*9* 洋画とかで見るやつだ。


 次に私が目を覚ましたのは、フカフカのベッドの上だった。見上げる先にはいつも泊まるお手頃な宿屋ではまず見ないような、豪華な箔押しを施された壁紙をあしらった天井。


 何がどういう状況になっているのか分からずに一瞬思考が停止する。けれどひとまず周囲の景色を見ようとベッドの上で身動ぎをすれば、誰かが近くで椅子を引くような音がした。


 その音につられるようにそちらを向くと、不機嫌そうなウルリックさんに「ようやく目が覚めたかこの馬鹿」と悪態をつかれた。怒鳴られるよりも平坦な声音の方が凄みを感じる。


 怯えつつも最初に視界に入った人物が彼であったことにホッとして、何とか怖々「お早うございます」と答えれば、ウルリックさんが「お早うじゃねぇよ。何を馬鹿面で三日も寝こけてんだ」と言う。


 その言葉に驚いて飛び起きると、直後に頭痛を感じて眉間を押さえる。するとまた呆れた声で「空きっ腹で急に飛び起きるな。たぶん貧血だろ」と笑われてしまった。眉間を押さえた手にはミスジの酸で火傷したはずの痕跡が全くなく、痛みどころかそんな事実さえなかったことのようだ。


 けれど記憶の中にはしっかりとあの気持ちの悪いミスジの姿が残っていたし、何よりも気を失う間際に聞いたウルリックさんの声も憶えている。


「その節は約束を破ってご迷惑をおかけしました。それにつきましてはこれから道中でバンバン用事を言いつけて下さい。でも、あの……助けた人達は無事だったんでしょうか?」


「その説明なら後だ。何はともあれ取り敢えずそこの水差しの水でも飲んで、腹に何か食い物を入れろ。寝てる間中ずっと人外な音がしてたぞ? そのおかげで死んだように寝てても生きてるってわかったんだがな」


 そんな風に口では意地の悪いことを言いながらも、薄日の差し込んでいるカーテンを開けようと窓辺に向かってくれる彼は、やっぱり優しい人だ。モソモソとベッドの上から床に足を下ろした私を振り返ったウルリックさんが、不意に「驚くなよ?」と意味深な発言をする。


 何のことか分からず首を傾げた私の前で、彼が若草色のカーテンを一気に開けた。そして窓の外に広がる景色に私が言葉を失う姿を見て、ウルリックさんはひどく愉快そうに「オマエが暢気に寝てる間に、海の街ポートベルにご到着だ」と。深い青一色に染まる窓の外を背に笑う。


 病院のベッドでいつも夢見たテレビの中の景色がそこにはあって。感極まって泣き笑いを浮かべた私にウルリックさんは一瞬口を開きかけ、けれど何も言わずに笑ってくれた。


***


 私が倒れた後の話は食事をしながらしようということになり、荷物を纏めて外に出たのだけれど、てっきり私がお高い宿屋だと思っていた建物は、ポートベルにある病院だった。


 この街の主な産業は大型帆船を使っての外交や商売だそうで、港街にはああした病気や怪我に備えた大きい病院があるのが普通なんだとか。


 ただ当然というかお偉い人も運び込まれる病院とあって、入院費用や治療費はかなりお高いし、通常一般人が入るには偉い人の紹介状がいる徹底ぶりだというから驚きだ。


 ではどうしてそんなコネがない私があそこに入れたかというと、ウルリックさんが助けたあの馬車に乗っていた人達が、このポートベルでも結構大きな商家の奥さんと子供だったらしい。


 二人はウルリックさんが助けた後、近くの小さな村に逃げ込んで奥さんが村人に事情を話し、雨で足止めをされていた冒険者達に現場へ向かってくれるよう依頼していたそうだ。でもその時にはもうウルリックさん達は馬車の轍を辿って村に向かっていたから、結局は村で合流できたみたい。


