善悪の彼岸
「なあ
その人はあたしの同い年に、そんなことを訊いていた。
共学で強豪校でもない、普通の吹奏楽部ではちょっと珍しい――フルートの男子部員。
人当たりがよくて、線が細くて、困ったように笑う先輩。
その人は――
あたしには、二つの未来を持っているように見えた。
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「中島のことについては諦めた方がいい、ヒロミン」
そのことについて
「何かあったら私のところに来るといい、と言った矢先に申し訳ないが、アレはもう無理だ。
きみの未来視を疑うわけではない。ただ、彼はもう手の施しようがない。諦めたまえ」
「そ、そんなの、まだ決まったわけじゃないでしょう……!?」
相談してすぐにこれだったから、あたしは網戸先輩にさすがに食って掛かった。
あたしが『視た』未来。
中島先輩がこの部をまとめる存在になるか、それとも退部するのか。
あまりに両極端なものが同時に見えたので、そんなことは初めてだったから動揺していたのもある。
そして、それ以上に。
「決まっている。私もそれなりに手を尽くしたんだ。だが、やはり結果は変わらなかった。これ以上は骨折り損だ。やめておきなさい」
「い……嫌です」
『ひょっとしたら救えるかもしれない存在』をこのまま見過ごすなんて、この時のあたしにはできなかったからさ。
あたしの未来視は、大抵の場合は人の不幸ばかりを予言するものだ。けれど今回は違う。
あたしの行動次第で、なんとかなりそうな人がいる。守れそうな笑顔がある。
そう考えたら、諦めることなんてできやしなかった。
そんなあたしに、網戸先輩はため息をついて言う。
「……そこまで言うなら止めはしないがね。けど高久、これに関してきみは、もう少し冷静になった方がいいよ。いくらきみがその力で虐げられてきて、ようやく汚名を返上できそうで、嬉しいとはいっても。
最終的に自分は自分でしか救えないし、自分の道は自分でしか選択できないんだ」
まるで悟りきったかのように、三年生の先輩は息を呑むあたしへと、そう言い切った。
そう、さな。
確かにあたしは、浮かれてたのかもしれない。
自分の働きかけで、変わりそうな未来があることに。
これまで散々苦しめられてきたこの力が、ここに来て初めて役に立ちそうだってことに。
でもそれは、人を幸せにして、満足しようっていう自己満足だ。
偽善で、自己顕示で、どうしようもなく醜悪な行為だ。
けど。
「それでも……何もしないよりは、マシです」
今までみたいに、どうすることもできずに結末を迎えるよりは、断然いいことだと思った。
友達が、あたしが昔経験したことを怒ってくれたおかげかもしれない。
誰かがかける言葉で、誰かが救われることだってあるんだ。
そう思ってしまったらもう、あんな人を見て素通りするなんてできなかった。
歯を食いしばるあたしに、網戸先輩は処置なしといった風に、首を振る。
「……ふーむ。意思は曲げられん、か。まあいい。納得できるまでやってみるといい。だが」
そこで先輩は、あたしにひとつの忠告をしてきた。
「『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ』」
底の知れぬ闇に挑む者に、送る言葉――
かの有名な一節を。
「『おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しく、おまえを見返すのだ』」
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