番外編 宿の園
マジックテロから数日、未だ街には痛々しい傷痕が残り修復は捗っていない。理性を失った街人はアオイの作ったワクチンで徐々に魔力を体内から除去し、正常に戻す作業を続けている。長年目論んだ計画故根源となる魔力の塊マジックキューブと並行し、治療ワクチンを制作していたようだ。彼は本当に、ただ誰かに止めて貰いたかっただけなのかもしれない。
そんな都会の派手な話も、離れた田舎には余り届かない事柄であった。
「そう、ええ..大変でしたね。
こちらは平気ですよ、心配ありません
お気遣い有難う御座います。」
話す電話は指摘の電話、予約の電話を出るよりも珍しい光景だ。
「またお越し下さい、お待ちしております。それではまた...」
古ぼけた町にたる小さな旅館。女将は若く美しい見た目だが、齢は如何程か
「さて..玄関でも掃きましょう。」
客は余り来ない。が秘境としての扱いなので全くという訳では無く、宿は一つしかないので少ない需要に答えなければ訪問者すら消えてしまう。
「客のいない玄関も見飽きたわね、偶には人の影をみたいものです。」
「泊まってもいいの?」「へ?」
言霊という言葉があるように、魂が宿るようだ。口に出したら客が来た。
「ここに泊まってもいいかい?」
「お一人でのご利用ですか」
「そうだよ、泊まってもいいかい?」
問いかけるだけの少年はにんまりと口角を上げ、ただただ旅館に停泊がしたいと言っていた
「ご利用ならばお部屋を案内致しますが、料金の方はいかがなさいましょう親御さんや親戚の方などは...?」
「いないよ、僕はひとり。
お金は後で払う、絶対払うよ!」
「..かしこまりました。それならば、お部屋へ参りましょうか。」
「うん、ありがと!」
不気味な雰囲気を感じた。怖いという感覚とはまた違う、違和感に似た歯痒いというような微妙な感覚。
「こちら、お気に召さなければ隣のお部屋も空いておりますが」
「ここでいいよ、ありがとう!」
「そうですか...。それとお食事に関してですが、町には雨が降りません。ですので出せるものには限りが御座います。ご了承頂けますでしょうか?」
平和と健康を取り戻した事で、再び水は町にそっぽを向いている。循環する水も無ければ井戸も無い、となれば当然観光地としての威厳も無い。
「温泉は?」「...はい?」
「湧いていた温泉はどうなってるの」
「...湧き水が止まったので、今は穴がぽっかりと口を開けています。念の為手入れを施してありますが、湯はまるで..申し訳御座いません。」
深々と頭を下げ謝罪をした。この状況で客の存在を求めた事、女将としての振る舞いを望んだことも含めて。
「いいよ、そんなこと。」「え?」
「あなたが謝る事じゃない、それよりもありがとう。部屋に泊めてくれて」
「...いえ、そんな..。」
きちんとした客だ、疑問を持つべきでは決して無かった。知らぬ間に武者の間の鎧は、綺麗に脱がされ畳まれていた。
「では、失礼致します。」
案内をし、世話を焼いたら部屋を出る客と仲居などその程度の関係だ。いつからだろう、名前よりも『女将』と多く呼ばれるようになったのは。
「選んだ道とはいえ、己の名を忘れてしまいそうなときがあります。」
代々受け継ぐという程時代がある訳で無く、先代を務めていた女将の母が形見として残していったのがこの旅館。当然棺桶には入らず後継者は必然と娘である現女将へと渡った。
「あの頃はまだ、雨が降っていました不思議ですね。平和が訪れると、また騒がしさを求めてしまう。我儘な女ですね、手が付けられないくらい」
無い物ねだりは止まる事を知らないので、気持ちで無理やり切り替える。そうして名前も忘れてかけているのだが
「何もできないけど、せめて温かい布団を持っていって差し上げよう。」
いつもより高い布団で横になって貰い温もりを与える親切心は、既に掛け布団の安心感を超えている。
「お客様別のお布団お待ち..。」
部屋は間抜けの殻、用意した浴衣も着ていない。帰ったのか、そう思ったが礼を言うほど停泊を望んだ人間が容易に帰宅などするだろうか?
