第15話 『おべんきょう』ツアー -執務室、観察編-

 


 仕事に戻った父を確認すると、セシリアはまず、室内を見回した。




 普段セシリアは、良く掃除の行き届いた場所で生活している。

 それは周りの使用人達が適宜片付けたり、必要な物のみを準備してくれたりしているからである。


 それは、此処だって同じだった。

 床や今座っている机や椅子などは皆きちんと掃除がされていて綺麗なのがその証拠。


 しかし、父の執務机の上と、その前。

 マルクが使っている作業台の上だけが、書類達の山によって乱雑になっていた。



 理由は簡単。

机の上に煩雑に置かれた紙の量が、とても多いのだ。


(せっかく本棚がすぐそこにあるのに、何故片付けてしまわないのだろう)


 目の前の光景に対する第一印象は、それだった。




 次に、作業台の所に居るマルクを眺めてみる。


 彼は常に忙しなく動き何かしらの作業をしているのだが、現在は正にその上に積み上がっている紙束達と格闘中の様だった。


 自分の前にある山から一房の紙束を手に取り、ペラペラと捲る。

内容に目を通した後で何か書き込む素振りを見せてから、ソレを自分の左へと置いた。

 そうしてまた一房紙を取り、目を通し、今度はソレを右へと振り分ける。



 そうやって大きな一山を右へ左へと仕分ける作業を行っていく。

そしてある程度振り分けた方の山が溜まると、マルクはまず右側に仕分けた紙の山へと触れた。


 トントントントン、トントントントン、トントントントン

 何度も紙の側面を机に充てることで、ズレている紙の端を揃えていく。


 そうして揃えられた紙は、ワルターの執務机まで持って行く。


正面からグルッと回り、彼の後ろに回り込むと彼は主人にこう、声を掛けた。


「ワルター様、お願いします」

「あぁ」


 そんな短いやり取りで、2人は互いに何を求めているのかを理解したようだった。


 これは、何も2人が阿吽の呼吸だからというだけでは無い。

 きっとこのやり取りが既に日常化しているからこそなのだろう。



執務机には、ワルターから見て右に3つ、左に1つ、それぞれに紙束が積み上げられている。

 ワルターの元に紙束を持って行ったマルクは、右側一番奥の紙束を持ち上げた。

 そして今持って来た束をその場所に置いてから、元々置いてあったソレをその上へと戻す。


 ついでにワルターの左側に積んであった紙束を回収し、返ってくる。



 作業台に戻ってくると、ワルターから貰った資料を一旦作業台の邪魔にならない端の方に置いた。

そしてまた先程の作業の続きに戻る。



 先程仕分けた紙束をまた1つを持ち上げて、紙を揃える。


 トントントントン、トントントントン、トントントントン

 揃えた紙を主人の所に同じようにして持っていき、そして今度は右側真ん中の紙束の所に、先ほどと同じ要領で持って行ったソレを積んだ。


「こちらもお願いします。――コドリン地区の収支報告書が来ていました」

「やっとか」


 ワルターが、ため息交じりに答えた。

 マルクも「その気持ち、よく分かります」と言わんばかりに苦笑する。


「ところでマルク、この資料なんだが」

「はい、グンノ地区の嘆願書の件ですよね。私もそれはどうにかすべきだと思っておりました」

「あぁ。区長はおそらく以前からこの兆候には気付いていたのだろう。しかし自分たちでどうにかできると思ったか、何かしらの手段で隠ぺいしようとでもしていたのか。どちらにしても引き際を見誤り、どうしようもなくなった。それでこちらに投げたのだろうな。でなければ、この資料の様に此処まで細かいデータを9カ月も前から集める等という芸当は出来ない」


 ワルターは唸る様にそう言った。


 紙に書かれているのは、回りくどく書かれた事の経緯とグラフ化された数値データである。

 グラフは右肩下がりになっており、事が不調である旨を顕著に示していた。


「……この区長の職務怠慢についてはとりあえず置いておいて、今は早急にこれの解決案を出すのが先決だ」

「そうでございますね。しかし区長はともかく、専属契約持ちの商人達は補償を申請しなかったのでしょうか?」

「1か月程前にこの地区で補償金申請があったと思うが……その時の資料を出せるか」

「はい、すぐに探して参ります」


 マルクはそう言い置くと、一度部屋を退出した。

 部屋に一人残されたワルターは今まで手にしていた書類から一旦視線を外し、その代わり右側に積み上がった紙から一枚、その手に取る。


 目を通し、ペンを走らせたら左側に避けて、また右の山から一枚取る。


 それを数回繰り返した所で、やっとマルクが部屋に戻ってきた。



 マルクは丁度作業が途切れる所を見計らって、後ろから「旦那様」と声をかける。


「ありました。こちらがその件に関係する申請書です」


 マルクが言いながら紙を渡すとワルターはそれを確認し、スッと目を細めた。


「……これは、事に対する申請金額が大幅に少なくないか?」

「私もそのようにお見受けします。しかしこの様な報告が上がる前であれば、申請金額は適正です。おそらく当時もそう判断して処理したのだと思われます」

「つまり問題なく事が推移していればこの程度の申請金額で十分だった、という訳だな?」

「そうなります。この事業は最初の1年は赤字の想定で、赤字分の補償金の金額も、必要経費としてきちんと本年度の予算編成時に計上されています。今までは届いていた補償申請の金額は予算範囲内だった為、こちらでは気付けなかったものと思われます」


 マルクが淡々と状況分析し、事の経緯を言語化する。

 そして、現状の問題点をピシリと指摘してみせた。


「ただし実際は今回のこの嘆願書の通りだった。となると、予算計上した金額では全く足りません」

「……これは区長と商人が何かしら結託しているという線が濃厚か」


 ワルターは呆れ交じりの声で「まったく」と言いながら、眉間を親指と人指し指で摘まむようにして揉む。


「この嘆願書の主旨は『更なる補償金申請の受理』だ。だがコレには金が必要な現状が書かれているだけで、そうなった原因が何一つ書かれていない。その原因と対策、それからその対策を取った場合、今後どれだけの回復が見込めるのか。それを書き加えて再提出して来んと更なる補償金は出せん。そう、通達しておけ」

「承知しました」


 ワルターは嘆願書を渡しながらそう言うと、また自分の作業へと戻っていった。

 一方作業台に持って帰ってきたマルクは、自分のノートを一枚千切るとその切れ端に何かをメモし、嘆願書と一緒にクリップで止めてから自身の右側へと避ける。

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