ハッピーエンドの外側で

「ぐ、げ、は……っ」


 ――そして、コンクールの会場で。

 あたしは腹部を押さえ、痛みに悶えていた。


 あれから知っての通り、馬鹿弟子の活躍のおかげで部活自体はなんとかなった。

 優は心を取り戻し、全体の流れは正常化して、最悪の事態は回避された。


 そしてそれと引き換えに、あたしは盛大なしっぺ返しを食らっていたわけだ。

 精神にキたせいか、胃の調子が悪い。気持ち悪い。痛い。吐きそう。

 こんな状態で本番に乗ったとか、マジで本当に褒めてほしい。

 意識が飛びそうなのをなんとか紅茶でつないで乗り越えたとか、あたしとしてはあり得ないことだ。信じられるかい? このあたしが、コーヒーでなく紅茶を飲むんだよ? この世の終わりでもない限りないと思ってたね。自分で。


 そんなわけで、心身ともに絶賛ズタボロ状態のあたしは、ホールの外のイスに座っていた。

 それは思い出の場所だ。一年生の頃、網戸あじと先輩に連れられて来た、テレビの前。

 ホールの中の映像が見られる場所。

 世界を外側から観測する魔女に、ふさわしいはぐれ者の場所。


 みんなはテレビの中で、閉会式が始まるのを今か今かと待っている。それを見て、そっと――あたしは、微笑んで、壁にもたれかかる。

 本当は横になりたいくらいだったけれど。

 画面がよく見えなくなるから、それは御免こうむりたかった――こうして最後の最後でも、誰かを守れたことを見届けたかった。


 あたしはそこにはいられないけど、それはしょうがないことなのだろう。

 代償なしに物事は成しえない。本来ならできないところを、無理を通してしまったんだ。これくらいのツケは、払ってしかるべきだろう。

 ゴタゴタも終わって、演奏も上手くいって、それでみんな万々歳だ。

 ハッピーエンドで話は終わり。画面の中の登場人物は手を取り合って拍手して、それを見ていた人間の存在なんて知りもしない。


 それで十分だ。

 まあ、これでよかったなと、虫の息であたしは思う。思い残すことはないっていうか、アレだ。これで死んでもいいと思った。


 走馬灯のようによぎるのは、あたしが入部をした当初、同じように死にそうになっていたときのこと。


 泥の沼の中を、這うように歩きながら消滅を望んでいたときのこと。

 足を取られて転びそうになり、杖をついていたときのこと。楽器というものを支えにして、なんとか進んでいたときのこと。

 でも、そんな日々ももう終わる。

 人知れず魔女は倒れて、死に腐り終わる――なんて、そんなことを考えて目を閉じたとき。



「やっぱり、ここにいた」


「――!?」



 ここにいるはずのない人間の声が聞こえてきて、あたしは驚いて振り向いた。

 すると、やっぱりそこには――馬鹿弟子が、湊鍵太郎みなとけんたろうが立っていた。

 冗談でもなんでもなく、そのときあの子の後ろから、後光が射しているように見えた。

 それはあのとき、手を差し伸べてくれた――春日かすが先輩と、重なって見えるものだった。


 太陽が、そこにはあった。


 こ、この馬鹿弟子――背負わなくていいって言っておいたのに。

 なんで律儀にもしょい込んでいるのさ。しかもご丁寧にも、あたしを迎えに来るというおまけつきだ――まったくどんだけ予想外なことをしでかしてくれるんだよ。嬉しくて涙が出てきちゃうね。

 比喩でなく、さ。


 死ぬほどびっくりした。こんな『未来』なんて――あたしは見ていなかったから。

 この先は少し考えたけど、こう来るとは思ってなかったよ。そんなあたしに、馬鹿弟子は笑って言う。


「未来は、作るものだと思います」


 そして願わくば、幸せの生産を。

 そう思っていたことをいつの間にかこの子が叶えてくれたことに、我知らず、笑いがこぼれてくる。


 ああ、本当に。

 きみを弟子に取ってよかったよ。


 その生意気な態度は再教育ものだけど、それはその分だけ、あたしに生きる気力が湧いてきたということだ。

 痛みと病と、それを生じさせていた呪いが、少しずつ和らいでいく。

 あと少し、ほんのちょっとでいいから、ここにいたいという気持ちが溢れてくる。

 それはずっと昔から、感じてきた『あたし』の心の一部だ。


 思い出の中に置いてきてしまった、あたしの魂の一部だ。


 何も感じないわけがない。傷つけば悲しいし、いいことがあれば嬉しい――そんな当たり前のことを、あたしはこの子から教わった。


 だから最後にひとつだけ言いたい。


 ありがとう。


 あたしを迎えに来てくれて、ありがとう――。

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