事象はつながり、世界は回る

「……あたしは、どうしたらよかったんでしょうか」


 関堀せきぼりまやかの一件を経て。

 その背中を見送ることしかできなかったあたしは、網戸あじと先輩にそんなことを問いかけていた。


 まやか自身も、どうすればいいと言っていたけれど、それはあたしだって同じだ。

 どうすればいいのかなんて、分からない。あたしの未来予測は他人限定だ。自分自身のことになると途端にレンズの焦点は曖昧になる。


 先が読めないというのは、あたしみたいな臆病者にとっては結構な精神的負担だ。

 周りの言動から推し量る未来によって、あたしは立ち回りを変えていく。こう来るなら、こう、そう言うなら、こう――と。

 何手か先を読むことによって、あたしは自身の安全を確保してきた。

 だから、その読みが外れたこと――まやかに見えていた『よくない未来』が予想より早くやってきたことに、対応できなかったんだ。


 どこかの誰かの行動によって、誰かの未来が変わっていく。

 ひとつひとつの現象ではなく、もっと複雑に演算をしなければ、この先とてもやっていけない。

 そんなことを考えるあたしに――網戸先輩は気軽な口調で言ってくる。


「どうしたもこうしたもない。ヒロミンは、やりたいようにやりたまえよ」

「……それは」


 それは、これ以上ないほどシンプルで。

 かつ、だからこそ真理をついた――ただ一つの答えでもあった。


 けれど、それはある意味、答えなき答えでもある。

 自分がやりたいことなんて、そう簡単にできるわけでもないだろうに――そう思うあたしに、先輩は音楽室の隅に、顔を向けて言ってきた。


滝田たきたが、やりたいようにやり始めたな。あれも神鳥谷ひととのやの差し金だが――あいつを取り巻く環境も、なかなかどうして、愉快なものだ。

 あんな風にとは言わんが、まあきみはきみで、望むことをやればいいのだよ」


 その言葉に釣られて、あたしも網戸先輩と同じ方向を見れば。

 そこには打楽器のひとつ先輩、滝田聡司たきたさとしが、あたしと同い年の貝島優かいじまゆうに散々言われながらも基礎打ちをしている、という光景があった。

 そしてその横を、網戸先輩と同い年の、神鳥谷ひととのや先輩が笑いながら通り過ぎていく。


「……」


 望むこと、は分からないけれど。

 少なくともあれは、とても幸せな世界に見える。


 滝田先輩は渋い顔をしながらも、目は至って真剣そのものだし、そんな先輩に文句をつけながら同じく基礎打ちをする優も、なんだかんだで楽しそうだ。

 その光景を、少し遠くから見守っている神鳥谷先輩も、実に微笑ましげな顔をしていて――そんな世界を、あたしはさらにその外側から見つめていた。


 すると、隣で網戸先輩が言う。


「なあ高久。もしきみが、誰かの力になれなかったことを悔やんでいるのなら、せめてきみ自身がしたいように生きたまえ。いなくなった人間の分も、迷子になった人間の分も――やりたいように、やればいいんだ」

「……お師匠」


 同じものを見ている師匠に、あたしはそう呼びかけた。

 先輩は、それを聞いてやっぱり微妙な顔をしたけれど――いつものように、否定をすることはない。

 けれど、今日ばかりは少し事情が違う。

 学校祭が近いということは、網戸先輩も神鳥谷先輩も、引退が近いということで――

 それはつまり、このお師匠とも、別れの日が近いということでもあるのだ。


「事象はつながり、世界は回る。誰かの行動によって、誰かの未来が変わっていく――それは音楽そのものだ。とても、美しい」


 そんな状況ということもあってか、網戸先輩は普段は口にしないことを付け加えてきた。


「全ての事象はつながっているんだよ。だから――きみも生きていけばいいんだ。この美しき世界で」


『音楽なき人生は誤謬ごびゅうである』――人と人とのつながりそのものに、生きる意味を見出したこの人は。

 悲しかったことも、楽しかったことも。

 全部を受け入れて――それでもこの世界が大好きでたまらないといった風に、笑ってあたしにそう言った。

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