機械天使と空の蒼
譜楽士
廃墟の中で出会うモノ
廃墟だ。
その中を、旅人は歩いていた。黒い上着に、黒のパンツ。黒髪に黒い瞳と全身黒づくめの青年だ。
周囲はただの崩壊した建物ばかりで、動くものはない。繊細な彫刻を施された瓦礫の山。かつては馬車が行き交ったろう石畳。苔むしたそれらは、古代の匂いを感じさせた。
滅び、放置されて何百年と経っているのだろう。吹き抜けるのは荒涼とした風ばかりで、かつて夕餉のために使われていたであろう煉瓦造りの釜が、崩れた壁からその風を浴びていた。
何もかもが終わっている廃都で、ただ空だけが蒼く、どこまでも続いている。
「……」
青年は黙って歩みを進める。このような場所に何の用があるのか――問いかける者は、誰もいない。
◇◆◇
都の中心に向かうにつれて、大きな建物が多くなってきた。
そして、崩壊の度合いもまた色濃い。高温に灼かれて黒ずんだ石壁や、溶けて曲がった鉄の枠組み。硝子は全て砕け、粉になって地面に落ちている。
分かれ道に来た。
青年は一度立ち止まり、ぴくりと反応してすぐに右へ曲がった。そんなことを繰り返すうちに、やがて一つの建物の前にたどり着く。
そこは、教会だった。
正確には、教会だった建物だ。大きさは百人やそこらは入れるほどだろう。今は周囲と同じように黒ずみ、燃え崩れていて――吹き飛んだ大きな正面扉は、教会の中に転がっていた。
天井が崩落していて、内部には陽の光が差し込んでいる。だからこそよく見えた。
祭壇の上に立ち、崩れた天井から空を見上げる――真白い、少女の姿が。
「よお――俺を呼んだのは、あんたかい」
青年が少女に声を掛ける。
こちらを向いた少女の目だけが――ただ空を映したかのように、蒼かった。
「≪古きもの≫か……」
少女は青年を見て呟いた。青年は教会の内部に躊躇いもなく這入った。少女に歩み寄りながら言う。
「がっかりか? どちらにしても目的は果たされるだろう。
生でも死でも――どっちでも好きなほうを選びな」
何でもないことのように、青年は告げる。喉が渇いたなら水を飲むかと訊くような自然さで、青年は少女に生か死かの二択を突きつけた。
「必要ない」
青年が足を止めた。近付いたおかげで、少女の姿がより鮮明に見える。
真っ白なはずの少女の肌のあちこちに、不釣合いな金属の破片が埋め込まれている。瓦礫が刺さったということでは決してなく、何かしらの理論に基づいて意図的に、それらは配置されていた。
横を向いていた為見えていなかった左腕には、捩くれて寄り集まった金属が円形となって、肘の部分から飛び出している。
金属円の中央部分には宝玉が埋め込まれており――微かな光を帯びたそれは、禍々しい金属たちに囲まれてもなお穢れを知らぬように、そこに在った。
「そのうち私の機能は停止する。特別手を煩わせることもない」
「≪機械天使≫か」
かつて天上より降り立った天使が、ヒトの手による改造を受けて、堕ちた姿。
尋常でない速度で空を翔ることができるようになったのと引き換えに――その翼はもう、天空に戻ることを許されない。
その機能を停止してもなお、許されざる魂。寄る辺無き翼。そんな存在が今、青年の前にいた。
「では……何が望みだ? 悪いがその呪いは解くのに時間がかかる。たぶんお前が機能を停止するほうが早い」
少女はゆるゆると首を振った。穏やかなその表情は、殉教者のそれだ。
「彼らは愚かではあったが愛しい者達だったよ――この翼まで棄てる気は、私には毛頭ない」
「博愛主義だな」
皮肉げに言うと、青年は宙を見上げた。焦げた梁の向こう側には、変わらぬ青空が広がっている。
「なにを無駄に綺麗な蒼を使ってやがるんだよ――この世界は、とんだクソッタレだ」
何百年もの間、この少女はこうやって、空を見上げていたのだろう。
たった一人で。
「開発者たちが死んで、メンテナンスをする者達がいなくなって――私も機能を停止する。随分長い間だったような、刹那の瞬きであったような――そんなものだった」
確定した未来は、覆せない。
彼女は罪を背負ったまま、愛しい愚者達と共に、この都に眠る。
「≪古きもの≫よ。私はただ、覚えていて欲しかったんだ。私達が此処にいて――共に過ごしたということを」
この綺麗な蒼を――一緒に見ていたということを。
空の瞳を持つ少女は、再び天空を見上げ――そこで初めて、心から楽しそうに笑った。
「それだけだ。何百年と生きてきたが――結局、それだけなんだ」
青年も共にその空を見上げ――視線を戻したとき、既にそこに少女の姿はなかった。
地に落ちた金属の塊がそこにあるだけで、輝いていた宝玉は、その光を失っていた。
「……」
再び一人になって、青年は黙ってそれを見つめた。
◆◇◆
嘘のように綺麗な蒼の下で、青年は滅んだ都から外に出た。
振り返って、しばらく佇む。青年はポケットから小さなガラス玉を取り出した。さきほどの少女が持っていた、力を失った宝玉だった。
玩具でしかないそれを天にかざし――透明なそれを通して、空を見上げる。
「なるほどな――」
彼女の瞳のように染まるそのガラス玉を見ながら、青年が言う。
「この世界はこんなクソッタレだが――空だけは無駄に綺麗な蒼を使っていやがるんだな」
青年はガラス玉を仕舞うと、次の目的地に向かって歩き出した。
それは≪古きもの≫と呼ばれる青年の、永い永い旅路の一節。
忘れられることなく語り継がれる、共に歩いた物語――。
機械天使と空の蒼 譜楽士 @fugakushi
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