3・楽器屋の『仕事』

 都賀つが楽器店には僕以外にも、何人かのリペアマンがいる。

 リペアマンとは読んで字のごとく、楽器の修理や整備を行う人のことだ。演奏者への夢を絶った僕は家業を継ぐべく、この道を選ぶことにした。


 なんだかんだ言って、音楽自体は嫌じゃなかったのと。

 生まれたときからあまりにも、その現場に立ち会い過ぎていたからだと思う――楽器屋を継ぐならこの職業しかないと、一も二もなく僕ば学校の授業を全部リペア関係に選択し直していた。

 ……今から思い返しても、なんで一般企業就職を考えなかったんだろうって思うけど。それほどまでに僕の遺伝子には、楽器のことが刻み込まれてるのかな……。


 まあ、それはともかく。当時の僕はまだ学生で、リペアマンとしては見習いの立場だった。

 だから店の他の人について回ることもしばしばだった。楽器を吹くことと、分解整備をするのとはまた別だ。パソコンを扱うことはできても、組み立てはできないのと同じで。


 そしてその分解整備、組み立てのスペシャリストが都賀楽器店うちにはいる。


「……雅人まさとさん。こないだ発注した楽器の部品、どこにありますか」

「あ、そこにあります!」


 中でも静和しずわさんという人は、うちの店の優秀なリペアマンだった。

 正直、労働条件としてはあまりよくないこの業界だけど、『楽器を触っていたいから』というだけの理由で仕事をし続けている人はたくさんいる。

 静和さんはその典型で、とにかく出勤してきては朝から晩まで黙々と作業をしているという人だった。口数は少ないけれど凄腕で、彼に作業をしてもらいたいからという理由でうちに来てくれるお客さんもたくさんいる。


 黒いエプロンに擦り切れそうなシャツ、岩のように動かない顔面はまさに職人といった風情で、僕は今日に至るまで静和さんのことを密かに尊敬し続けているくらいだ。

 けれどこの当時はお互い、コミュニケーションが上手く取れていなくて――いきなりやってきた社長の息子にどう接したものかと、彼も悩んでいたようだった。

 そして、すごい人に気を遣わせるということを僕も心苦しく思っていた。今でこそ店長と呼んでもらっているけど、このときは僕もペーペー、店の経営もリペアマンとしての腕前もからっきしの、ただのひよっこだったから。


 せめてできることをしようと、店の雑務を買って出ていた。届く荷物の管理もその一環で、静和さんの探していた部品もその中にあった。


 まあ、管理というか、やってることはただの荷受けだったけれど……。

 店に届くものの数を確認して、ハンコを押して配達の人に受け取り表を渡すだけの作業だったけれど。だとしても、そのときの僕には必要な業務だった。

 少しでも店に貢献したかったし、そうすることで僕自身も段々と自信を取り戻すことができるようになっていたから。


『誰かの役に立つ』ってことがこれほど嬉しいんだと、この時期に知ったよ。


 僕の言葉を受けて、静和さんは積み上げられた荷物の中から目当てのものが入った箱を取り出した。

 そのまま作業室に戻っていく。いつか自分も、あんな風にかっこよく仕事をするのだ――父のこともあって半ば反発心交じりだったけど、そう思っていた。


 経営者も兼ねないとだから、静和さんみたいに年がら年中作業しているわけにもいかないけれどさ。だとしても好きなものに触っていられる仕事って、やっぱりいいよね。

 プライドを持って仕事するって、かっこいいよね――なんて、甘っちょろいことを考えていたよ。

 まだ学生だったからね。その辺は許してほしい。このとき僕がやっていたのも封筒に切手を貼るっていうとんでもなく地味な作業だったけど、いつかリペアの仕事をやろうって希望は持てた。


