*6* ところ変われば。


 滞在一日目はレシピを売ったお金は、ウルリックさんの采配で山分けに。彼はそのお金を使い傷みが出ている弓と矢を修繕に出し、私は身繕い用の小さな櫛と手鏡を買った。


 でもやっぱりというか、調味料錬成の魔法については『へぇ、妙な魔法もあったもんだな』の一言で片付けられてしまったのは、情報の開示が早すぎたことを悔やんだ。


 確かに魔法が存在する世界でこれを魔法というには、あまりにお粗末なのでそこは仕方がない。もっと出せる量を増やせば多少は見直してもらえるかもという希望は、まぁ、まだ捨てないで取っておこうと思う。


 その後は胡椒の小瓶の中身を三等分し、別々のお店に日にちをずらして買い取ってもらうことに決め、売り切った金額から取り分の相談をしようということで保留。翌日に買い取りをしてもらえそうなお店を下見がてら、町中を散策していると、そんな中である興味深いことを発見した。


 どうやら色んな地域の出身者が多いレテプトの町では、実店舗のある飲食店と同じくらい屋台の店も多いらしいのだ。


 従って町中を歩くだけで様々な方向から胃袋への攻撃を受け、その都度どれだけ腹筋に力を入れて持ち堪えようとしても、お腹の虫が飢えた獣のような唸りを上げるので途中で諦めた。単純な欲求ほど戦うのは難しい。


 何よりウルリックさんが『どこも屋台で大した値段じゃないんだ。店によってはオマエが知らない調理法や調味料があるかもだぜ?』と甘い誘惑をしてくるので、それじゃあ……と。


 そのウルリックさんの発言が大当たりで、屋台の中にウスターソースによく似たものを使っているお店や、ケチャップに似たソースを使っているお店もあった。交渉してどちらも少量ずつ分けてもらえた時は、興奮しすぎて危険人物扱いされてしまったけど。


 両方の店主に話を聞けば、どちらもこれから目指している海沿いの街からここへやってきたという。それを聞いたウルリックさんが『やっぱ海の貿易路を持ってる場所は強いな』と感心していたけれど、私にしてみれば食べ歩きという提案をしてくれた彼の観察眼に感動した。


 残念ながらマヨネーズはなかったけれど、ウスターソースとケチャップだけでも大収穫だ。次の町に行けばここより海に近いはずだから、きっとレシピも売れる。


 そこで二日目、三日目と勉強と称して食べ歩きをしながら胡椒を売ったり、ちょっとした買い物を楽しんだり。お財布に少し余裕があるからと、滞在期間中の三日間はお風呂のある宿屋にも泊まれたのはいいのだけれど……。


 私が錬成した胡椒は、商店主からどこで仕入れたものかをしつこく聞かれ、そのたびにウルリックさんがのらりくらりとはぐらかしていた。隣でハラハラしながらその様子を見ていると、彼は決まって『アンタの勢いのせいで弟が怖がってる。ものを買う気がないならよそにいくぞ』と相手を試す。


 すると相手は渋りながらも諦めて交渉に入ってくれるのだ。


 二回目の商談が終わった時に『あんなに聞きたがるってことは、私が錬成した胡椒の質が悪いんでしょうか?』と聞いてみたら、彼は『逆だ逆。粒が均等で一粒ずつが大きい。潰した時の香りも強い。要するに上等品だ』と笑って教えてくれた。


 優しい人だから嘘をついているのかもしれないけど、悪い気なんてするはずもない。せっかくだから、ありがたく褒め言葉としてもらっておこうと思う。


 五日目の今日は朝から修繕の終わった弓と矢の受け取りを終え、胡椒も無事全て売り切ることができたので保留になっていた売上金の分配の段に至り、私が辞退しようと口を開きかけたその時だ。


 売上金の入った皮袋をジッと見つめたウルリックさんが「そういやオマエ、十八歳ならもう酒が飲めるだろ。出立前にこの金で軽く飲もうぜ」と持ちかけてきた。


 前世の感覚を漠然と持っていたので、思わず「飲酒年齢って二十歳じゃないんですか?」と聞いたところ、彼は怪訝そうに「少なくともこのエイレン大陸では十八だぞ。オマエもしかして別の大陸生まれか?」と言う。


 これはまったくの盲点だった。酒屋の娘でありながらまだ飲酒未体験の私にとって、これほど心惹かれる話があるだろうか? いや、きっとこの事実込みで転生先を選んでくれたに違いない、と思っておく。


 だって楽天的に考えた方が良いことが起きそうだし、今世はそういう風に生きると転生した時に決めたのだから。十八歳で飲酒は前世ではアウトでも異世界的にはあり、となれば。


「いいえ、ちょっと勘違いしてまして。でもそういうことなら是非今すぐ飲みに行きましょう。これもきっと新しいレシピを生み出す良い刺激になるはずです!」


 元より夢は角打ちのできる酒屋だったのだから、こっちではすごく小さくても良いから、いつか店を持つことを目標にしてみてはどうだろうか。夢はなるべく大きく冷めないものを見た方が良い。健康な身体を手に入れた今は、あの頃諦めていた何もかもができるのだ。


 俄然やる気になっていたら「分かったから落ち着け」と、いきなり眉間にチョップを入れてくるウルリックさんに連れられてまだ朝の九時前にもかかわらず、私達は初日にレシピを売りに行った下町通りへと足を向けた。


***


 到着した下町通りはまだ人気が少なく、開いているお店もまばらだけれど、私達のように冒険者風の人達や商人風の人の姿もある。


 初日にレシピを売ったお店のような普通に食事ができる店舗の他に、立ち飲みと止まり木のあるお店があり、どのお店も間口は狭いけれど奥行きが長い。潔くカウンターだけのお店もあれば、手狭ながらもカウンターとテーブル席が分かれているお店もあった。


 ウルリックさんは「オマエを連れてなら、ここがよさそうだな」と言って選んでくれたのは、カウンターとテーブル席のある女性が店主をしている果実酒の専門店だ。表からカウンターに置かれた果実酒の瓶が見え、凸凹と気泡の入った瓶に沈んだ様々な種類の果物達が通行人を誘っている。


 ドキドキしながら足を踏み入れて、ウルリックさんに二、三質問されたことに答えたら、店主の女性が真っ赤なお酒の入った瓶のコルクを開けて、中の液体をユルユルとかき混ぜた。


 コケモモを使ったお酒だというそのお酒の香りが、コルクを開けた途端に店内に立ちこめて、その香りの鮮明さに鳥肌が立つ。震える手で持った素焼きのコップに注がれた甘い香りの液体を舐めるように口にしたその瞬間、何故だろうか。


 涙が一筋頬を伝い落ちて、驚いたウルリックさんが「どうした酒精が強すぎたか?」と聞いてくれたけれど。私は首を横に振りながら「違うんです、あんまり美味しくてびっくりしたんです」と答えた。


 家族の皆、元気ですか。そちらでお酒を口にすることはできなかったけれど、今日異世界こっちで初めてお酒を飲みました。目の前にいるのが皆でないのは残念だけど、心配しないで大丈夫。


 叶えるよ、ここで夢を今度こそ。優しい人と一緒に飲むお酒が、こんなに美味しいと知ったからにはね。

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