みーみーカルテット
「さ、こっちですよ」
と、太陽に手を引かれて。
あたしは再び、目的の場所に向かって歩き始めた。
それでも、いやだからこそ、時として強烈な印象を与える人だったよ。
特にこの頃のあたしみたいな、真っ暗闇を歩いていた人間なんかはイチコロさ。
……ま、それはあの馬鹿弟子もそうだったか。
ともかく、入部して間もない初々し~い(いや、あたしにだってそんな頃はあったんだって)一年生当時の高久広美は、気持ちの不安定さもあってふらふらと先輩についていっちゃったわけ。
その先に、何が待っているかも知らずにね。
……ああ、うん。こう言うと何だかとんでもないところに連れて行かれそうで、吹奏楽部って何なんだって思われそうだけど、あたしたちが向かったのはもちろん普通のパート練習だよ。
バスクラリネット、バリトンサックス、チューバ――そして、コントラバス。
大体はこの四つの楽器で、低音パートの練習をするもんだけど。
問題はそのうちの、コントラバスの先輩にあった。
この時点で三年生だったから、
……なんというか、うん。
……ええと、あたしが言いよどむくらいだから、だいぶヤバイ人だって想像がつくよね?
そういう意味では、本当、吹奏楽部って何なんだって感じだけど。
いつまでも奥歯に物が挟まったような言い方をするのもアレだから、はっきり言ってしまおうか。
当時のコントラバス担当、低音パートの最年長者。
そして、あたしの師匠でもある人だったんだ。
♪♪♪
「やあやあ! きみが新しく入ってきた一年生だね!? ようこそ我らが精神と時の挾間、吹奏楽部へ! 諸手を挙げて歓迎するよ、と言っても実際に両手を上げたら楽器がブッ倒れるからできないんだけどね! だからその辺は、こうやって口調で表現しようと思う! どうだね
「新入生が引いてますから止めましょう、
教室に入った途端、激烈な言葉の嵐に襲われて、あたしは目を白黒させていた。
大きなコントラバスを抱えたその女の先輩は、長い黒髪のものすごい美人なのに、それと同じくらい言動が吹っ飛んだ、とてつもない変人だった。
対照的に、そんなハイテンションすぎる先輩へぐったりと突っ込んでいるのは、バリトンサックスの二年生――
茶味がかった短いくせっ毛に、綺麗な二重まぶた。
けれども特徴的なその容姿は今や、網戸先輩からかけられる天然の圧力によって、苦労が滲み出たものとなっている。
そして、ここまで連れてきてくれたチューバの春日先輩は、「あははー。先輩は今日も元気ですねえー」と呑気なものだ。
ここまでの流れで、あたしは直感する。
この低音パートが、ヤバイ!!
吹奏楽部は個性の巣窟――なんてことは、そりゃ中学からの経験者だから何となく分かっていたけれど、それにしたって高校に入っていきなり、こんなネジの飛びまくった先輩に当たるとは思わなかった。
未来が見えるとか見えないとか、もはやそういう問題じゃない。
将来なんてそんな先のことより、今まずこの瞬間のことを考えないとそのまま吹っ飛ばされそうだ。
あたしがそんなことを考えていると、網戸先輩は右手で楽器を支え、左手を胸に添えて優雅に一礼してくる。
「はじめまして、一年生クン。直接挨拶するのが遅れて申し訳ない。なぜか新入生歓迎の演奏では、『先輩がいると勧誘にならないから、しばらく部活に来ないでください!』などと言われてしまってね。三年の、
「は、はあ、よろしくお願いします……」
そんな最上級生に対して、あたしは完全に気圧されてしまってそれだけしか言えなかった。他にどういう対応をしろってんだ。
すると網戸先輩はそんなあたしを見てにっこり笑い、ひとつ質問をしてくる。
「きみ、名前は?」
「あ、は? あ、えっと、高久広美……です」
その笑顔に、口さえ開かなければ麗人なんだけどなあ、なんて思ってたあたしはようやく、自分が名乗っていなかったことに気づいた。
あ、失礼なことをしてしまったかもしれない――と、一瞬後悔したけれども、先輩はそんなことなんか全く気にせず屈託なく笑って、あたしに言う。
「ヒロミンだな!!」
「は?」
その声は、あたしだけでなく室町先輩の口からも発せられていた。
ポカンとするあたしに代わって苦労性の先輩は、網戸先輩に訊いてくれる。
「あの、先輩……何ですか、ヒロミンって」
「あだ名だ、あだ名! せっかく入部した一年生なんだ、早く馴染んでもらえるようにあだ名でも付けた方がいいだろう! 広美だからヒロミンだ! うん、待てよ!? 春日美里、室町都、網戸美咲――そして高久広美!? 全員名前に『み』が付いてるじゃないか! これまで
「あー最強ですね。はいはい最強ですね」
どうも色々と諦めたらしく、室町先輩は投げやりにそれだけ答えた。
そしてため息をついて苦笑し、バリトンサックスの先輩は、そのままあたしに言ってくる。
「……だってさ。まああの人のことだから、すぐに他の呼び名とか言い出すかもしれないけど……とりあえずそれでいい?」
「えーと。まあ、はい。それでいいです」
そこで「なんたる偶然! これがそうか、運命というやつなのか!?」「そうですね先輩! 運命はきっとあるんですよ!」などと盛り上がっている網戸&春日コンビを見るに、選択の余地はなさそうだった。
聞き分けのいいというか、物分りのいい後輩が入ってきたと分かって安心したんだろう。
室町先輩はそれまでの、ほぼ半眼だった目を緩ませ、あたしに手を差し出してくる。
「じゃ――これからよろしくね、ヒロミン!」
そしてあたしはめでたく、この
ねえ、アサミン。
あたしが君にそんなあだ名を付けた理由、これで分かってくれるかな。
君は知らない先輩たちだけど。
それでもあたしにとっては、この人たちも、本当に大切な先輩たちだったんだ。
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