第5話 記憶

 由比、由比、きいて。

『わたしねえ、なんか最近、おかしいんだ』

 お願い、きいて。

『言葉が、でてこないの。なんでかなあ。なんかね、空っぽみたいなのがそばにあって』

 そんなに不安そうな顔しないで。ただ、きいてほしいの。

『それを見なきゃいけない感じがするの。だから、だれといてもね、なんか、そこにいられないんだ』

 由比、うなってから口を開いた。

 目で追っていた本の背表紙の、作家の話だった。

 ――あ。

『話戻るけどね、なんかね、変なんだ。前よりうまく喋れないんだ』

 由比は、作家の話を続ける。

 嵐は、好きな作家のサイン会に来ることのできたうれしさに、無理矢理心を合わせた。でも、どこか、ひびが入っている。そう感じていた。

 一年まえの、嵐が壊れる前のぎりぎりのところ。

 ――何も言わなかったくせに。私に相談してくれなかったくせに。

「あのとき、気がついたら、言い返してやれたじゃないの」

 低い声は嵐のもの。いつものように揶揄する声ではなかった。

「言い返したって仕方ないよ。あの子、気がつかなかったんだもの。私の話がどれほど重要だったか」

 結局それは嵐にとっての重要さだった。

「あの子はききたくなかったのよ。久しぶりに会ったのに、そんな話は聞きたくなかったのよ」

 でもだったら、あの子に、そんな事を言ってあなたを傷つける資格はないんじゃないの。

「ねえ、知ってる? それ、自己弁護っていうの!」

 爆発するように唐突に笑って、嵐は叫んだ。

「あの子は傷ついたの。ひとりで勝手に傷ついたのよ。本当の私を見もせずにね。確認する前に勝手に想像して失望して絶望したのよ。ばっかみたい!!」

 憎い。

 好きだった。

 いとおしかった。

 でもあの子私をあきらめた。

 目の前の私に過去の絶望をぶつけた。

 唯一の、取り戻せるチャンスを。

 復讐に使った。

 ばかな子。

「友達だった……」

 大嫌い。

「大好きだったのよ」

 憎しみよりも、怒りよりも、いつも、いとおしかった。

 あなたがそこにあるだけで、どれだけの。

(さよなら。嵐)

 どうして今、

 ここにいないのか。


 嵐の中で由比は、ゆっくりと死んでいく。

 やわらかな感情の余韻と、怒りの傷を残して。

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