第110話 大魔王の愛情

「来てくれたのですね」


 振り返ったイルが言った。

 扉が開き可憐なサキュバスが立っていた。


 神殿の診療所扉を開けて入ってきたのは、レザーのボンテージで二つにセパレートされたブラトップとフレアミニスカートで色はブラック。細くて雪のように真っ白な腕で一頭分の肉を持ち上げている。両脚は血管が浮き出るような白く艶やかな素足に厚底のショートのヒールで、意外とムッチリで、背中には小悪魔のかわいい黒い羽が生えている。

 

 バアルの転生前の母親であった大魔王ツクヨミが、アイネの連絡でエールに姿を現したのだった。


 ベッドに近づき、バアルの髪をなでる、大魔王ツクヨミが小さい声で呟いた。

「バカ息子……心配したんだからね。でも頑張ったね」

 まだ幼い少女のような風貌のツクヨミが「ふぅ~~結構つらいなあ」とため息をつく。

「大魔王様、バアルが心配でしょうが、まずはもう一人の勇者アナトをの様子を見て下さい。とても深刻な状態なのです」


 イルに促されて、寝台の上でまったく動かないアナトに近づくツクヨミ。

 今のアナトからは精気もエナジィも感じられなかった。


「大魔王様。アナトはどうなんですか?」

 ツクヨミはアナトの銀髪を愛しそうに触り、そして首を振った。

「この子が召喚された青い目の勇者なのね。この娘の心はここにない……今のままでは治療する事は出来ないわ」

「それでは……アナトはこのままなんですか!?」

 思わず声が大きくなったイルを見たサキュバスは、再び首を振った。


「ううん、まだ大丈夫だと思う。でも、アナトを元に戻す為には必要なものがある。それを得る為に……まずはバアルを治しましょう」


 バアルの寝台へ向ったツクヨミは、一呼吸置いてから、バアルの胸に手をおくと、意識を集中する。

 バアルの胸に五つの角を持つ魔法陣が宿り、立体的に表示された魔法陣は青く縁取られ、滲むように光を強めた。


「うっ」


 バアルが小さく呻いて、瞳を開けた。


「あれ? 母さん!?」

「静かに。自分のエナジィに集中して」

 ツクヨミが側にいる事と、その言葉に安心してバアルは瞳を閉じた。

 ツクヨミは優しく、そっとバアルの手を取ると、自身の胸に広がる立体的な魔法陣の上に置かせた。

 そして自分の左手で胸のクリスタルを掴むと、右手をバアルの手に合わせる。


「傷はまだCommitされていない。間に合いそうね」

 ツクヨミは瞳を閉じ強くエナジィを込めて再生の魔法を詠唱した。


『再生 ラ・ジェネシス!』


 バアルの欠損した部分が白く光り、再生を始めた。

「回復の魔法!? そんなの私も見たことがない!」

 目の前で行われた事に、驚きがイルを支配した。

 回復のエキスパートのイルでも、治せなかったバアルの傷は急速に再生する。

「……! つぅ」

 バアルの痛みの言葉に答える大魔王。

「我慢しなさい。明日の朝まで再生は続くから、痛痒いのは続くと思うわ」


 魔法をかけ終えたツクヨミが、少し火照った顔で言った。

「エールは暖かいわね」

 両脚は血管が浮き出るような、白く艶やかな素足に厚底のショートのヒールを見せるツクヨミの姿は、その母性も合わせ小悪魔ではなく、水の妖精ウンディーネも越える美しさを持っていた。


 バアルが寝ているベッドに腰を降ろすと、ツクヨミは息子の髪を撫でながら、他には聞こえない微かな声で子守唄を歌い始めた。


 ツクヨミの膝に頭を乗せ、瞳を閉じたバアル。

「甘えん坊ね、バアル。子供みたいよ」

 バアルはツクヨミの身体に触れながら、その感触を楽しみ甘えている。

「ちょっと……バアルやめなさい……こら」

 自分に触れていたバアルの手を両手で包みこんで、膝の上に置いたツクヨミ。

 イルがため息をついてツクヨミの横に座った。


「もぉ、敵わないな、ツクヨミ様には」

「そう? 魔物に襲われたらバアルは、わたしじゃなくて、あなたを助けるわよ、そうじゃなくてイル?」

「それは……ツクヨミ様が強いからだと思いますが……物凄く……なんせ大魔王ですから」

「フフ、そうかもね」


 外には聞こえないようにさな声で子守唄を歌う、ツクヨミの姿を見てイルはまた呟いた。


「もぉ、敵わないな、ツクヨミ様には」

 朝が明けるまで、ツクヨミの子守唄は聞こえていた。


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