10話 汚水の生態

野性を捨てた生物は、何処にいくのだろうか。

造られた人工的な環境に順応する?

不満を持て余し反発を煽る?

違う、自我を失い感情や精神すらも人工的に造り替える。正しくいえば、都合の良い配置に組み替えられるといったところだろうか。


「イルカー!」


水面を跳ね、バラエティ豊かな色彩の輪を潜る進化した哺乳類は音波のような声を上げ歓声を汲み取っている。


「ねぇ見てバリーちゃん、イルカ!」


「見ればわかります。

何でまたついてくるんですか、僕は魚を眺めに来ただけなんですがね。」


水族館を好む多くは水槽を泳ぐ静かな魚を眺めるのが好きだからだ。派手なものは改めて見る必要が無い、騒ぐ必要の無い程目立つものを、深く観察するよりも細かい脇役に目を凝らしたい。


「と、少なくとも僕は思っているのですが。ショーなど興味ありません」


「何それ、暗いね!

私は一人の小旅行で大いなる者の有り難みを知ったのよ、不思議よね。今までの人生が皆あそこに繋がっていた気がするのよ。」


「幻想ですね、確実に。

偶々を必然のようにしないで下さい」

 神に触れ、思考が止まったようだ。

精神や絆など、物理的な物に重きを置き過ぎると脳は最早機能を失う。情をもたず、知識に重きを置く者からの現実的な助言は果たして届いているか。


「ん、あれ?」「どうしました?」

イルカの様子が変だ。さっきまで軽快に芸を披露し、朗らかに見えた表情が一変し、反逆のような響きを感じる。


「飼育員さんをヒレで叩いてる。

嫌だったのかな、凄く乱暴になった」


「それはありませんね。

イルカは温厚で理性があるので環境に順応します。人に危害を加えることは決して無いと思いますよ」


「そうなの?

じゃああれは何でだろ、具合悪い?」

体調による変化は見られるが、病気の類では無い。確実に意図的なストレスを与えられた突発的なものだ。


「どうしたの、ムルちゃん?

おかしいな今朝はこんな事なかった」


「当たり前だ、オレが今やった!」


「誰!?」

ステージに突如上がる大柄な男。

何者かは知らないが、これが意図的なストレスだ、イルカが悶える原因だ。


「何、あれ演出かな?

ものすごく悪役みたいな格好してる」


「前向きですね、貴方。」


謎を置いてけぼりに事件が起きようとしている。となれば探偵の管轄外だが慌てふためく観客の渦の中、出口へ向かうのは困難だ。


「こうなったら私が杖で..」


「やめた方がいいですよ、嫌に目立ちますから。というよりやめて下さい」

お連れが事態を終息させる魔術師となったらひっそりとした謎解きがしにくくなる。


「でもどうするのよ、あのままじゃ」


「大丈夫ですよ、相手は飼育員です。

イルカを傷付けられたとあっては、温厚なおもての顔も剥がれます。」


「あぁん..何だ、やるってのか?」


「先に危害を加えたのはそっちです」

 手元にはめたグローブから魔法陣を練り上げ水の弾丸を複数発射する。男はそれを軽く手で払い口から火球を放ち魔法陣を破壊。


「なんで?

相性は勝る筈なのに、効かない..。」


「ハハッ..ばぁ〜か、魔法技術のレベルが低いんだよ。スキルを大幅に上げて出直してこいダメテイマー」

魔法の鍛錬はイルカの飼育と両立して充分に行ったつもりだが、それでも足りなかった。これではイルカを護る事が出来ない、己を悔いた。


「諦めたか?

