽きてきたかも」


 ぼやくようにそう言ったゼルゼンに、セシリアは周りをゆっくりと見回した。




 此処は伯爵邸の、貴族家の庭である。

 伯爵邸を訪れた客人、とりわけ貴族の客人が休憩がてら庭を散歩する事も良くある場所だ。

 その為、基本的に大人が見て過ごすのに見苦しくない様に作られ、整備されている。


 大人の為の庭でもあるから、ここには子供が遊ぶ為の遊具などは置かれていない。

 あるのは花壇や木や土、たまに小さい石ころくらいだ。

 それだって見つけられればすぐに撤去される。



 最初の内は使用人棟から外に出られた喜びで、全てが『楽しそうな何か』に見えていた。

 しかしそれから何カ月も経ってくると、流石に庭の風景に見慣れてしまう。


 芝生を転がり回るのも、木に登るのも、砂遊びをするのも。

 使用人棟に籠っているよりはずいぶんマシだが、楽しくて仕方が無いという程でもない。


 ゼルゼンはそんな風に思い始めていたのだった。



 しかしその退屈さは、残念ながらセシリアには理解されない。


「季節が変わると、花壇のお花が変わって、とっても綺麗よ?」

「俺は花壇も花もそんなに好きってわけじゃねぇし、そもそも季節が変わるのはもっと先だろ?」


 風景が変わるのを見るのが好きなセシリアは「花壇の花が変わっていく楽しさが此処にはあるのだ」と言うが、花にそれほど興味が無い上にアクティブな性格のゼルゼンは「そんなの待ってらんねぇよ」と答える。



 ゼルゼンは決して認めようとしないだろうが、少なくとも傍から見ると2人は仲の良い友人同士だ。

 しかしその性格は決して似通ってはいない。


 こうして考えが食い違う事も往々にしてある。



「庭は一番楽しい場所でしょう?」と言うセシリアの言葉に、納得出来ないゼルゼン。

 そんな彼の仏頂面に、セシリアは少し困ったような表情を浮かべた。


「……『ゼルゼンと遊ぶのはお庭じゃないとダメ』って言われたの。ここならノルドが居るからって」


 禁止されているからゼルゼンのお願いは叶えてあげられない。

 そう答えたセシリアに、ゼルゼンはあからさまに落胆した様な顔をした。


 そしてガバッと仰向けに、芝生へと寝転ぶ。


「いいよなぁ、お前は。『おべんきょう』とやらでこのでっかい敷地内のどこでも、自由に探険出来るんだろ?」


 彼の言葉にあったのは、羨望だ。

 ソレは今まで彼が不満のほんの端っこで外の世界に対して抱いていた、自覚していない想いの欠片だった。


 今までソレが表面化しなかったのは、不満が大きく膨れ上がっていたせいで隠れてしまっていたからというだけに過ぎない。


「俺、自分の住んでる建物と週に一度の温室と此処以外、屋敷の中はほとんど知らないんだよ。その他にはお前に会う前に一回、女の人が居る部屋に行っただけ」


 空を眺めながら、ゼルゼンはポツリと声を落とした。

 そんな彼の真似をして、セシリアも並んでコロンと寝転ぶ。


「女の人?」

「そう。金髪に紫色の目の、綺麗な女の人」

「それは多分、お母さまだわ!」


 セシリアは弾む様な声色でそう言ってゼルゼンを見た。



 そんな彼女の様子に、ゼルゼンは1人心中で安堵のため息を吐く。


『女神の様な』という形容詞を使わなくて良かった。

 そう思ったのだ。


 確かに彼女に対してそう言う風に思った事は事実だが、そんな言葉を使う自分は何だか恥ずかしい。

 それがセシリアの母親だったというのだから、猶更だ。

 もしもその言葉を使ってしまっていたら、セシリアが目をキラキラさせて喜ぶ姿が簡単に想像出来る。


 そんな事を考え辟易としながら、彼女とセシリアとの外見的接点を探す。



 芝生の若草色に映えるオレンジガーネットの髪と、好奇心の強そうなペリドットの瞳。

 パーツの色は違うけれどその整った顔立ちは確かにどこか、記憶の中の『あの人』の面影を感じる気もしなくない。


「あー、そう言えば似てなくもない……」


 ぶっきらぼうな声のまま、彼女を観察する。

 観察する事に集中していた彼は途中でふと、ある事に気が付いた。


(あ、セシリアの瞳の中に、俺が映っている)


 すぐ目の前の彼女のペリドットの瞳の中に、自分だけが映っていた。

 集中するあまり、いつの間にか距離も縮まっている。



 気付いて思わず驚くと、対してセシリアはその目にゼルゼンを映したまま嬉しそうに笑い掛けてきた。


 彼女が微笑んだのは、ただ『母に似てる』と言われて嬉しかったからである。

 他意は無い。


 しかしそんな事、ゼルゼンにとってはどうでも良い。



 この現状に、ゼルゼンは何だか突然今までにないくらいの気恥ずかしさを覚えた。

 まるで水が沸騰したかの様に、顔の温度が急激に上がる。

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