第32話 千万倍のかっこよさ
勇者の部屋へと向かった、あたしだったが、当の勇者は不在らしかった。ノックをしても出てこなかったし、部屋には鍵が掛かっていた。居留守を使うような人では無いことは知っていたので、もう殆ど陽の落ちた屋敷内を見て回った。そんな、あたしよりも背が低い勇者の影を見つけたのは、庭でのことだった。
「百花……」
勇者の顔はガーゼ塗れで、唇周りには所々に血が付いているのが見える。
「透子ってば……そんなに強くビンタしてたっけ?」
あたしは、想像以上にえげつない勇者の顔面を指差しながら尋ねてみた。
「違うよ、これは君のことが好きだっていう人から一方的にやられたものだ」
あたしが眉間をつまむと、ロイの顔が浮かんでくる。不思議と悪い気はしないが、加減というものをしらないのか。
「あいつ、本当にどうしようもない馬鹿なんだから」
「あいつ……ね。百花、僕はお似合いだと思うよ」
「何がよ」
「君とロイの二人のことだよ。僕みたいなやつよりも、よっぽどいい。誰かのためにあそこまで怒ることができるのは、素敵だ」
勇者は、おおきく手振りをしながら、そう話す。そんな光景を前にあたしは、嫌悪感を感じざるをえない。
「そうかもしれないわね。今のあなたの百万倍、ロイはかっこいいわ」
勇者は満足気に頷いていた。「でもね」とあたしは続ける。
「前の世界の頃の戦場勇者はね、その千万倍はかっこよかったわよ」
あたしは、胸を張ってそう言いきる。
「いい加減にしてくれっ!」
「……勇者?」
勇者の怒声が、暗い庭中に響き渡る。
「……いつまでも、夢ばかりを見るのをやめてくれないか百花」
勇者は殴られた箇所をガーゼ越しに触れながら、続ける。
「君が僕を好きでいたのは、僕が君の命を救ったからにすぎないと、何度言えばわかるんだ」
「きっかけは、勇者の言う通りよ。だから何だって言うのよ」
「いいかい? 君が惚れていた勇者はもういないんだよ。魔法とモンスターの概念が無い以上、僕は誰かを救う能力を持っているわけじゃない。今の僕には、誰かを守る力なんて無いんだ。だから、君が僕にそうやって期待をしてくるのは、正直言って迷惑なんだよ!」
勇者は語気を強めて、そう言い切った。勇者が呼吸を整え終わった頃に、あたしは静かに口を開く。
「そんなこと、初めから承知の上よ」
「気安く、わかったような口をきかないでくれるかい」
苛立ちを隠さない勇者に対して、あたしは欠片たりとも臆するような感情を持ち合わせてはいなかった。だから、これまでと同様の調子であたしは淡々と言葉を紡いでいく。
「あのね勇者。覚えているかしら、魔王討伐の前夜にあたしが言ったこと。『争いの無い、平和な世界に行きたい』って」
「それが……なんだというんだい」
「あれね、嘘なの」
きょとんとした顔をする勇者には目もくれず、あたしは続ける。
「あたしは、ただの街娘でなんの力も無い平凡な女の子。当然、剣や魔法の才能なんて欠片も無かった。だからあたしは、パーティメンバーの服を洗ったり、ご飯を作ったり……基本的には雑用の担当だった。だけどあたしは、無力の自分が嫌いじゃなかったの」
あたしは笑顔でいいきる。これは、あたしの嘘偽りない本心に他ならない。
「あたしがいつだって嫌いだったのは、産まれた時に優位性が決定づけられる前の世界の環境だった。だから、恋敵がいても。勇者のことが好きだ、あんたには渡さないって、前の世界のあたしに大見えきって言う事なんて、とてもじゃないけどできなかった。だから、あたしは才能で差がつかないような世界を提案したの。平和な世界で過ごしたい、なんて体の良い繭に包んでね」
「それが今の僕と何の関係があるっていうんだい」
「悪いわね、とりあえず例として恋敵を挙げただけよ。あんただけを蚊帳の外でほくそ笑ます気なんて更々無いわよ」
「僕がいつ笑ったっ!」
「笑ってるでしょ、最初から。あたし達の思いは偽物だなんだってね。いいこと? あたしは、あんたとも対等な立場に立って、恋がしたいって考えたの」
「対等に……?」
「ええ。あたしは、前の世界であんたに何度も助けられた。だから好きになった、それは事実よ。だけどね、あたしはもう御免なの、あんたにだけはこれ以上、助けられたくなんかないのよ! あたしはあんたと、同じ目線で話がしたいから、あたしだってあんたに、頼られてみたいから!」
勇者の眼が、空のお月さまみたいに、丸くなる。
「……僕は、この世界で無力なんだ」
「知ってるわ」
「強い腕力も、多彩な魔法を扱えるわけでもない」
「ええ」
「頼られることだって、もうこりごりで、自分の名前だって大嫌いだよ」
あたしは、鼻で笑い飛ばす。
「安心することね。あたしは、勇者としてのあんたに恋をしたわけじゃない、戦場勇者に恋をしてるんだから」
あたしはびしっ、と勇者の脳天を指差す。思いきりの笑顔と共に。
「百花……」
勇者の眼から一筋の涙が零れ落ちる。子供らしい体格にぴったりだと思ったのは内緒にしておこう。弱弱しい勇者の姿を見れる、貴重な時間を大切にしたいのだ。
あたしは、そんな愛らしい勇者を抱擁すべく、両手を広げた。
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