ハハ、ならイルカを貰っていくぜ、こいつは〝移動手段〟にイイからよ!」


「もうダメだ、仕方ない私が..」


「待ってください。」 「何よ。」


「もう一人います、真上に」「え?」

男の頭上を跳ぶ人影が、ステージに着地する。なにも飼育員は一人ではない


「あぁん..何だお前?」


「見過ごせないなぁ

ムルを狙っているのかい?」


「だったらなんだってんだよ。」


「ナンセンスだと言っている、今すぐ立ち去れ。さもないと火花が散るぞ」


アシカ専門飼育員 ジョー・マドン

普段はアシカショーや餌作りをしているが、異常事態を聞きつけ本能のままやって来た。雷のエレメントを持つ。


「なんか凄いのがきたわね」


「エンターテイメント性は人一倍ありますね。生き物より目立ちますが」


「ジョーさん」


「ミロク、ムルの管理を。」「はい」

再度魔法陣を生成し、水中で荒れ狂うイルカの様子を保全する。


「何だお前、スーパーヒーロー気取りかよ。気持ち悪りぃなぁっ!」

先程よりも大きさを増した火球を連続して三発、ジョーへと放つ。


「僕をヒーローと例えるなら、君自身が悪だと自覚があるって事だよね?」

 火球の表面を掌で軽く撫でると発生した雷が球を包み込む。遅れて飛んだ他の二発も重なり、大きな雷撃のボールを発生させる。


「返すよこれ、僕はいらないから!」火を包んだ雷球を蹴り飛ばし、男目掛けてシュートする。男は受け身を取る間もなくそれを腹に受け悶え、膝を落とす。魔法技術の勝利だ。

「ぐぅ..無茶させる、痛ぇぞ!」


「ムルに危害を加えたからだ。あの子がお前に何をした?」

水を楽しげに泳ぎ、芸を見せ皆を楽しませていただけだ。


「お前に支配される権利はどこにも無い、恥を知れ!」


「素敵ね、ジョー・マドン..!」


「あれも祭りの一環ならいいのですが私物化されると胃がもたれますね。」

誰しもが焼肉を好む訳では無い、祝いの場として喜ばれるものは人によって異なるのだ。探偵は肉が苦手だ。


「けっ、正義気取りかよ!

良い顔してやがれ、今に見てろよ?」

男はそれだけ言い残しステージを降り去っていった、正に演出のように。


「ムル、正常化しました!」

「そうか良かった。

みんなお騒がせしてスマナイ、僕の名はジョー・マドン。普段はアシカのショーを担当している、今はムルが疲れ果て行う事が出来ないがまた機会があれば、どうかイルカショーを楽しんでいってほしい。アシカショーもな!」


手を振り観客に願いを乞うと、歓声が沸き手を振り返す。正に英雄といえるスーパーヒーローがそこにいた。


「ジョー・マドン!」


「..やれやれ、すっかりファンですか

この雰囲気苦手ですね。降りて肺魚の観察でもしてきましょうかね」

ここでは苦しく呼吸が出来ないので、陸に上がって呼吸をしようと会場を出た。元々水槽をじっくり拝みたかったのだ、ヒーローショーなど興味無い。


「そういえばあの男、おかしな事を..〝移動手段〟とは何でしょうか?」


「あれ、バリーちゃん何処いった!?

もー勝手にいかないでよー。」

「行きますよ、僕は勝手にいつも」


➖➖➖➖➖➖


 「おい、少しやり過ぎじゃねぇか?

予定より随分効いたぞ!」


「悪いな、少し張り切り過ぎてしまったよ。やはりステージに上がると熱が入る、僕の主戦場だからな」

舞台裏は文字通り裏側の見える領域でありシークレットな空間、見せるべきではないものがそこには溢れている。


「しっかし上手いことやったよな、いくら効率良いからって水族館に馴染んじまうとはよ!」


「当たり前だろ、『俺』を誰だと思ってる。名を言ってみろ、ガジル」


「名を言えだぁ?

今更呼べってか、これだから目立ちたがり屋はいけねぇぜ、なぁジョー!」


「そう、俺こそがジョー・マドン。

ステージの英雄、稀代の神だ」

根っからの英雄気質のジョー・マドンは役作りなどしなくともステージに馴染む事が出来る。水族館のショーという意味合いでは無くても自身がステージと決めた場所ではいつでも英雄だ。


「どういう事ですか、ジョーさん..?なんでその男と一緒に...」


「あぁん?

