*10* お酒の恨みは恐ろしい。
突如として食事の席に現れた女性は、何故か怒りに燃えている。緩くうねる豊かな金髪を後ろで編み込み、顔の両側は輪郭を縁取るように流しているけれど、あんまり整った顔立ちに思わず耳許を見てしまう。
ここは異世界で巨大なナメクジもいるのだから、てっきりファンタジーではお約束の美形種族、エルフさんかと思ったのだ。でも残念ながら彼女は人間でありながらその美しさを持った人種だった。
青紫色をした目を金色の睫毛が縁取る様は、まるで指輪の台座に乗っている宝石みたいだ。華奢な身体にそぐわない胸元と、細い腰は同性であってもつい見入ってしまうけど――。
「誰が“うるさいの”ですって? そもそも貴男がこちらの仕事を、正式な依頼も請けずに横から奪ってしまったのが問題なのでしょう」
妖精めいた美人さんはいきなりお怒りが爆発寸前な様子で、私達がご飯を食べている席までやってくると、ダンッとテーブルを叩いた。その衝撃でテーブルに積まれていたお皿がカチャカチャと鳴り、慌てて倒れないように支えた私の方を見たウルリックさんが小さく頷く。
そして面倒くさそうな態度を隠しもしないで、残り少ない麦酒のジョッキを傾けながら美人さんの方へ顔を向けて鼻で嗤った。
「そっちこそまだそんなことを言ってんのか。肝心なところで使い物にならなかった役立たずが。俺達が通りかからなかったら悪くて全滅、よくて半分も生き残れなかった。違うか?」
明らかな挑発に美人さんが「なんですって?」と顔を真っ赤にするけれど、本当に何でこんなに置いてきぼりなまま巻き込まれているのか。たぶん私が気絶したあとに出てきた人なんだろうけど、そういえばウルリックさんの言うように、あの場でこんな美人さんを見た記憶はない。
しかしこっちは暢気に気絶していた立場で、あのあとに揉めた二人を仲裁する術はないから、ここは下手に口を挟まず大人しく追加注文した麦酒とイカリングを待つことにした。
するとそんな私に見覚えのある方の男性が「食事中に騒がしくしてすまない」と、謝罪を口にし困った様子で微笑みかけてくれる。女性とは違いこの人は冷静な様子だ。
「あ、いいえ。それよりもその節はありがとうございました。おかげで痕も全く残りませんでした」
「いや、お互い様だ。君がいなければこちらの命がなかった」
栗色の短髪と明るい茶色の瞳をした男性は、がっしりとした体格なのに随分と穏やかな口調だ。けれど爽やか系な文武両道というよりも、寡黙でコツコツと仕事をこなす雰囲気。
身長はウルリックさんより僅かに高い程度で、年齢もたぶん同じくらいだろう。怒っている女性に「イドニア、食事の席に押しかけてまで恥の上塗りをするのは止めろ」と声をかけてくれた。
どうやら女性はイドニアさんというらしい。栗色の髪の男性にそう言われ、イドニアさんは悔しそうに唇を噛む。先に名前を聞いてしまった手前、こちらも名乗った方が良いのかと悩んでいたら、向かいに座るウルリックさんがコツンとテーブルの下で私の爪先を蹴った。
たぶん“余計なことは言うな”ということだろう。こちらも“了解です”と彼の爪先をコツンとやり返した。するとウルリックさんは猫のように目を細めて笑ってくれる。うん、正解だったみたいでちょっと嬉しい。
「全くだな。こっちはせっかく弟が目を覚ました快気祝い中だってのに、いい迷惑だ。そっちのアンタは腕は悪くなさそうだが、こんな聞き分けのないお嬢様の子守か。ご愁傷様だな」
今度は男性の方へと挑発的な発言をするウルリックさん。でも無意味に噛みつく人ではないから、これも私が気絶していた間に一悶着あったのだろうと黙って観察に徹する。でもイドニアさんは、不満そうに男性を睨んで「ガーランドはどちらの味方なのよ」と言う。
男性の方はガーランドさんらしい。結構あっさり名前を入手できてしまったけれど、異世界は個人情報が緩いのだろうか。イドニアさんに責められたガーランドさんは「子供のような真似をしなければ、君の味方だ」と首を振る。
イドニアさんのあしらわれ方を見るに、もしかして私と同じくらいの年齢なのかなと思っていたら、ガーランドさんにそう言われた彼女は綺麗な顔を不愉快そうに歪めた。
「だそうだ。高い護衛料金で雇われたくせに、肝心のところでミスジにビビって詠唱もできないような魔法使いはさっさと失せろ。俺も弟もゆっくり飯が食いたい。それと依頼ってのは成功させたもん勝ちなんだ。しっかり憶えとけ」
けれどそうたたみかけるように言ったウルリックさんに、イドニアさんが「己の詠唱も持たない魔導師
先に散々煽ったのはウルリックさんだけど、いきなり乱入してきたのはイドニアさん。私はウルリックさん陣営のウルリックさん贔屓なので、当然彼の味方だ。
「えっと……イドニアさん。
空気は読むものな前世の国民性を活かし、下手に出つつも相手を居辛くさせる私の発言は、どうやら功を奏したらしい。周囲のテーブル席から非難の視線が一気に集まった彼女は居たたまれなくなったのか、ガーランドさんに庇われて小さくなっている。そうしていれば本当に綺麗な人なのにな……。
テーブル席から離れる直前に振り返ったガーランドさんが、私達の食事伝票を手にして「外で待っている。埋め合わせをさせて欲しい」と頭を下げてくれたけれど、楽しかった食事の席はお通夜状態。
向かいでお代わりの麦酒を無表情に飲むウルリックさんを見ていたら、レテプトの町で飲んだ楽しいお酒の席を思い出して寂しくなった。イカリングは美味しいけれどこれではいけない。だってもう私の中でお酒は、親しい人と楽しく飲むものだとインプットされてしまったから。
そこで無表情なまま黙々と麦酒だけを口にするウルリックさんに向かい、さっきの二人を捕まえて仕返しをしないかと持ちかけてみる。提案を聞いた彼は最初は嫌がったけれど、徐々に私の仕返し内容に興味を持ってくれ、最終的にとっても乗り気になってくれた。
それどころか「オマエの発想はいつも斜め上で良いな」と褒めてもらえ、ついでにちゃっかり「あの時みたいに名前で呼んで下さいよ」と言ってみたら、彼は一瞬だけ子供みたいな無防備な顔をして。
すぐに皮肉っぽく唇をつり上げ、頬杖をついたまま「今回アカネの実験台になるのが俺でなくて助かった」と笑う。その言葉に「失礼ですね」と返しつつ、胸の内がワクワクと疼く。
異文化の食はある意味ファンタジー。
前世の食はある意味
転生させてくれたお爺ちゃん神様、ごめんなさい。私は一回だけ悪いことを考えついてしまいました。
「だって生魚が食べたくてここまで連れてきて欲しかったんですよ」
お酒の席を台無しにしたあの人達には、どの程度ならウルリックさんが抵抗なく生に近い状態の魚を食べられるか、見極める試金石になってもらおうと思います。
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