第16話 『おべんきょう』ツアー -執務室、疑問編-

 


 と、此処でふいにセシリアとマルクの目が合った。

 マルクはニコリと微笑みを浮かべると、セシリアの方に向かって歩いてくる。


「セシリアお嬢様、旦那様のお仕事の様子はいかがですか?」


(何もしている様子は無さそうですし、もしかして退屈されているのではないだろうか)

そう思って尋ねると、意外な反応が返って来た。

セシリアは楽しそうに笑ったのだ。


「お父さまのお仕事見るのは初めてだったから、『こういうお仕事してるんだな』って思って見てたの。大変そうだなって思ったよ」

「セシリアお嬢様は、旦那様とマルクさんのお仕事風景をとても熱心にご覧になっていました。話し相手をする必要が無いくらい集中してご覧になっておりましたので、私が口を挟む暇はありませんでした」


 懸念をピンポイントで貫いたかの様なポーラの言葉に、マルクはホッとする。


「そうですか。それはようございました。旦那様のお話されていた内容は少し難しいものでしたから、お嬢様が退屈されたのではと思って少し心配したのです」


「杞憂でしたね」とマルクが笑うと、セシリアがコクリと頷いて見せる。


「お嬢様、もしも旦那様やこの部屋、旦那様のお仕事等について、疑問などがありましたら今お答えしますよ」

「……いいの?お父さまの邪魔になっちゃわない?」

「旦那様も集中なさっているようですし、この程度の声量ならば問題無いでしょう」


 マルクはチラリと主人の方を確認してからセシリアにそう答えてやった。

 するといくらか逡巡した後で、「なら……」とセシリアが言葉を続ける。


「マルクはお父さまとお話していたとき、一度部屋からいなくなったでしょ?どこに行ってたの?」

「資料室です。決裁や確認が終わった書類は此処ではなく、一つ空けて隣の部屋に保管するのです。大体決裁から約一か月で書類はそちらの部屋へと移動させます」


 マルクのその声に、セシリアは思わず小首を傾げた。

 そしていつもクレアリンゼに対してそうする様に、分からない単語についてマルクに尋ねてみる事にする。


「『決裁』って、なに?」

「書類の内容を読んで問題の有無を確認し、サインをする事です。『此処に集まる報告や申請が領内の決まり事に沿う内容かどうかを確認し、決裁をする事』が、旦那様のお仕事の一つなんですよ」


 マルクの丁寧な質問に、セシリアは「なるほど」と納得の声を上げた。

 そして今度は別の質問を投げかける。


「資料室に取りに行くことは、よくあるの?」

「1週間に1,2回といったところでしょうか」

「そうなの……2人とも大変ね」


 そんなに頻繁に、お父様との話を中断して書類を取りに行かないといけないのね。

 そう感想を漏らしてから、セシリアは何やらすぐに「うーん……」と考え込み始めた。


 そしてゆっくり3秒程考えてから、再び口を開く。


「この部屋の壁には、いっぱい本があるのね。なんの本があるの?」

「様々な物です。領内外の気候や過去の災害の資料、領内の区長を始めとした伯爵家が直接雇用している労働者達の情報等、その他にも沢山ありますよ。まぁ、旦那様はもう殆ど全てが頭の中に入っていますので、実際に本を開いてお調べになるのは1年に1回あれば良い方ではありますが」


 苦笑交じりにそう言ったマルクに、セシリアはきょとんとした表情を浮かべた。


(また何か難しい、理解できない言い方をしてしまっただろうか)


今回は自覚が無かっただけにマルクもちょっと不安になる。

しかし次の瞬間、驚いたのはマルクの方だった。


「なんで、よく使うものを別の部屋に置いて、あまり使わないものを、この部屋に置くの?」


 素朴な疑問を提供する声色で、セシリアが尋ねた。

 ペリドットの丸い瞳が理知的な色を灯して、マルクを見つめる。




 指摘されたソレは、2人共が『当たり前だと思って甘受していた不便』だった。


 1か月を過ぎた書類は資料室に置き、執務室には執務に使用する分厚い本達を置く。

 そういうものだと思っていた。


 しかしそれを「よく使う物を別の部屋に置いて、あまり使わない物をこの部屋に置いている」と言葉を変えて指摘されると、急に違和感を覚え始めるのだから不思議である。




 凝り固まってしまっていた固定観念。

 ソレを的確に指摘されてしまった。


 しかもまだ4歳の、今日初めて執務風景を見たばかりの子供に。



 その驚きは、感嘆とも、悔しさとも違った。

何だか上手く言葉に言い表せない感情が、マルクの胸中を埋め尽くす。



 そんな中、ポーラはハッとして部屋の時計を確認する。

時刻は3時7分。

毎日恒例のティータイムの時間を既に7分も過ぎている。


「――申し訳ございません、セシリアお嬢様。ティータイムがもう始まってしまっています」


 告げられた言葉は焦りの為か、いつもより少しだけ早口だった。




 開始には遅れたが、途中参加にはまだ十分に間に合う時間だ。

 言外に「あちらに顔を出しますか?」と問われて、セシリアは自ら椅子を降りる事で参加の意を示す。


「マルク、お父さま。執務室を見せてくれてありがとうございました。また来ても良いですか?」


 足早に部屋を出ようとする直前、セシリアは振り返って尋ねる。

 するとつい今まで資料に集中していたワルターがその声に気付いて一旦執務の手を止めた。


「――あぁ、いつでも来なさい」

「ありがとう、お父さま!」


 父から貰った了承に嬉しそうに微笑んでから、セシリアはいそいそと部屋を後にしていった。




 2人になった室内で、ワルターは不意に、まるで目から鱗でも落ちたかのような表情のマルクに気が付いた。


「……? どうした、マルク」

「いえ。ただ、『何故今まで気が付かなかったのだろうか』と」


「一体何の事だ」と首を傾げたワルターだが、その疑問が声になる前にマルクの方が先に口を開く。


「壁際にある本と、資料室の書類。この2つの置き場所を入れ替えたいのですが、作業をしても宜しいでしょうか?」

「別に構わないぞ。どうせこれらは使っていないしな。正直それらは置物も同然だ」


 言いながら『それら』と壁に埋まっている本達を指す。


 するとマルクは「では執務に影響が無い程度に今後順次、入れ替えさせていただきますね」と答えたのだった



***


 実はこの時。

セシリアにはもう一つ、この部屋に関する改善案を持っていた。

しかしこの時は敢えて、それを口に出す事はしなかった。


 セシリアの中で芽吹いたソレは、まだただの『種』だった。

 それが芽吹くのは、もう少し先の話である。

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