なんだ、さっきの女じゃねぇか。」


「グルだったんですか、裏切り者!」

水の弾丸は雷のエレメントと相性が悪い。その上激昂した標準では、的に当たる筈も無し


「悪い、アンチは相手にしたくないんだ。君に鼓膜は使えない」


「かっ..!」

全身を雷にやられ、内側にまで麻痺が拡がる。水のエレメントが身体の根本深くまで衝撃を与えた。


「ハハ、こりゃ痛ぇだろうなぁ。相性が悪過ぎる、文句言うからだぜ?」


「言うなガジル。相手が俺だ、嫉妬するのも理解は出来る。..だがまぁそうだな、ムルは頂いていくとしようか」


「...!..ダ、メ..!」


「またアンチ?

いい加減うるさいよ、君。」

エネルギーを込めた雷の球、飛ばされてしまえば確実にエレメントが破壊される。既にひび割れ、崩れているというのに耐えられる筈が無い。


「さよなら」「う...くうぅっ..!」


「そりゃあ!」「なんだ、杖?」

大幅に逸れた雷球は近くの壁に打ち当たり、盛大な穴を開けた。


「やってくれたわね、ジョー・マドン

初めからずっと気付いてたんだから」


「やれやれ、またアンチか。

英雄ゆえの嫉妬は辛いな見苦しい」


「ここに着くまで絶対信じませんでしたけどね、僕は正当なアンチですが」

捻くれ者の探偵は真っ直ぐな正義を必ず否定する。正しい者は、目立つ場所で陳腐な事を決して語らない。


「何故わかった?

俺が一枚噛んでいる事に。」


「何故?

正気ですか。これ程の事、アイテムを拾うまでもありません。」


「アイテムだぁ、何モンだてめぇ?」


「ただの探偵ですよ。貴方が何枚物をかじってようが知った事ではありませんが、水族館に対する僕の探究心を欠いたので赦しはしませんよ?」


「上等だてめぇ!」


「面白いアンチだ、英雄が耳を傾けてやろう。光栄に思え..!」


「バリーちゃんが、感情を剥き出しにしている...珍しい!」

冷静で表情の薄い人間は、いつ如何なるときにどういった感情を出すかをわきまえている。大人しい人が怒ると怖いのは、適切なタイミングで怒りの感情を最大限引き出しているからだ。


「バイラルさん、彼女に治療を」


「あ、はい!

大丈夫ですか〜飼育員さん?」

 治療魔術ヒーリング・キュアを倒れるミロクへ振り掛ける。身体の麻痺と痛みが徐々にではあるが解けていく。


「少しそのままにしていてください、直ぐによくなりますから。」


「俺のイカズチを治療するか、お前なかなかやるじゃないか。」


「これでも魔術講師なの、私は!」


「ガッコの先生がオレ達の相手かぁ?

舐められたもんだぜ..ったくよ!」

再びの連続の火球攻撃、といってもバイラルにとっては初見の術だ。


「何それ、もしかしてバカにしてる?

食らいなさい、ボルケルク!」

杖の先端から火炎を放射し火球を打ち消し、巻き込むように範囲攻撃。前方の標的を広範囲で燃焼する。


「あちぃ〜!て、てめぇ!

一人だけ盾作ってズリィぞオラ!」


「この程度で傷を付けてはエンターテイメント性がないだろう?」


「元より貴方に

そんな素質はありませんよ。」


「...何?」

嫉妬と揶揄された純粋な怒りを持つ者が漸く目を見開き腕を構えた。


「何のつもりだミロク、お前ではこの私には決して辿り着かんぞ」


「だったらなんです?

...それに勘違いです、己を驕るな!」


右の掌にエネルギーが収束する。強く濃い、水のエネルギーだ。


「なんだあの力は?」


「..火のエレメントやそれと対をなす水のエレメントは、身体の中にとある〝要素〟を取り入れると飛躍的に力を上昇させるそうですよ。」


「とある要素?」


「そうですね。

説明するのは困難ですが、それを取り込む事の出来る食物が存在します。」

聞き覚えは無いだろう、知る者はそう町を護る神様くらいだろうか。


「ミネルヴァの羽」

火はより熱く、高らかに。

水は唸りを上げて、より太く。


「いでよ、リヴァイアサン!」

災いは海を護るためならば正義を掲げた良質な矛となる。


「なんなんだアリャ!

