★3★ コイツはヤバい奴かもな。
朝に用心するように注意したと思ったら、昼には攫われかけて。そのくせ人攫いに矢を放った俺が怖いかと尋ねたら腹が減ったと場違いなことを言い出す。
流石に直後は肉を食べる気にはならなかったようで、町のバイト先でもらってきた全粒粉のビスケットをバターで焼いて、ジャムをつけただけの簡素な食事になったが……しっかり食べたことには驚いたな。
だが何だかんだでこっちが一晩寝たふりでもしていれば、夜中に逃げ出すかもしれないと思っていたら、逃げるどころか爆睡して朝まで一切起きなかった。出逢った当初から今日に至るまで理解不能な奴だ。
一応恐怖心が備わっていることは昨日の一件で分かったが、基本的に警戒心が死んでいる。本当に俺に会う前に命を落とさなかったのが奇跡のような奴だ。
とはいえかなり低い確率ではあるが、もしかしたら俺が町からつけてきていた人攫いの存在を泳がせて、効率良く仕留めようとしていたことに気付いていたのかもしれない。
そんな得体の知れない奴は今、真剣な表情で俺の釣ってきた魚の下拵えをしている。昨日の今日で魚とはいえもう血の気のあるものを食おうと思えるコイツは、普通に考えれば狂人一歩手前だと思う。
小麦粉とバターが入ったことで料理の幅が増えると意気込み、小さいながらも新品のカッティングボードを前にはしゃぐ姿を見ていると、突然その唇が「海の幸が食べたい……」と呟いた。
川魚を調理中に何で海の魚のことを考えてるんだコイツは。今まで立てていた仮説を思考の果てへ追いやると同時に、一瞬でもコイツにそんな賢さが備わっていると思った自分を殴りたい衝動に駆られる。
――さて、今日はどんな食材を使っていやがるんだか。
◆◇◆
★使用する材料★
川魚 (※ヤマメ、ニジマスなど)
チリの実 (※鷹の爪)
香草数種 (※オレガノ、バジル、ローズマリーなど)
ニンニク
バター
お酢 (※魚の身を洗う用)
カシュア (※オレンジ)
塩、胡椒を各適量分。
◆◇◆
意識はどこかへ行っていても、相変わらずその手は忙しく動くようだ。魚の身を酢で丁寧に洗い、鱗を適当に落とした皮の部分も塩でさらに磨き、酢で洗い流している。
塩と胡椒をまぶしたそれを叩き潰した香草に乗せ重石をし、熱した小鍋でバターを溶かしニンニクとチリの実を加えて香りを出したら、魚の半身に小麦粉をはたいて小鍋の縁から魚を滑り入れた。
耳と胃を刺激する音と香りが立ち、口の中に唾が溜まる。しかし作っている本人の腹の音が酷すぎて自分の食欲に集中できない。堪えようのない笑いが腹の底からせり上がってくるのを噛み殺していたら、それに気付いたアカネが「パンノミが欲しいです」と言い出した。
昨日の今日だが、昨日の今日であるが故に探れる範囲に俺たち以外の人の気配はない。仕方なく腰を上げて周辺の木を探せば、小振りなものの四個収穫できた。
持ち帰ったパンノミを見て顔を綻ばせ、礼を言う表情にはどこにも昨日の恐怖の片鱗はない。ただ「もうできますよ」と嬉しそうに弾む声で告げられる。そのことに少しだけ安堵している自分がいることは意外だが、コイツのお陰で旨い飯を作る奴がいるのは旅の上で重要だと知った。
「お待たせしましたウルリックさん。付け合わせのカシュアの実はお好みで絞っても良いですし、そのままデザートとして食べても良いですよ」
そう言って俺が皿を受け取ったことを確認すると、調理中に海の魚が食いたいと言っていた奴とは思えないほど良い顔で、湯気の立つ川魚をあんまり旨そうに食べるから、こっちもつられて一口目はカシュアを絞らずに齧る。
バターと香草の香りの次に、チリの実の刺激とニンニクの深みが広がるが、川魚の持つ臭みは感じられない。二口目はカシュアの実を絞ってみたが、柑橘系の香りが加わるだけで違うものだと感心する。
いつも通り「旨いな」としか感想を言わない俺を見て、嬉しそうに「口の中が幸せですね」と答えるアカネに、何となく「最終目的地がリンベルンなのは変わらんが、海がある方のルートにしてみるか?」と訊ねてみた。