 戻った奥さんから報告を受けた旦那さんが、すぐに病院への紹介状を書いてくれたというのだから、世の中不思議な方向に転がるものだなぁと感心した。


 私の目が覚めたらお礼がしたいから訪ねてきて欲しいと言われたらしいけど、ミスジを倒して出てきた大きな魔石は他の護衛の人達が売ったお金を辞退したとかで、所持金には当面心配がない。


 何よりウルリックさんが「金持ちにかかわると後々面倒なことになるからな」と言うので、ならもうこの話はいいかということで落ち着いた。


 そこで快気祝いと勉強も兼ねて、ポートベルに来る切欠となった海鮮を扱っている酒場に入ったのだけれど――。


「オマエの言うように海の魚も悪くはないな。しかしわざわざここまで足を運んで食うようなもんでもない気はする。こう言うと何だが、川魚じゃ駄目なのか?」


「駄目ってことはないんですけど、川の魚とはまた旨味が違うと思うんですよ。川魚は淡白じゃないですか。私はどっちも好きですけど」


 これぞ“海の男”という荒くれ者なお客さんで賑わっている店内で、そう空気を読まない発言ができるウルリックさんに思わず感動してしまう。前世が日本人であっただけに、空気は吸うものという判断基準を持っていないから余計に。


 ただそのせいで漁師さんぽいおじさん達の視線がビシビシ刺さるけど、そんな中での食事はなかなか経験できないことなので面白い。何よりもお腹が減っているせいで人の視線に構っている暇がないのだ。


 向かいで「病み上がりにどんだけ食うんだか」と苦笑する彼に「胃と心臓が直結なので」と告げて、五皿目の貝のソテーを平らげ、忙しくテーブルの間をすり抜ける店員のお姉さんに麦酒を二杯とイカリングを一皿追加した。


「安心しろ、オマエが食ってる分には何でも旨そうに見える。こっちがそれに期待して口にした時に若干裏切られた気分になるだけだ」


「それって褒められてるのか貶されてるのか分かりませんよ。第一、どんな食べ物でも口から摂取する分には何でも美味しいです。咀嚼して味わえる贅沢を楽しめないなんて、人生の半分は損してますよ」


「そりゃこっちは人生の半分を食に割いてねぇからな」


「明日の朝お爺ちゃんになってたら分かりますよ。若い内にもっと噛み堪えのあるものを食べとけば良かったーって」


 だけど私の言葉に「どんな状況だよそれは」と笑うウルリックさんの評価は、あながち間違っていない。それというのも、どの料理も調理法が揚げるか茹でるしかなかったからだ。茹でるのはともかく、揚げるのであれば食材に海も川もあってないようなもの。


 それにせっかく取れたての海の幸なのにこの国では……というか、前世でもそうだったけれど、異世界ではあまり魚を生で食べる習慣がないらしい。でもイカはそもそもあがる種類が違うのか、ややアンモニア臭くて生食には向かなさそうなのでこれは致し方ないけれど。


 勿論タコはここでも論外。どのみちあがるのは巨大な水ダコだから食材としては手に余る。ウニや甲殻類は普通に食べるみたいだから、まだウルリックさんに海の幸を見直させるチャンスはあるはずだ。


 お醤油がないからお刺身とはいかなくても、せめてカルパッチョくらいは食べてもらいたいのに、この国はその文化からも少し外れているみたいで、たぶんすぐに生魚を食べてみてと勧めても拒否されるに違いない。


 けれどどう食べさせようかと思案していた私の背後から「やっと見つけましてよ」という、涼やかな女性の声がかけられて。


 その声の主を見て「うるさいのが来やがった」と舌打ちをするウルリックさんの言葉に振り向いた先には、見覚えのないきつめな美少女と、見覚えのある栗色の短髪に明るい茶色の瞳をした青年の姿があった。こういう身に覚えのあるのかないのかという場面で、言ってみたい台詞があったっけ。


「確か……トゥー・ビー・コンティニュー?」

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