*2* 彼は怖い人ですか?
「よし、それじゃあそろそろ出発するが、町を出る前に買い揃えたかったものはこれで全部か?」
引率の先生さながらに声をかけてくれるウルリックさんの言葉に、メモの最終確認をする。
「はい。木杓子とカッティングボードは絶対に欲しかったので、レシピとお砂糖を売ったお金で買えて嬉しいです。それにお酢と油と人参、少しだけど小麦粉、それにバターも追加できましたから、料理の幅がグッと広がりますよ」
ファルダンの町に滞在してから八日目の朝。天気は快晴、体調も万全、出立の準備もほぼ問題ない。
この七日の間にウルリックさんは近場の小さな依頼をギルドから請け負い、私は初日にお世話になったお店で短期のアルバイトをさせてもらった。
考案したレシピは結構評判が良くて、お酒が出せる店だったことでほんの少しだけ前世の夢だった角打ちが叶った気がする。初めてのアルバイトが異世界なのは自分でも驚きだったけど、身体を動かしての労働は楽しかった。
ただ一つだけ心残りなのは、ウルリックさんに頼んで小瓶一本分になった砂糖を売ってもらったものの、借金を全額返してこの先の旅の護衛費用として換算すると、全然足りなかったことだろうか。
「そんなもの前の町で言えば揃えてやったのに。普通初めて自分で稼いだ金は大事にとっとくもんだがな」
「駄目ですよ。無利子でお借りしてるとはいえまだ借金をしている身なのに、これ以上お金を貸してもらうわけにはいきません。それに本当は今回の分で返済してしまいたかったんですよ」
簡単に言ってのけてくれるウルリックさんは、本当に頼りになる“大人”だ。初日にレシピを買い取ってくれた女将さんにそれとなく情報収集をしてみたら、本来彼のような中級の冒険者が、私みたいな身許の怪しい人間を護衛してくれることはまずないようだった。
ギルドに登録されている彼等のような冒険者には勿論のことだけれど、依頼主を選ぶ権利があって、だからこそ支払い能力の有無が確かでない身許の怪しい客は取らないのだという。
でも目の前で「真面目か」と笑う彼の方が何倍も真面目だというのは、昨夜聞かされた話のせいで分かっている。
「ま、オマエがそれで構わないなら良いけどな。ただ昨夜も言ったように、外ではなるべく俺の傍から離れるなよ。家政魔法が使えるボヤッとしたオマエみたいな奴なんてのは、人攫いにすれば良いカモだ」
そう言って顔をしかめる彼の言葉に神妙に頷く。半分勘違いで半分当たりのようなこの予想は、ウルリックさんが初日にギルドに出かけた時に、受付で私の能力に近い魔法について調べてくれたものだ。
どうやら私の作った食事をとってから、ウルリックさんの弓の威力が上がったそうで、ファルダンにくる前日に仕留めた大型の魔獣の持っていた魔石に、結構な高値がついたのだと言う。
そのせいで受付のお姉さんからは
でも家政魔法は亜種が多いそうで、未だに細分化できていないことから届け出が重要になるらしく、近年需要が増えてメイドさんの派遣ギルドまでできているのだとかで、その中でも私のタイプは珍しいそうだ。
用心深いウルリックさんは、町に滞在する間一つの宿には泊まり続けず、一日おきに泊まる宿屋を変えた。理由を訊ねてみると、ギルドによっては横並びの他ギルドに情報を提供することがあるので、私の話を聞きつけた人達が訪れるのを避けたのだと教えてくれたのだけれど――。
この予想は、彼が私の能力を“作成する食事においての魔力増幅付与”だと思っているからで、実際にはそんな大した能力でない“調味料錬成”だということは、何となく言い出せないでいた。
連れて行く旅の同伴者がただの足手纏いではなく、何かしら使い道のある人材だと思って欲しい見栄なのかもしれない。褒められたことではないと分かっていても、拾ってくれたウルリックさんに幻滅されるのは嫌だった。
だからこそ、旅路の途中で能力を伸ばして“家政魔法”の期待に添えるくらいになるんだ。そう大きさだけなら誇れる野望を胸に両手を握りしめ、二つ目の町ファルダンをあとにした。
――――その僅か二時間後。
いま私の目の前には、ウルリックさんの放った矢を腕に突き立てて転げ回っている男性と、同じく矢を受けた脚で必死に逃げ出そうともがいている男性がいる。初めて知ったことだけど、人間あまりに現実味のない光景を目の当たりにすると悲鳴も出ない。