水のバケモンかよ、おっかねぇ!」


「聞いてなかったのか?

神の息吹だ。こちらもやむえないな」

雷の盾を前面に展開し、水の塊が押し寄せるであろう範囲を事前に覆った。


「ハッハ、これねら無事だ!

水はオレ達に遠らねぇだろうな!」


「無事で済むと思ってるのかしらね?

受けなさい、蓄えた力!」

雷のエレメントは基本的にコーティングや防御に使われる事が多く、刺激や範囲が広い分衝撃を吸収する役割に長けているのだ。しかし今回繰り出すのは完全な攻撃性を持つ、与える衝撃に特化したオリジナルの応用術。


「ライトニング・ドラゴン!」

輝きを放つ雷の翼が水を擦り抜け乏しい盾を砕き崩す。


「おい、これってマズくねぇか?」


「確かにステージが崩れつつあるな」

かつて争っていた神々は折り重なり二対のエレメントを持つ魔法となった。

新たな歴史は盾を割り、邪を洗い流し

息を切らした愚か者を野放しにする。


「ぜぇ..はぁ...やってくれるぜ..!」


「エレキ・チェーン」

雷の鎖が拘束し縛り上げる。


「やってくれるね..英雄を拘束か?」


「まだ足りません、バイラルさん。

木属性の拘束魔術を上から頼みます」


「はいな!

フォレスティ・スネーク」

鎖よりも強く縛り上げる拘束の魔術、雷の魔法に重ねる事で更に強力に。


「うっ、はは..これは結構堪えるね」

雷のエレメントでは木に対抗する気力は無い。他の関係性とは少し異なり、『雷<木』の場合ではどれだけ密接に触れているかで与える影響が変わる。


「悲劇はまだ演じた事がないな。」


「そんな事はどうでもいいです、聞きたいのは貴方達の目的です。」


「俺達の目的?

おかしいな、君は余り人に関心を持たないような印象があるのに」


「ええ、関心はありませんよ。貴方がたには決して。しかし野放しにした暗躍が僕に支障をきたす要因となる可能性があるとなれば迷惑ですからね。」

 究極の一人よがりだが明確な判断だ煩わしい要素を早期に潰しておく、安定を図る為の適切な処理である。


「けっ!

見ず知らずのてめぇに話すと思うか」


「..脅しは余り好きではありませんが貴方に直接的な怒りを抱えている方がいる事をお忘れ無く。」


「……!」

未だ掌を構え睨みをきかせる飼育員。


「..ちっ、逃げ場無しってかよ」


「いいから話しなさいよ。なんで水族館を襲ったのか、イルカがそんなに欲しいのか、教えてくれる?」

火のエレメントを持つ大男は頑なに口を割らなかったが、以外にも口を滑らせたのは、自らを稀代の英雄と語るあの男の方だった。


「俺達は個別のエレメントを持つ者で集められた魔術師組織、簡単な言い方ならテロリストだと思ってくれていい


「テロリスト?」


「また物騒な輩ですね..。」


「目的はあらゆる魔法を一つにし、国境の無い一つの世界を創る事。イルカはその中の水の聖域の移動手段として使おうとしていた。」


「おい、喋り過ぎじゃねぇのか?」


「仕方ないだろ..拘束が結構キツいんだよ、情けないが結局大事なのは自分の命ってワケだ...。」

通常であればこうも簡単に口を割る筈も無い。極限の状態に追い込まれ、逃げ場も無いとあっては粗方を話し開放を促すしか楽になる方法は無い。


「国境の無い世界とは具体的にどういった形のものでしょうか?」


「....魔術の色を火、水、木、雷と分け四都市を中心に国を合併し一つの大きな国を創り上げる。壮大だろう?」


「ええ、興味の薄れる程に。

規模が大きなものに上質な謎は生まれませんからね、価値が見出せません」

壮大な計画というよりは盛大な我儘。

柔く受け入れる程探偵は温厚じゃない


「はっきりと申し上げます。

貴方達は決して魔王にはなれません」

魔物を斬り捨てる、勇者の渾身の一撃。

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