*4* 食は基本好奇心。


 ファルダンの町を発って襲撃を受けてから二人で話し合った結果、一つの町に滞在するのは長くても三日までと決め、旧街道沿いの森に入って北上を始めてから早二週間。


 日数にしていつの間にか転生してから一ヶ月と一週間も経っていた。


 この世界では暦はほぼ前世と変わらないけれど、ユタジルツメデトアーデと名前を変えた四季が存在する。それぞれ季節を司る女神様だと言うから、お伽話っぽくてちょっと素敵だ。


 季節はそろそろどこからか花の香るユタから、瑞々しい青葉の眩しいジルツの入口へと移ろいつつある。


 ここにくる途中のシルビィとエンバーの町で、季節の野草を使った簡単なレシピを売ったお金で新しい食材を買って、三日宿に泊まればまた森に入る。そうしてから買ってきた食材と採取した食材を使って、調理をする生活を続けていた。


 森の中の採取では、未だに手の中から逃げてしまう種類の食材がある。ゲームのようにレベルが見えると便利なのにとは思いつつ、日常生活を送っていて昨日までできなかったことが、今日できるようになっていたとしてもそういえば目の前に何かが表示されることはない。


 そう考えれば日常的に物事が上達したり、理解が深まることは不思議なことなのだなぁと思いながら、私はウルリックさんの前に正座して講義を受けている真っ最中だったりする。


「オマエが持って帰ってきたこっちの実が紫色のやつは、トプカって名前で食える。何故か蹴って帰ってきた黄色いのは、良く似た形だがミプカって名前で食えない。近種には違いないんだが、ミプカの方には毒がある」


 言いながらウルリックさんがナイフで実を半分に切ると、紫色の方は身が白く、もう片方は赤かった。瑞々しい香りが実に初夏らしくて好ましい。


 けれど妙なことに片方の紫色のトプカには触れたのに、黄色いミプカの方だけは何度手に持とうとしても、樽から盗賊が飛び出すあの玩具のように飛び出してしまうのだ。


 この世界の人が言うことなのだから間違いないと分かってはいても、思わず「誰か食べて亡くなられたとかは?」と、諦め悪く食い下がるのも許して欲しい。


「ない。ないけど食うなよ? 死ぬほどの毒じゃないらしいが、腹を下すのは間違いないからな。他の食材もあるんだ。わざわざ危険なものを口にしようとするな」


「でもこっちはナスに似てますし、こっちは黄色いズッキーニに似てますよ? 近種なら頑張れば食べられると思うんですけど」


 何故ならナスは祖父母の畑を手伝っていた私の夏の好物だからだ。この世界にはトマトはあるのに近種であるはずのナスがない。ずっと疑問に感じていた答えがこんな森の中で発見されたとあれば、簡単に引き下がれるはずがないのだ。


 ナスもズッキーニも炒めても焼いても漬けても美味しい万能選手なのに。


「オマエの故郷にあったナスやズッキーニがこれに似ていたのかは、この際どうでもいい。問題はこれが毒を持ってるってことだ。分かったらトプカだけ採って、ミプカの方は捨ててこい」


 しかしこちらの抵抗も虚しくウルリックさんはそう一方的に言うと、私に行動して良い範囲を指定し、お肉の確保に出かけて行ってしまった。


 残された私はトプカを取り上げられなかったことに安堵しつつ、ミプカを捨てなければならない不条理に耐えていたのだけれど、不意に一番最初に神様がつけてくれた特典のことを思い出す。


 まだ使ったことがない能力と言えば【鉄の胃袋】一個だけだが、仮にここで使ってみずにいつ使うというのだろうか。絶対に今だと思う。きっとそうだ。そうと決まればいざ実食あるのみ。


 取り敢えず抵抗の意思がないトプカは横に置いておいて、反抗的なミプカの実を一つ足で挟んで押さえつけながら輪切りにし、断面図をもう一度よく観察してみる。するとうっすらとだけどオクラの断面図のような模様が見えた。


 恐る恐る逃げ出そうとするミプカを一枚だけ食べてみる――が。舌先に痺れが走ることもなければ、口に入れて吐き出さないといけないような雑味も感じない。覚悟を決めて咀嚼してみても、一向に味覚を襲ってくる毒素の気配はなかった。


 歯ごたえは湯がいていない空豆。味は一切しない。けれどパンノミを食べた時に感じた無味感よりも、さらに一段階上に感じる。奇妙な話だけれど決して不味いわけではなく、ただ純粋に美味しくない・・・・・・