すると分かりやすく目を輝かせたものの「でも、前に見せていただいた地図だと遠回りになりませんか?」と表情を曇らせる。あの時はそんなに長く地図を見せたわけでもなかったはずだが、全体の地理を把握していたのかと意外に思う。
確かに海の方角へ向かうルートは今の中央を直進するルートよりも、大森林地帯を切り開いた新街道を迂回して、旧街道沿いを移動するせいで大回りになる。おまけに海沿いは今の季節から夏にかけては比較的過ごしやすいが、秋も中頃になるとかなり風と夜間の寒さが堪えるせいで、町と村もまばらだ。
けれどその代わりと言っては何だが、要所にある【街】の規模は大きい。レシピを売るとなればそれなりに値がつくだろう。
――が、てっきりすぐに乗ってくると思っていただけに、渋っているように見えるこの反応は少し面白くない。最近ではコイツの緩いところが気に入っていると言えなくもないのだ。
「何だ、さっき海の魚が食いたいとか言ってた割に、乗り気じゃなさそうだな。それとも俺との旅が長引くのは面倒か?」
思いのほか皮肉っぽい物言いになったとは感じたが、出てしまった言葉を飲み込む術なんてものはこの世にない。自身の発言に対して出た舌打ちに、アカネが困った表情を見せた。
その表情を見てやっぱりこの話はナシだと会話を終わらせようとした直後、アカネは「海の幸が食べたいって口に出ちゃってましたか」と顔を赤らめる。ここで照れるのか。コイツがさっぱり分からん。
「私の生まれた土地では魚と言えば海のものが多かったから恋しくて。だから食べられるなら是非そうしたいんですけど、ウルリックさんの都合や私の借金事情がありますから」
「何だそんなことか。その間の報酬なら、ファルダンで売った魔石で結構懐に余裕があるから別に構わん。あの魔石はオマエの飯のお陰で手に入れられたようなものだからな」
「いえいえいえいえ。私のご飯にそこまでの能力はないでしょうから、純粋にウルリックさんの腕前です。だからそのお金はウルリックさんが大切に使って下さい」
変なところで頑ななアカネはなかなかこうなるとしつこい。腹の虫くらい御しやすければ良いのにとすら思う。が、コイツの置かれた状況がそうさせるのかもしれない。
故郷でよく口にしたというのなら食いたくないはずがないだろうに、ガキが面倒な遠慮をするもんだ。
「あー……まぁ、それにだ。さっきのオマエの発言を聞いたら、俺も一度くらい海の魚を食ってみたくなってな」
そんな風に押し問答になっていたところで、気まぐれに感じたことを口にしてみた。そもそも大小の川があるこの地では、ほとんど海の魚を食べる習慣がない。
誰も命の危険を冒してまで、波の荒い岩場から糸を垂らして魚を釣ろうとは思わないからだ。そして当然海から内地までの距離を鮮魚は保たない。従って必然的に海の近くに住んでいない限りは、内地の人間が海の魚を口にする機会は滅多にないのだ。
時々向こう経由で回ってくる行商人から乾物を買うことはあっても、あれはもう海の魚を食い慣れたコイツに言わせれば別物だろう。
けれど俺の発した何でもない言葉に、アカネが急にこっちに身を乗り出して「ウルリックさん、海の幸を食べたことがないんですか!?」と詰め寄ってきた。今までの遠慮がちだった姿はどこへやら。
突然の圧力にポカンとする俺に向かい、アカネは「海の幸、一緒に食べに行きましょう!」と鼻息も荒く小さい手に、ゴツゴツとした手を力強く握られる。気圧される形で「おお」と答えると、目の前の食欲馬鹿はパッと顔を輝かせて「楽しみですね」と笑うから。
食に興味やこだわりなんてものはほとんどなかった俺でも、少しくらいは楽しみになるもんなんだなと。暢気にもそんなことを思ってしまった。
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