暗銀の魔女

「いやあ、あんたやるねえ!」


 曲を通し終わって、楽器から口を離してからすぐ。

 飛んできたのは、室町むろまち先輩からのそんな言葉だった。


 心底愉快そうな先輩へと、あたしは「いや、それほどでも……」と目を逸らして答える。正面切ってそんな風に言われると、どうにも照れくさくなって、そんな反応を返しちゃうんだ。

 こんなに熱くなって吹いたのなんて、いつぶりだろう。

 もう、思い出せないくらいだけれど。


 それでも、悪い気分じゃなかった。

 背中をバンバンと叩いてくる室町先輩に、「ちょ、痛いですよ先輩」と言いつつ、特に止めてくれとも言わない。うん、我ながらこの頃の反応はわりとウブだね。あたしにも可愛い盛りがあったもんだ。


 だもんだから、室町先輩はよりいっそう楽しそうに、背中をバシバシ叩いてくる。

 さっきこの人に、「思いっきり出せ」って言われたから、あたしは本気で吹けたわけだけど――不思議なもんだね。

 この二年後に、初心者で入ってきたバリトンサックスの後輩に、あたしが同じことを言うことになるんだから。


 なんだい、アサミンが何の気構えもなしに、あんなにガリガリ音を出してると思ったかい?

 そんなわけないよ。あの子だって最初は戸惑ってたさ。

 けど、その迷いをあたしは吹き飛ばすことにしたんだ。


 あたしを救ってくれた、このバリトンサックスの先輩のソロを聞いて。

 そんで入部してくれた子に――少しだけ、この人の魂を受け継いでほしかったから。


 ……ま、この辺りはあたしの感傷だ。捨て置いてもらって構わない。

 それよりも、問題はこの後で――って、都合が悪くなると話題を逸らそうとするのは、この頃と変わってないか。

 つくづく、あたしも進歩がないね。まあ元から性根が曲がってるから、しょうがないんだけどさ。


 けど、いち早くそれを見抜いた人間が、すぐそこにいるんだ。


 問題っていうのはそれだよ。

「いやー、まさかここまでやるとは思わなかった。ていうか、低音だけで曲が通るとは思ってなかった」「はい、やっぱりみーみーカルテットは最強ですね!」なんて盛り上がってる二年生たちをよそに。


 三年生の、網戸美咲あじとみさき先輩は言ったんだ。


「少しは、気が晴れたかい?」

「……!?」


 

 その一言だけであたしはそれを直感して、身をこわばらせた。


 相当な変人であることは、初対面のときから分かっていたけれど――いや、だからこそ。

 この人が、『自分にものすごく近い存在』であることに、あたしはものすごい恐怖を覚えた。

 だってこれまで、そんな人間いなかったからね。

 あたしはいつだって異端で、つまはじきにされる方だったから。


 だからこそ、突然現れた間近な人間に、どう対応していいか分からなかったんだ。

 けど網戸先輩は、至って気軽な調子でそのまま続ける。


「ああ、いや。そんなに怯えなくてもいい。ちょっとばかり同類の匂いを感じたので、そちら方面に話しかけてみただけだよ。……ふむ。『黒』だな。そして銀の杖持ち彼岸を見つめる、さながらきみは『暗銀の魔女』といったところか」

「……何が、言いたいんですか」


 知らない人が聞いたら、重篤な中二病患者だと思われるセリフだけど、あたしにとってはそうではない。

 この人は、あたしが未来を読めることに気づいてる。

 バスクラリネットは、黒地に銀の装飾を施した、確かに杖のような代物だ。

 それをぎゅっと握って問うと、網戸美咲は自分の楽器を――木で作られた大きな楽器、コントラバスを回して朗らかに答える。


「なに、きみと同じさ。大多数から外れてしまった少数派。この世界に、なんとか折り合いをつけようとしているはぐれ者。まあ、きみとは少し系統が違うようだが」

「……」

「ここで会ったのも何かの縁だ。何かあったら、私のところに来るといい。多少話を聞くことぐらいはできるだろう。チャンネルは違えども、同じテレビを見られるというだけで、安心はするものだからね」

「……そう……です、ね」


 どうやら、敵意はないらしい。

 というか、むしろ好意を持たれているらしい。

 この人の考えていることは相変わらず読めなかったけれども、それだけは分かって、あたしはうなずいた。


 まだ戸惑いはあったけれども、よく考えてみれば網戸先輩にはあたしに話しかけるリスクはあっても、得することなんて何もなかったはずなんだ。

 だったら、特に裏はない――そう踏んで、あたしは警戒を解く。


 それを見て、網戸美咲は、後のあたしの師匠は。

 とても嬉しそうに微笑んで、迎えるように、すがるように――

 そして求めるように、あたしに手を差し出したんだ。


「ああ、ようこそ高久広美。いい演奏ができて、きみと出会えた――今日はとても、素晴らしい日だな」

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