 この時期は繁忙はんぼう期すぎで、整備の仕事はあまりなく――職人は部品の取り付けを終えて、作業室から出てきた。

 コンクール前後はとんでもない忙しさになる楽器屋だけど、この日はそうでもなくて。

 やることがなくなって手持ち無沙汰だったんだろう。静和さんは僕の正面に座って、切手貼りを始める。


「……手伝います」

「あ、すみません」


 下手に扱えない楽器というものの整備をしているからか、この人の指はごついのに繊細に動く。

 シートになった切手を、綺麗に切り離していく。その手つきすら洗練されて見えて、正直僕はひっそりと感嘆のため息をついていた。

 できる人って、本当なんでもできるんだなって――落ちこぼれの僕とは大違いだなって。

 演奏者を目指していた頃の癖で、ついそんな風に思ってしまった。少しずつ回復してきたといっても、この頃の僕はまだ浮き沈みが激しかったから。

 誰かと比べて、勝手に舞い上がったり落ち込んだりすることが多かった――そんな僕に、静和さんが話しかけてくる。


「……学校は」

「はい?」

「……学校は、楽しいですか?」


 彼なりの世間話だったんだろう。

 無言で作業をするのも気まずいし、これを機に少しでも仲良くなれたら、なんていう意図が透けて見えた。

 楽器相手だと器用な静和さんだけど、人間相手だとどうも不器用なんだ。そんなこの人の性格を初めて知って、僕はきょとんとした。

 相変わらず視線は手元の切手に注がれたままだけど、意識はこちらに向けられているのが分かる。ちゃんと向き合おうとしてくれている――社長の息子なんて面倒くさいだけだろうに、理解しようと努めてくれる態度が、何よりも嬉しかった。


 例えそのための話題のチョイスが、少し微妙だったとしても。音大に行って才能のなさを見せつけられて目指すものを変えた人間に、「学校は楽しいか?」なんてないだろう。

 まあ、そんなことを口走ってしまうくらい静和さんもテンパってたってことなんだろうね。そのくらい僕の立場は、微妙なものだった――そして静和さんも、「自分、不器用ですから」を地で行く人だった。


 ぎこちない流れではあったけど、しばらくの間の後に僕は「ええと……まあ、はい」とうなずく。

 リペア科に行ってからというもの、失敗することも色々あったけれど、それなりに上手くはやれていた。

 人じゃなくて物を相手にすることがよかったのかもしれない。一心不乱に手を動かせば、嫌だったことも忘れられる――成果が目に見えてたのもよかった。音とかコンクールの賞とかって、はっきりとは見えないものだし。


 僕の答えに静和さんは「そうですか」と言い、沈黙して。

 しばらく無言の時間が続き、ただ切手を貼り付ける作業の音だけが響く。

 僕も僕で話題を振ればよかったのだろうけども、職場のベテランさんに何を言っていいのか分からなかったし、何よりそんなことをするだけの度胸が身についていなかった。

 だから二人で、何も言わず作業を続けて――気づけば返信用封筒は山になっていて、終業時間も近づいていた。


「……学生さんのうちは、学校を楽しんだ方がいいと思いますよ」


 相変わらずの鉄仮面がごとき顔で、静和さんがボソリと言う。

 この人がどんな経歴をたどってこの店にやってきたかは分からないけど(なんせ採用したのは父だ)、静和さんは静和さんで苦労した学生時代があったのかもしれない。

 狭い学校しか知らない僕は、彼の言葉にやはり曖昧にうなずくことしかできない。楽器屋の仕事も誰にでもできそうな雑務ばかり。中途半端な状況で、どこにも属してない感がすごい――だから。

 楽器屋のリペアマンである静和さんとは、最初から最後まですれ違うことになった。


「……仕事したいなあ」


 積み上げられた封筒の山を見て、静和さんはため息をついて言う。

 今日の就業が終わって、修理すべき楽器もなくて、ついポロリと本音が出たのだろう。

 けれども、その言葉は――少なくとも『二人でこの仕事をやり遂げた』と思っていた僕には。

 こんな雑務でさえ、店の役に立つものだと思っていた僕には――ひどく、突き刺さるものだった。


「今日は帰ります。おつかれさまでした」

「……はい。おつかれ、さまでした……」


 淡々と帰り支度をする静和さんに気づかれないよう、僕は震えを抑えてそう言う。

 少しずつ積み上げてきた自信の壁が、ガラガラ崩れ去っていくのを感じる。

 脳裏に浮かぶのは、ひとつの真実。

 僕にとって、プライドを回復するための、かけがえのない作業であったはずのこれは。

 プロのリペアマンにとって、『仕事』ですらないのだ、と――。

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