最後の仕上げ

 表舞台に立つことは、あたしにとって死を意味する。

 これは比喩でなく、本当にそうだ。だからあたしの精神は、パート練習で無事死亡していた。


「先輩が最初からやる気を出して、さっきみたいに仕切ってくれればここまで状況は悪化せずに済んだのに……」


 うるせー馬鹿弟子。あたしだって頑張ってんだ。

 さっきのイレギュラーの代償はデカいよ。元々あたしの能力は、外側から世界を見ることで発動する。

 その条件を破ってしまったら、反動が来るのは当然だ。だから矢面に立つ、という表現の通り、あたしの心はボドボド――もとい、グサグサだ。

 こんな冗談でも飛ばさないとやってらんないくらい、さっきから震えが止まらない。いや、本当だって。信じてよ。


「いやあ、さっきのはまぐれだよ。ま・ぐ・れ。みなとっちががんばってるからさー。それ見たら、あたしもがんばらなきゃって思って♪」

「うさんくせー……」


 おい馬鹿弟子。今なんつった。

 後で絶対仕返ししてやるからな。そんな時が来ればの話だけど――と思いつつ、あたしは言う。


「――そろそろ仕上げ時かなって思ってさ」


 もう一回表舞台に顔を出せば、あたしはまず間違いなく重大な疾患を抱えることになるだろう。

 それは身体に来るものかもしれないし、ひょっとしたら未来予測の力を失うことになるのかもしれない。契約には代償を伴う――そして、違反にも罰則が科されることになる。

 だとしても。

 この舞台の根源。

 吹奏楽の深み。深淵の観測者が、動かない理由なんてなかった。


 先生が言ってくれたあの言葉は、ここにきて力を発揮することになる。

 ずっとずっと待っていてくれていたあの人に、応えたいという気持ちが、あたしを支えるもののひとつになってくれている。

 そしてもちろん、この馬鹿弟子だって――

 どこかで。きっと。



 そして読み通り、『そのとき』はやってくる。



「――なに休んでるんですか」


 そんな冷たい声音と共に、ゆうは、部長は、一年生をにらんだ。

 ターゲットは、誘因を持った後輩。八つ当たりを引き受ける、因果を持った女の子。

 だけどそれを、正しい行為とは言わない。だってそんなことを言ったら、この場にいるあたしたち全員が正しくない。

 まやかは話した通り、じっと事の成り行きを見守っている。弓枝ゆみえは何も利用できないこの状況で、どう動こうか迷っているような気配を出している。

 智恵ともえは元から、ここに関わるつもりもない。そして優だって――こんなことは正しくないって、分かってるはずなんだ。

 けれどあたしは、まだここに干渉できる立場になかった。

 一歩引いた世界の裏側から、表に出るにはまだ条件がそろっていなかった。大義名分。方向性の決定。意思を示すこと。

 やりたいことを、やりたまえよ――そんな声に接続する、最後のアシスト。

 それは、後輩たちの行動――


「――恵那えなちゃん!」


 その言葉を放って。

 後輩が、動き出す。アサミンが、先輩たちから託された大事な子が、走り出した。

 最後のピースがはまる。選択はされた。善悪の天秤は、一方に傾いた。

 馬鹿弟子もその後を追う。だったらもう、この子を止める理由もない。

 正面切って、この子の拓いた道を辿って――優の元にたどり着けばいい。


 それは世界の裏側にいた魔女が。

 表側に介入する、そんな瞬間――



「はーい、そこまで」



 そう言うと、これまでずっとあたしを無視してきた部長は、彼女は、ようやくこちらを向いた。


 ああ。

 やっとね、優。


 きみが見たくなかったものの全て、暗闇にある真実の全て、このあたしが知っている。

 その眼差しは恐れと嫌悪を抱いている。そりゃそうだよ。あたしの本性を出したら、こんなことをしたら気味悪がれるだろうってのも、そりゃ分かってたさ。

 全部全部、分かった上でやっている。


 卑怯者の歌。

 呪いと病を背負った、暗銀の魔女。

 深淵を覗くものは、また等しく深淵に覗かれているのだ――その言葉の通り。

 蛇のごとく、鎌首をもたげて。

 あなたに毒を、打ち込もう。


 なに、心配いらないさ、優。

 表舞台に出た以上、あたしだってただでは済まない。

 あんたがしでかしたことの責任を持って、あたしも一緒に死んでやるさ。

 それが部長としての務めってもんだろう?


 それにさ――あたしも長い間、孤独だったから知ってるけど。

 ひとりぼっちは、寂しいもんな。

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