女将は宿内を探した、声を掛けながら廊下や他の部屋を巡り辺りを見廻したすると客人は、意外な場所にぽつりと姿を移していた。
「こんなところにいらしたんですか」
「探した?
ごめんね、心配かけて。」
「いえ、ご無事であればいいのです。
安心しました、お帰りになったかと」
「帰ったりしないよ。優しいね、どうしてそんなに優しくするの?」
「..大事な、お客様ですから。」
「そっか〜嬉しいなぁ。」
密接な関係性よりも、満足度を高めたい。それは旅館側ではなく相手の後の結果として『良い旅館だった』と、思われる事が出来れば有り難い。
「...やはり、温泉に浸かりたいですか?
こんな大きな穴が空いていてもね。」
浴槽の真ん中で棒立ちする少年は暫く何も言わず空を眺めていたが、気が晴れたのか徐々に口を開き、話し始める
「僕ね、記憶ないんだ」
「記憶が無い...ですか?」
「そう、目が覚めたら井戸の上で寝ていてさ。何をしたらいいかわからなかったからフラフラして遊んでたんだ」
全ての違和感が合致した。記憶を失い自我というものが覚束ないからだ。常にフワフワとし、掴み所が無いのは当然だったのだ。何故なら記憶という誰しもが持つバックボーンを彼は持たないからである。
「ずっとわからなかったんだ。何をすればいいか、でも今はわかってる」
「何をするおつもりですか?」
「うん、見てて。」
陳腐な問いかけだ、漠然とし過ぎてる名前もロクに知らない彼のする事など理解できる訳が無いのに。
「僕はね、雨だったんだよ
だからこの町に降らないといけない」
「雨、あなたがですか?」
少年の身体が濡れ、液体となり浴槽へ満たされる。それと同時に天の空は色を変え雨を降らし地上へ潤いを落とす
「あなた、もしかして..?」
「....わからない、だけど多分過去には君たちに迷惑をかけた。」
「また雨を降らせるんですか?」
「僕ができるのは、この一度だけ。
あとは、君に託してもいいかな?」
「え?」「受け取ってくれ。」
肌で感じていた違和感が心臓の中へ、過去の名前の無いそれは
現代の言葉で〝エレメント〟そう呼ぶ。
「さよなら、そして有り難う
僕はずっといつも君の中にいるよ。」
「うっ..やめてください、私は唯の女将です。この町の雨なんて荷が重過ぎる。なんてことを..!」
雨が上がったその町で、その後大きな変化があった。作物は以前よりよく育ち、温泉や湧き水が再び溢れ、他所からの観光客も増えたという。
「最近忙しそうだね女将さん!
どたばた駆けているのが宿の外からでもわかるよ!」
「騒がしくして申し訳御座いません。
私一人でやっているものですから腕が回らなくて大変で。」
女将は最近やる事が随分増えたという宿の仕事は勿論、食材の仕入れ、そして合間を縫っては分厚い本を取り出して水を操っているとか。
「それよりあれ、本当にやるのかい」
「..ええ、私なんかが生意気だとは思いますが。本腰を入れてみようかと」
「いいじゃないか、やるべきだ。
そういうの全国展開っていうの?
頑張んなよ、直ぐに大繁盛だからさ」
「そんな大袈裟な、別の箇所にも幾つか宿を拡げるだけです。ここにはもう充分〝雨〟を降らせたので。」
恵みの水の原理がわかった
偶々掘り起こしたのでは無く、エレメントが水を運んでくるのだった。ならば他の箇所でも掘れる筈、そう思った
女将は遂に、町を出るのだ。
「目につけばお越し下さいませ。
私の宿はいつでも大歓迎ですから!」
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