ガクガク震える私を背に庇いながら、その手に持つ弓に次の矢をつがえて「な、だから言っただろ? 俺の傍を離れすぎるなって」と言うウルリックさんの表情は、窺い知ることができなかった。
けれどいつもより数段低い声と、ダラリと立っているように見えるのに少しでも動けば何が起こるか分からない気配が、彼が本来命を狩る生業の人なのだと告げている。
街道から森に入った時には離れるなという約束を守って、その通りに行動していたつもりだった。でも昼食の準備をしようとした際に、手持ちのパンノミが少なくなっていることに気付き、ほんの少しだけ彼の傍を離れた。
目視で彼の姿が見える場所なら大丈夫だろうと、声をかけずに。
――結果としてそれがいけなかったことは、火を見るより明らかで。
鉄錆のような血の臭いが漂う春の森の中で、私は迂闊な行動の罰として冬のような寒さを味わっていた。歯の根が合わずにカチカチという音が唇から漏れる。呻き声の中からその音を拾い上げたウルリックさんが「腹の音以外は初めて聞いたな」と、場違いに笑う気配がした。
それでも何故だろうか。こちらに背中を向けたままの彼が「俺が怖いか?」と尋ねる言葉に、私はほとんど無意識に「いいえ」と答えていた。脳が麻痺していたからでも、そうだと答えて害されると感じたからでもなく。
私を攫おうと町から後をつけてきた彼等に、背後から襲われた悲鳴にもならないような、細い声を聞きつけて助けにきてくれたウルリックさんが、とても頼もしくて。この人は絶対に私を“見つけて”くれると、そう思えたから。
「怖くは、ありません。ただ――、」
「ただ?」
「お腹がみっともなく鳴る前に、ウルリックさんと一緒にご飯にしたいです」
震える唇でそう言ってから、自分でもだいぶ頭が弱いように感じてしまった。けれど私が一番やり残したと感じた“誰かと食べるご飯の時間”を邪魔されるのは、何をおいても嫌だと感じてしまったのだ。
瞬間、呻き声を上げていたはずの男性達がピタリと黙り、矢をつがえていた彼の纏う気配が和らいだ気がした。そして怪我をした男性達はそんな彼の変化を察知したのか、慌てて身体を引きずるように駆け出す。
ウルリックさんはそんな男性達の背に向かい、威嚇のために一本だけ矢を放った。矢は二人の腕を怪我した男性の耳のすぐ横を掠め、悲鳴を上げて走り去る男性達から興味をなくした様子で、ウルリックさんがふらりとこちらを振り返る。
覇気はないものの、本人に怪我がないようなのでホッとしてしまう。そんな反応を訝しむような暗緑色の瞳にジッと見つめられて、思わず「私、怒られますよね?」と口にすれば、彼は呆れたように目を眇めて「まぁ、怒るな」と口にした。
やっぱりそうなのかとうなだれた私の耳に、ふと「何にしても飯のあとだな」という言葉を聞きつけて顔を上げる。すると目の前にはいつの間にか弓を腰に装備し直した手が差し伸べられ、視線で握って立ち上がるように促された。
そこで素直に好意に甘えようと手をとり立ち上がろうとしたのだけれど、何故かお尻が地面から離れたがらない。身体を支えるようについていた左手に力を込めるのに、やっぱりお尻は地面から持ち上がらない。
「あれ? えっと……待って、下さい。すぐに立ちますから」
このまま鈍くさく立ち上がれなかったら置いて行かれてしまう。そんな焦りで膝が震えてきたところで彼から溜息が聞こえて、私は身を固くした。
けれど不意に目の前に膝をついたウルリックさんは「腰が抜けたか」と苦笑し、次いで「暴れるなよ」と前置いたその直後――今まで見ていたはずの視界が一気に高くなる。
すぐに抱き上げられたのだと気付いて暴れかけたものの、直前に前置かれた言葉を思い出してギュッと縮こまれば、その様子を見ていた耳許で彼が噴き出すから。文句を言おうかと口を開きかけたのに、結局は一緒になって笑ってしまって。
鉄錆の臭いが残る森の中には場違いな笑い声と、それを追いかける魔獣の咆哮のような腹の虫の音が響き渡った。
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