第4話 芝生ドンと楽しい(?)追いかけっこ

 


(――これは、拙い)


 何が拙いのかは分からないまま、ゼルゼンはただ本能的にそう思った。

 彼女の瞳に映る自分が、自分でも今まで一度も見た事無い様な顔になっている。


 ゼルゼンはブンッと音がするくらい大げさに、セシリアから大きく顔を逸らした。

 その反動でどうにか自身の赤面を引き剥がそうと試みたのだ。


 しかしその顔の赤さは血色の問題だ。

 当たり前だが、そんな動作1つで簡単に治るものではない。



 勢い良く顔を逸らした反動で、ゼルゼンの体が彼女から距離を取る様に一回りと半分ほど回った。

 少し乱暴に回ったので偶々骨ばんだ部分が地面にゴリっと突き刺さって痛かったが、背に腹は代えられない。



 これで一先ず大丈夫。

 そう思った矢先だ。


「ゼルゼン、耳が赤いけど、どうしたの?」


 予想以上に近くで聞こえたセシリアの声に、ゼルゼンの肩がビクンと跳ねる。


 間違いない。

 この声の近さは間違いなく、耳元で喋っている。


「どっ!どうもしねぇよっ!!」


 セシリアが居る方は、向けなかった。

 折角逃げて来たというのにわざわざ追って来た赤面の原因など、今見れる筈が無い。


「でも――」

「あー、えーっと、それでなんだったっけ」


 追及して来そうな気配を感じて、セシリアの声をどうにか遮った。


「……とりあえずちょっと離れろ」


 見ないまま彼女の肩を少し押し戻して、どうにか物理的な距離をとる。

 そして彼女の気を逸らす為と自分の気を紛らわせる為を兼ねて、代わりになりそうな話を脳内で探す。


 しかし混乱した頭で話題を出そうにも、そう簡単に新しい話題は中々出てこない。

 出てくるのは直前の話題、ただ一つである。


 それも記憶の中から絞り出す様にして、やっとどこまで話をしたのかを思い出した。


「あぁそうだ。『此処以外の場所にはあんまり行った事が無い』って話だよ」


 耳の奥がドクドクと煩い。

 でもきっと気のせいだ。

 そう思わなければ意識してしまって赤面がなかなか治らない事くらい、感覚で分かる。


 だからそんな音は全然聞こえていない事にして、会話に集中する。




 気を取り直す為にと一度、深いため息を吐いた。

 新しい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、再び仰向けになる。


 両手を芝生の上に放り出して、ゆっくり数拍。

 その後でやっと、彼は再び口を開いた。


「俺もお前みたいに、敷地内のツアーとか出来ればいいのになぁ。……まぁ無理か。きっと俺はあの雲みたいに、風に流されるままにただ漠然と生活していく運命なんだろうけど」


 希望を口にして、しかしそれは自分には実現不可能だとすぐに分かった。

 だから彼は早々に、諦めの言葉を空に向かって吐く。


 丁度視線の先にあった雲を見て悲観的になった思考が勝手に、何だかとてもセンチメンタルな言葉を紡ぎ出した。


「漠然と?ゼルゼンはノルドの後を継いで、庭師になるんじゃないの?」


 父という目標があるのならば、それは『漠然』とは言わないのではないか。

 そんな言葉に、ゼルゼンはため息交じりに言葉を返す。


「庭師はお父さんが好きでしている仕事であって、別に俺が好きな仕事って訳じゃねぇし。『子供は親の仕事を継ぐ』っていうのが普通だけど、自分がしたいわけじゃない事を自分の仕事にするっていう時点で、それはもうお父さんや周りに流されてるって事だろ?」


 そういうのを『漠然』って言うんだよ。

 そんな風に答えれば、セシリアは少し考える素振りを見せた後で今度はこう尋ねてきた。


「じゃぁゼルゼンは、何になりたいの?」

「さぁな。どんな仕事があるのかも分かんねぇのに、そんな事分かるかよ」

「そう……」


 この問答に一体何の意味があるのか。

 どうせこんな会話をした所で何かが変わるわけでは無いのに。

 そう思えばこそ、言葉は半ば投げやりになる。


 そんな言葉に、セシリアはまた少し何かを考え始めた。

 そして次の瞬間、何か良い事でも思い付いたかの様な晴れやかな表情を浮かべる。



 寝転んでいた体勢から突然勢い良く上半身だけを起き上がらせたセシリアは、ゼルゼンの方に向かって腰を捻り、その反動のまま、まるで彼の体を挟む様にして両手を芝生の上にパンッと突く。

