第16話 月

 銀色の光が見ている。

 玄関へ続く暗い廊下の闇を幼い頃とても恐れていた。そして恐れながらも強く焦がれていた。その中に消えてみたいと願ってみた。けれど銀色の光が見ている。じっと、監視している。嵐はまだ自分があの世に足を踏みいれてはいけないことを、小さな恐れとともに知っていた。

 星の目。

 またたくことのない銀の目が嵐を凝視している。

 嵐ははだしで、重い扉の前に立った。コトコトと鼓動がなっている。

それも、今は心を押しつぶすこともない。

 取っ手に手を当て、体ごとあずけて押し開ける。

「――――」

 光、光、光。

 熱い空気が体じゅうに吹きつける。

 手すりの向こうに見える道路。上の階の廊下にさえぎられるせまい空。

 音。

 タイヤが車道をこする。

 誰かの嬉しそうな歓声。

 鳥の声。

 風の立てるざわめき。

 水の中泳ぎ出すように、嵐は手を伸ばし、踏み出した。

 和。

 和音。

 協和音。

 さまざまな音が存在が重なり響きあいぶつかりあい。

 向かいのビルの反射光が嵐を照らしている。

 後ろでかちりとドアが閉じる音がして。

 嵐は痩せてみすぼらしくなった自分の体と、両手を、じっと見つめた。

 そしてビルのガラスを見つめ返した。

 瞳を射す鋭い光。

 痛みに何度もまばたきをしながら、嵐はそれでもそれを見つめた。

 それを求めた。

 非常階段を音を立てて降りていく。

 小さな感動が起こり消えていくのを引き止めずに嵐は見守る。

 降りるにつれ暗い階段の足元。それも幼い嵐は恐れていた。配電盤のドアからお化けの出てくる幻を見た。嵐は最後の三段を降りきってそのドアを見つめた。そして恐怖が大きくなる前にそこを飛び出した。ビルのガラスのドアを押し開けて、まず嵐は空を見上げた。求める光はそこにある。

 おぼつかない足取りで嵐は歩道に踏み出した。

 小さな感動は絶えず心を浮き立たせてわけもなく嵐は笑い出す。

 知ってるけど知らない。

 知ってるけど知らない。

 知ってるけど知らない。

 幼い頃の景色とは少し違う町並み。

 けれど心には幼い感動があふれだす。

「ここはどこだろう」

 口を旨く動かせずに舌足らずなことばで嵐は問う。

「ここはどこ?」

 不意に振り仰いだ空に、白い月がいた。

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