第3話

 次の日の放課後、部活動で花の絵を描いた。彼岸花の絵だ。友達や先生から珍しがられたし、やっぱり花を描くのは得意じゃなかった。後にも先にも、私がここまで真剣に花の絵を描くことはないだろうなと思った。

 その彼岸花は今まで描いてきた絵の中で一番の出来だった。水彩で描かれたそれは風でも吹けば揺れそうなくらいの現実味を帯びていて、川沿いの彼の横顔を彷彿させた。


 彼に見せてやろう。そう思い立って、私は早めに正門の前に立っていた。私が花に興味が無いように、彼も絵には興味を示さない。しかし、花の絵なら関心を寄せてくれるかもしれない。

 時刻は五時半過ぎで、もうすぐ彼の部活が終わるはずだった。彼は部活が終わると、ここで待つ私を迎えに来てくれる。なんと言って美術室まで連れて行こうかと考えているだけで、彼を待つ三十分はすぐに過ぎていった。


 そして六時ちょうどを回った時、彼は一人の女の子と一緒に現れた。照れくさそうにする彼と、後ろで私に軽く会釈をする彼女。隣のクラスの子だった。


「俺、彼女出来た」


 私は全てを思い知った。まるでパレット上の絵の具が全てグチャグチャに混ざってしまったような、そんな感覚を覚えた。それらは混ざりに混ざってどす黒い何かに変貌した。


「そっか、良かったじゃん。やっと出来たんだね」


 私は冷静だった。自分が思っていたよりもすんなりと受け入れられたことに、ホッとする私。ただ、今自分が抱いている感情が何なのか分からなかった。浮遊感だけが残る不思議な気持ち。彼はそんな私の複雑な感情を知る由もなく、私が一番恐れていた言葉を口にしようとした。


「それでさ、今度から――」


「てか、付き合ったんだったらちゃんと家まで送ってあげなよ。私は先に帰るからさ」


 私は美術室の鍵を握り締めて、そう言った。そして、何か言いたげな彼に「またね」と手を振り、彼女に同じように会釈をしてから足早に立ち去った。


 ――上手く笑えていただろうか。動揺を上手く繕えていただろうか。私は一人で歩きながら考えていた。彼女に変な思いをさせてないか不安だった。

 彼の幸せが私の幸せ、だなんて言えるほど広い心は持っていなかった。だけど、彼には幸せになって欲しかった。そのためには、私は邪魔者にしかならない。


「私のこと好きって言ったくせに」


 気づけば彼岸花の咲く川沿いに辿り着いていた。一昨日とは異なり、殆ど満開で一面は赤く染まっていた。ぼーっとそれを眺めていると、彼女は華道部だったことを思い出した。彼が花に興味を持ち始めたのは、彼女の影響だった。

 もう、私しか知らない彼は居なかった。これからは知っていることよりも、知らないことの方が増えていくのだと思うと、胸が締め付けられる。

 チャンスはいくらでもあったし、私が後一歩を踏み出せば思いは実っていたはずだった。それが分かった時にはもう手遅れで、彼は手の届かないところに居た。


 私の視界はぼやけていた。最早目から溢れ出る何かを止める術は見つからなかった。私は周りの目など気にせず、声を上げて泣いてしまっていた。

 冷え切った秋風は、私の濡れた頬を撫でて吹き抜けた。オレンジ色の空は快晴で、今日はいつもに増して眩しく見えた。


 これは私の人生の中で最も辛く、悲しい思い出であり、最初の最後の失恋だった。


 秋の深まりは儚く散る恋愛の如く、不意に訪れ、そして美しかった。

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追懐 たけおくん @takeokun

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