 そして。


「わかった!ゼルゼン、わたし頑張ってみる!!」


 元気良くそう言うと、セシリアはやる気満々の表情で笑ったのだった。




 対するゼルゼンはというと、意味不明な現状に思わず固まっていた。



 つい今しがた、ゼルゼンは空を見て話していた。

 それなのにソレが突然、何かに遮られた。

 何に遮られたのかというと、それは横から現れた『何か』であり、その『何か』の正体はというと、セシリアの顔だった。


 強気に笑う眼前の彼女に、ゼルゼンはただただ大きく目を見張る。




 オレンジガーネットの髪が、太陽の光に梳かされて煌めく。


 視界一杯に見えるのは青い空では無く、いつになく強気に、楽しそうに笑う女の子で。


 好奇心が揺らめくペリドットの瞳が、ゼルゼンだけを見て、離さない。




 そんな珍事に、ゼルゼンの中からよく分からない感情が、また吹き出し始めた。

 せっかく引いた顔の熱が、再び集合し始めるのを感じる。



 きっと、近いのがいけない。

 そう思って彼女の瞳から逃れようと身じろぎするが、此処で両肩のすぐ外側が彼女の両手によって占領されている事に気が付いた。


 その為、身じろぐ事さえ難しい。



 そう。


 彼女は見事な床ドン――ならぬ、芝生ドンを見事にお見舞いしていたのだ。




(早く逃げないと)


 本能が、けたたましい音を立てて警鐘を鳴らす。



 まだ体重だって軽い、たった4歳の女の子だ。

 抜け出そうと思えば無理矢理にだって抜け出す事が出来る。


 しかし今はきっと、力加減は出来ない。

 結果、必要以上に過剰な力に突き飛ばされて転がって、何らかの怪我をする彼女の未来が脳裏をよぎる。

 そうなれば、本能を理性が「やめろ」と静止する。




 結局彼は彼女の排除ではなく、自分が彼女から逃れる道を選択した。


 その為には少しの間、自分の羞恥と赤面という代償が必要になる。

 しかしその方法でしか現状を打開出来ないのだから、仕方が無い。



 ゼルゼンは体を仰向けからうつ伏せに、クルリと反転させた。

 そして匍匐ほふく前進の要領で、自身の体をズリズリと引き摺りながら彼女の両手の間から自分の体を抜く。


 そうやって、どうにか彼女の作った包囲網から抜け出す事に成功した。




 立ち上がった後で、彼は一度大きく息を吸い、吸ったものを纏めて吐き出すかの様にこう叫ぶ。


「おっまえ、近いんだよっ!!」


 ゼルゼンの大声は、ゼルゼンにとっては当たり前の対応だったが、セシリアにとっては晴天の霹靂の様な行動だった。

 彼の心中なんて全く知らないセシリアからすると、『何故か急に匍匐前進して遊び始めたかと思えば、すぐに立ち上がって叫んだ』という風にしか見えないのだ。


 だからこそセシリアは彼の声に、驚きにただ肩を震わせた。

 その数秒後に、やっと彼の叫んだ言葉の意味を理解する。


 そして思う。

 ――心外だ、と。



 セシリアは彼の言動を『自分が彼に近寄る事を嫌がった』結果だと受け取った。

 しかしその理由に思い当たる所は無い。


 そこにある理由には思い当たらずに、ただ『近寄る事を拒否された』という事にだけ気付いてしまったのだから、大変だ。



『初めての友達』に近寄る事を拒まれて、その不服さにセシリアはぷぅっと頬を膨らませる。


「なんで逃げるの?!」

「べ、別に逃げてねぇよっ!っていうか、寄るな!!」

「逃げてるもん!!わたしはゼルゼンと仲良くしたいのに!」


 異議を申し立てながら近寄れば、何故かまた拒否された。


 そんな事実にまたちょっと不機嫌になりながらゼルゼンを追いかければ、「勘弁してくれ」と彼は逃げる。



 片や、どうにかして『何故か』跳ね上がる心臓を少しでも落ち着かせる時間を稼ぎたい、ゼルゼン。

 片や、友人からの拒否にご立腹で、どうにかして相手を捕まえてやろうと意地になるセシリア。


 こうして、二人の追いかけっこが始まった。



 追いかけっこを始めて。

 逃げて、追いかけて。

 逃げて、追いかけて。

 逃げて、追いかけて――やはりセシリアが転んだ。


 そしてそれでも立ち上がって『捕まえる事』を諦めなかったセシリアに、ゼルゼンが折れる。



「仕方が無いな」と伸ばされた手を、セシリアが取る。

 そうして彼を捕まえて、それでも「また彼が逃げるかも」と警戒して。


 結局この日のセシリアは別れる直前まで一度も、ゼルゼンを掴んだ手を離さなかった。


 少し暑苦しかったが、セシリアが涙目で威嚇するネコの様に唸るのでどうしようもない。

 いつの間にか心臓の鼓動も落ち着いていたので、その日は一日「仕方が無い」と納得する事にした。




 因みに、逃げるのに必死で怒涛の展開のせいで彼女の宣誓の如き言葉の内容は、残念ながらゼルゼンの頭には残っていない。


 彼女が言ったその時の言葉。

 意味が分かるのは、そして「何故あの時、もう少しきちんと話を聞いておかなかったのか」と後悔するのは、もう少し先のお話である。

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