泥沼の廊下で
その日、あたしの未来演算装置は絶好調だった。
脳内搭載のそれは全自動で、今も周囲からの情報を元に、勝手に観測結果を吐き出し続けている。
そして、それはつまり――
「……う、ぐ」
あたしの方が、その滝のようなデータ量に押しつぶされることになるわけで。
現実の景色と、頭の中の光景に目をチカチカさせながら――あたしは、入部したての高久広美はバスクラリネットを杖代わりに、ようやっと歩いていた。
こういうことは、前にもないではなかった。
けれども、この頃はそれがなぜだか頻繁に、それも結構な長時間続くことがあって――どうやってこれを治めたらいいのか分からないまま、この暴走というか発作が落ち着くまで、なんとかあたしは日常をやり過ごしていたんだ。
いや、本当は分かっていた。
原因は、中学のときに誰も救えなかったことにあるんだって。
だからあたしの脳は、あたしの意思を離れて、どんどん他人の未来を予測していく。
もう取り返しなんてつかないのに、ここは中学のときの人間なんて誰もいないのに。
それでもそこにいる誰かを救おうと、躍起になってあたしに膨大な情報を押し付けてくる。
あいつはこのままだと人に当り散らして人間関係を壊す。あいつは志望校に落ちる。あいつは好きでもない男と好きでもないことをすることになるあいつは人を見下して喜ぶ人間になるいつも逃げ出して何もできない人間になる――
あいつは、あいつは、あいつは、あいつは――。
そういった嵐のような演算結果が強制的に流れる頭の中で、あたしはぬかるみに足を取られるようにして歩きながら、思う。
やめてくれ。
もう、そんな人が不幸になるところなんて見たくない。
あたしには何も救えない。
人が自分の運命を逆転できるかどうかなんて、結局はそいつの行動次第だ。
言ったところで何になる?
何もならないさ。気味悪がられてオシマイか、あたしの言ったことなんて忘れて、今まで通り行動して、いつの間にか自滅していくんだ。
だったら、あたしは――このまま、ただの装置になってしまいたかった。
学校の廊下を、ドロドロの沼に入るような気持ちで歩きながら考える。
何も感じず、ただ演算結果を述べるだけのシステムになってしまいたい。
そうすれば誰にも迷惑はかけない。
あたしという人格なんて、この機能の前にはあっても邪魔なだけだ。
消えてしまえば楽になる。
苦しみも悲しみも何も感じない。ただ人に問われたら答えるだけの機械。
その方がよっぽど役に立つ。
だったらもう、それでいいじゃないか――
そう思って、楽器を持ったまま倒れかけたとき。
「あ、いたいた」
不意に、前の方から妙にはっきりと、声が聞こえてきた。
顔を上げると、そこには一つ上の、チューバの先輩が――
あたしのことを覗き込んで、そこに立っていた。
「道に迷ってしまったのかと思って、迎えに来ました。大丈夫ですか?」
そう言って、あの人はあたしに手を差し伸べてきて。
冗談じゃなくそのとき、彼女の微笑みには後光が射しているように見えたんだ。
ああ、そうさ。
道になんて、とっくに迷っていた。
それを迎えに来てくれたのは、他でもないあの人だったんだよ。
なんのこたぁない。
結局あたしも、あの馬鹿弟子と同じく――
あの人に救われた者の、ひとりだったってことさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます