ライブラリー(遺思)
上村栗八
ライブラリー(遺思)
「ライブラリーは言われた。
まだ太陽が小さく、月が大きかった昔、地上は光で焼き尽くされた。
かの光、目に見えぬ生き物、地を汚す黒い水により、
神々は楽園を追われてしまった。
楽園への帰還を願った神々は、穢土の留守を任せるためにゲイゲンの山に一対の男
女を創られた。
そして神々は彼らの道標として我を授けられた。
ライブラリーは言われた。
産めよ、増えよ、地に満ちよ。神が戻るその日まで。我が導きに従って。」
教会には、集落中の子供が集められていた。
月に2度、年に20回。聖域からやってくる僧侶が聖典:ブックの教えを説きに訪れる。
「大したものだな、ヴィック。13の歳でブックの序文を暗記できるものは、
そういないぞ。」
ヴィックは聡明な子供だった。照れ笑いをする彼をよそに、僧侶は続ける。
「よし、今日の集会は終わりだ。
14歳の子の家には、来月、つまり3月の終わりまでに、我々が“お告げ”を伝えに行く。そうすれば、君たちも立派なゲイゲンの民として、それぞれの道を歩き始めることになるだろう。
それでは、皆にライブラリーの導きがあらんことを。」
「「ライブラリーの導きがあらんことを!」」
そびえたつ巨大な山脈はゲイゲンと呼ばれ、森林限界ちかくにある平地には幾つもの集落が存在していた。そこに生を受けた大半の人間は、子を産み、畑を作り、ヤマジカを育てて一生を終える。
しかし、幼いころにその知力を認められた一部の人間には、禁忌とされた下界に存在すると伝えられる聖域“ドーム”でライブラリーの教えを学ぶことが許されている。修行を積んだ彼らは、僧侶、石工、医師、守り手などの上位職としてゲイゲンにその生涯を捧げることになる。また、彼らに子を成すことは許されていない。
ゲイゲンの山々が赤く染まるころ、ヴィックは教会での出来事を得意気に話しながら、家族と夕食をとっていた。
ドンドン。
木製のドアを叩いたのは教会にいた僧侶だった。
「私は僧侶のブラフマだ。ヴィックのお告げを伝えに来た。」
「ああ僧侶様!お告げですって?うちのヴィックはまだ13才ですよ!」
対応した母親は大声を上げた。その声につられて、クロムシを口に咥えたままのヴィックも玄関に駆け付けた。
「ヴィックはまだ14歳ではない。働き手のお告げが来る歳ではないが、
君にはライブラリーの子としてのお告げがおりたのだ。」
母の絶句により、玄関は一瞬の静寂を迎えた。
「まぁ…ということは、ヴィックは僧侶になるのですね!」
「そうだ。」
母は感無量の涙を溜めて、その場で跪いてしまった。
ライブラリーの子としてのお告げを授かるというのは、それほどの名誉であり、それはヴィックも知っている。
「やった!!これでボクも偉い僧侶様になれるんだ!」
ブラフマは微笑みを浮かべると少年に手を差し出す。
「荷支度はいらない。さあ、行こう。」
純白の袈裟と頭巾の僧侶はヴィックの手を引いて集落を出ると、下界を目指して禁地である森に入っていく。ヴィックに家族との別れの時間は設けられない。そして彼は、二度とこの集落を訪れることはない。それが習わしだからだ。
初めて入る深い森にヴィックはそわそわしている。
「どうだ?禁地は怖いだろう。ここみたいに霊圧が高い場所は、我々が禁地にしているからな。幸い、君は霊圧酔いしていないようだ。」
「はい。怖いけど気分は悪くないです。」
「それはよかった。ひどい奴だと鼻血が止まらなくなるんだ。」
途中で野営をはさみながら、まる一日かけて聖地を目指す。ヴィックたちがたどり着いたのは夕方のことだった。
「卵だ!すっごい大きい!」
森を抜けた下界にあったのは地中に半ば埋もれた、
山ほどもある白く巨大な卵だった。
「着いたぞ。あれが聖地“ドーム”だ。
ライブラリーはあそこにいる。」
「え?ライブラリーが!あそこにいるの⁉」
近づいてみるとドームは所々崩れかけていて、その殻には穴も穿たれている。
それらは、集落でも見るような石の建材によって補修、補強されているのが見て取れた。
堅牢かつ巨大な石造りの大門をくぐるとそこは、少なくともヴィックにはこの世の地には思えなかった。白く堅い床が続いており、見上げた殻の内側は真っ黒だった。至る所で火が灯され、それを白、赤、青、黄…色とりどりの袈裟に身を包んだ人間たちが囲い、聞いたことのない言葉を交わし合っている。
「こっちだヴィック。」
松明を片手にブラフマはずんずん歩いていく。
大階段を下り、一行は地中に潜っていく。これもヴィックには神秘的な体験だった。
「見ろ。これがライブラリーそのものだ。」
そう言ってブラフマが照らし出したのは、板。
この地下室の壁面に張り付く。
巨大な、漆黒の一枚板だった。
「…?」
ヴィックにはブラフマが何を指してそう言っているのかがわからなかった。もしかしたら自分にはライブラリーの姿が見えていないのかと段々不安になってきた。
「この黒い鏡こそが、ライブラリーだ。」
ブラフマのその一言は、ヴィックを突き落とした。
ゲイゲンの民を救う預言者、神々が遣わした希望の導き手。
そう教えられ、信じ、心の支えとしていたライブラリーが。
物言わぬ1枚板だったことは、ヴィックの観念と名の付くものを激しく揺さぶった。
「今は口を閉ざされたが、500年前までは一時も休むことなく、その声と鏡に映した
風景や絵で、我々に叡智を授けてくれていた。」
「それじゃあ、もうライブラリーはいないの?」
「そうだ。しかし心配するな。ついてこい。」
今にも泣きだしそうなヴィックの手を握り、奥の部屋へ引っ張っていく。
「これだ。」
山積みにされた石板には知らない文字と、棒を持って卵の殻を被った人間や大きなキノコの絵などが書いてある。
「これは古の僧侶たちが、記したライブラリーの全てだ。
これを読むのには10年かかる。
新しい文字、言葉、数字も覚えてもらう。
私はもう30歳だ。
霊圧の高い下界に住む僧侶は寿命が短い。
霊圧のせいで子を作ることも禁止されている。
死期の近い僧侶には、1人につき3人まで弟子を貰うことが許されているんだ。
そこでヴィック。
賢い君ならこの石板を読むことができるだろう。
君は珍しく5本指だ、新しい数字にもすぐ慣れるだろう。
さあ、ゲイゲンに命を捧げる覚悟はいいか?」
ライブラリー(遺思) 上村栗八 @TKaho
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