第4話 かさね

 生命の歓喜は一瞬。

 だから一瞬をいとおしく思う。


 青い時間が部屋をうめつくしていく中で、嵐は倒れたまま、自分の鼓動を聞いていた。速い連続音。重りを下げ過ぎたメトロノーム。生きているあかしとなるもの。だから苦しい?

 苦しみは気管を這い上がって喉の奥でかたまっていた。もうそれが喋る事はなかった。心臓の音は背骨に伝わって、喉の苦しみと共鳴している。

(何て言いたいの?)

 問い掛けは呑み込まれて返ってこない。嵐の中にちりちりとした苛立ちが生まれる。

「……嫌だ」

 かすれた声で嵐は言った。喉が震える。

「いや」

 乱れる鼓動に共鳴して苦痛が頭をもたげる。それが叫ぶ。

「いや!」

 死にたくない。殺されたくない。傷付けられたくなかった!

 ――消えてしまいたくない。

「いやああ!」


 繰り返す感情の振幅が命をすり減らしていく。

「疲れたよ……」

 呟きが誰もいない部屋に転がる。

(閉じているから伝わらない)

「どうしたら人に伝わるのよ、わか……ら、な――い」

(わかるように言ってよ!)

「言っているのよ。でも聞こえないのね、由比……」

 斜めに傾いた部屋が二つに分かれていく。思考の焦点もスライドしていく。

「誰にも分からない言葉しか喋れない私が――」

(自分を責めなくてもいい)

 感情の捌け口はどこにもない。受け取るもののない言葉は腐り落ちで毒になって幾年、積もったら許されるのだろう。

「許される?だれに?」

 ――だから馬鹿だって言うのよあんた。

 深く、深く息をついて嵐は体を起こした。

「誰もいないのね」

 私を動かすものも、なにもかも。嵐は口の端をゆがめてみた。そうすると少し悲惨な感情というものが湧いてきた。

 自己憐憫。

 嵐はとても自分がみにくく、あわれに思えた。

 こんなことしかできない今が、たまらなかった。

 誰も嵐の心に残らず存在できない、どんな暖かささえ思い出せない、覚えていられない、忘れて行く。

 真っ白になってしまう。

 あの時から、心は小さく小さく閉じこもって、世界はその外をすり抜けていってしまう。すべてを一色に染めてしまう青い時間も透明すぎる窓ガラスも嫌で。

 嵐はかさねた。

 赤い線。

 いまはこうしているだけが。

 生きること。

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