 味がないのだから美味しくないのは当然だと言われればそれまでだけれど、そういうのとはまた別の次元というのか、食べていても楽しくない・・・・・


 結局夕飯はウルリックさんが持ち帰ってくれた山鳥とトプカを、ガーリックバター炒めにして食べた。一応はレシピに新しく加わってくれたけれど、何となく新しい食を見つけた達成感がない。


 悶々としたまま就寝前に火の傍で横になり、見張りをしてくれるウルリックさんに向かって何となく「ミプカって、どんな味なんですか?」と訊ねた。するとウルリックさんは「食べないって約束するんなら教えてやるよ」と言うので、すでに食べてみたことは伏せて頷く。


 そして彼の口から聞いた味と自分の味覚の齟齬に、絶対明日は謎を解明しようとこっそり意気込んで目蓋を閉じた。


 翌日はいつも通り休憩を挟みながら陽の傾きを頼りに歩き、陽が夕方に向けて傾きかけてから、夜営の準備を整えるために各自の仕事を始める。


 ひとまず本日分の塩、胡椒、砂糖を全部出し切ってから、また量がささやかに増えていることを喜ぶ。この分だとあと二日ほどで胡椒の小瓶はそろそろ満タンになりそうだ。


 その後は採取をしてもいいと言われた範囲をウロウロしながら、気になるものに手当たり次第に手を伸ばしては、採取できたり逃げられたりと悪戦苦闘してみる。


 勿論使い勝手の良い新しい食材トプカも見つけた端から採取済みだ。でも取りすぎは山や森の保護の観点からすれば良くないので、少しずつ残しておく。


 そんな私の視界の隅に、件のミプカの群生地が現れた。トプカは寄生植物系なのか、アケビのように木に巻き付くのに対し、ミプカは地被植物系なのか地面にへばりつくように実を付ける。


 しゃがみ込んで食べられない黄色い実を撫でながら、昨日の晩にウルリックさんが教えてくれた言葉を思い出す。


『ミプカの実なぁ、あれはエグくて苦くて生臭くて酸っぱくて……とにかく不味い。実が触れた舌は痺れるし、咀嚼した実を飲み込んだ喉は妙にイガイガする。あとは鼻の奥がツンとして涙が出るな』


 やけに詳しい説明だったから、あれは絶対にウルリックさんの体験談だろう。苦い表情をしていた横顔を思い出して笑っていたら、ふとミプカの中に奇妙な姿をしている個体があることに気付いた。


 表面の黄色は橙色にまで変色し、滑らかだった表面はボコボコと凹凸が目立つ。何よりパックリ開いてしまった実からは、真っ赤な掌大の種らしきものが溢れ出している。


 やけに艶やかに光る種が気になって拾い上げてみると、種全体がぬっとりとヌメリを帯びていて、何かに似ていると思ったら里芋や長芋の皮をむいた状態に似ていた。しかも摘まんだ指先から逃げる気配もない。


 昨日弾けていないミプカは逃げたし、昨夜腹痛に襲われることがなかったことからも【鉄の胃袋】は、ちゃんと特典として働いている。


 周囲にウルリックさんの姿は見えない……となれば。


 ヌメる両手をそっと合わせて「いただきます」と唱え、真っ赤な種に歯を立てる。そして咀嚼する間に思わずにやけながら「美味しい」と呟いてしまったのは、自分の好物に近いものを見つけてしまった喜びからだ。


 転生してから二十五日目にして、ようやく【鉄の胃袋】の能力と【採取補助】の特典の有り難さが分かった。たぶんだけれど【鉄の胃袋】の発動は、毒物の中和。一時的に味覚を失う・・・・・ことにあるのだろう。


 だから私が口にして美味しくない・・・・・・と感じるものは、基本的に有毒だということ。


 それと【採取補助】に関しても、採取して調理をできる腕前に達していない他にも、まだ食用に適していない状態のものや、補助の名前通り有毒なものを弾くという認識が増えた。


 従って昨日のミプカはまだ未熟で毒性を持っていた状態だった……のだと思う。あくまでもたぶん。


「ふふふ、あの時は何だろうって思ってたけど、食い意地が張ってる私にはうってつけの特典だったのか。ありがとうございます、お爺ちゃん神様」


 姿も気配ももう感じられない祖父に似た神様に、ミプカの群生地に座り込んで心からの感謝を捧げ、ウルリックさんに見つからない内にミプカの採取に精を出した。


 その日の夕食後にウルリックさんに食材のネタばらしをしたら、とんでもなく怒られたけれど。うっすら期待していた通り、胡椒の小瓶はこの日の晩には満タンになった。

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