第15話 百花の思い

 霞島高校かすみじまこうこうへ学校見学に行った日から、数日が経った。

 あたしは、毎朝の日課となった、『お屋敷ガーデニング計画(←つい先日、思い付きで命名したのは内緒)』の第1号であるトマトとの睨めっこを行っているところだ。


「おっ、結構赤くなってきたじゃねぇか」


 姉のくせっ毛を受け継がずに済んだ、動きのある栗毛色の頭が、あたしの目線より下にすとんと落ちる。ロイが、様子を見に来たらしい。


「あんた、もう朝食の支度終わったの?」


「おうよ。ま、ちょろいもんよ」


「調子に乗っちゃってまあ……ちょっ、エプロンが地面に着いてるじゃないの」


 あたしは、ロイの脇下に腕を入れて上に向けて引っ張る。流石に男の子、重くてごつごつしてる。


「ちょっ、百花っ。自分で立てるからっ。色々と密着して、やべぇから!」


「なに言ってるのよ。ロイ相手に欲情されても、ノーダメよノーダメ」


「なっ……。と、とにかく、俺は大丈夫じゃねぇんだよっ。自分で立つから!」


 ロイは、あたしの腕を払ってすくっと立ち上がる。弟子のくせにあたしより背が高いのがちょっとだけ鼻につくわね。まったく、生意気な弟子だこと。


「ほーら、土汚れ落としたげるから」


 今度は逆にあたしがしゃがみ込んで――おっと、いけないメイド服が地面に着くとこだったわ。しっかりとスカートの裾をまくっておいて、と。


「ちょっ、何やってんだよ!」


「もー、いちいちうっさいわね。人が親切心でやってあげてるっていうのに」


 ぱんぱんぱん、とエプロンを軽く叩いてやると、多少は土汚れが落ちる。ただ、水やりをした直後だったこともあって、取れない汚れも割とあった。


「はーい、おしまい。だけどこれ、すぐに洗っとくのよ。湿ってたせいで、汚れたまんまのとこ結構あるから。っと」


 掛け声を出しながら立ち上がる癖ついちゃって、おばさんくさいなあ、と内心落ち込みつつ……って、ロイの顔近いわね。ふうん、アシュリーのクマが無くなったらこんな目元なのかしら。


「い……っ! ちっ、けぇよぉ……」


「ちょっ。ちょっとどうしたのよ、ロイ。顔が真っ赤じゃないの、大丈夫!?」


「ほえ? あぁっ、おでことか触らないでいいからっ、もう俺、朝飯の配膳してくるっ!」


 ロイは、急に回れ右をして、走り去ってしまった。瞬く間に。


「なんか悪いことしたかしら?」


 小首をかしげつつ、思考を巡らせるが、まるで思い当たる節が無い。うん、じゃああたしは悪くないはずだ!


「さってと、あたしもロイの手伝いに行きますか」


 早く立派になるんだぞ、とトマトを人撫でしてあたしは翻る、と。


「やあ百花、またトマトかい?」


 あたしよりも目線が低いにも関わらず、きりりとしていて自身に満ち満ちている愛しの勇者がそこにいた。


「あっ、あら勇者じゃないの。竹箒なんて持って、また落ち葉集め?」


 あっぶないわねぇっ! 急に来られるとびっくりドキドキしちゃうじゃないのよっ! はーっ、今日もたいへん爽やかでかっこいいこと!――よし、落ち着けあたしの心。落ち着いたな? よしよし良いハートだわね。


「まだまだ落ち葉が酷くてね。庭が広いせいか、今日もゴミ袋まるまる1袋だ」


 勇者が視線を飛ばす後方には、言った通りの落ち葉がぎっしり詰まったゴミ袋があった。


「ここ連日、ずっとそんな感じね。ゴミ出し当番のカーちゃん、次の燃えるゴミの日かなり大変そうね(む……これは好感度アップちゃんすっ)。てっ、手伝ってあげようかしらねぇ……」


 ちょっとわざとらしかったか? とこっそりと勇者の顔色を窺う……よし、若干おかっぱヘアスタイル、今日も可愛い!


「百花は相変わらず優しいね。ただ、僕の掃除でゴミを出してしまったわけだし、手伝いには僕が行くよ」


「ふーん、あっそ。よくよく考えてみれば、妥当よね。しょうがないから、譲ってあげるわよ」


 ゴミ出しとか、汚れるし臭いし、本当はしたくなかったし万事OKね。ついでに、好感度も上がったことでしょうよ。満足満足。


「カーミリアといえば……百花、君に頼んで正解だったよ」


「なっ、何よ急に」


「以前、カーミリアが元気が無いみたいだって相談した件だよ。最近は昔みたいによく笑ってくれるようになったから安心したよ」


「あー、そのことね」


「よく、学校見学に行った時のことを楽しそうに話してくれていてね。学校に行けることが楽しみでしょうがないみたいだ。確か、入学時期は4月頭だったかな?」


「みたいね。この国の学校の1年の区切りはそのタイミングみたいだから、そこがいいだろうってアシュリーが言ってたわ」


「そういうことだったんだね。まだ先のことではあるけど、パーティメンバーが元気になってくれて本当に良かったよ。せっかく、こんなにも平和で安全に暮らせる世界に来たっていうのに、落ち込んだままじゃ今まで何のために頑張ってきたのかわからなくなってしまう」


「そっ、そうねえ。あー、あたしも落ち込んでいるやつが居たら、なんか萎えるっていうか。だからその……良かった、と思ってるわよ」


 うんうん、と朗らかに勇者は微笑む。


「それにしても、やっぱり同性同士だと話しやすいものなのかな。僕が相手だと、まるで悩みごとを打ち明けてくれなかったからさ……」


 勇者は柄にもなく、少しだけ俯きがちになって落ち込む。しょんぼりとした顔も割とアリ……。


「その気はやっぱりあるかもしれないわね。あたし達の中で、一番幼いことも大きいとは思うけど」


「前の世界では戦闘ばかりで、皆と落ち着いて話す時間はそう多くは無かったから、今更だけどパーティリーダーとしての自覚を持って頑張るよ」


 魔王を討伐するだけじゃ飽き足らず、更なる向上心を持ち合わせている勇者。本当に、名前負けしない性格だ。


「何はともあれ、本当にありがとう百花、君に頼んで正解だったよ」


 勇者が幸せいっぱいという感じの笑顔であたしを労ってくれる。

 ――それが、とどめだった。

 途端に、あたしの喉はつっかえたようになって、うまく言葉が紡げない。


「勇者……えっとね、あたしそんなたいしたことしてないわよ?」


「ん? そんな謙遜しなくてもいいと思うよ」


 やめて、もう黙ってればいいじゃないの。


「実際のところはね、あたしが功労者なわけじゃないの。アシュリーよ、今回の大手柄は。あの子がこの世界に詳しくなかったら、カーちゃんが喜びそうなこと思いつかなかったもの」


 もう、本当に。あたしは、どうしたいんだろう。

 

「じゃあアシュリーにもお礼を言っておかなくちゃね」


 例え、汚くて卑怯だったとしても。それくらいしてでも、あたしは欲しい。

 勇者がそれくらいに、大好きなんだ。


 わかってるわよ。あと一歩を踏み越えてしまえば……。

 そうしたらきっと――特別が待ってることくらい。


 勇者は「それじゃあね」と手を挙げてから、あたしに背を向ける。どうしてか、あたしの視界はぼやけていって、静かに背中は見えなくなっていた。

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