◆熟練度・初期◆
*1* 人生初売り込み。
「俺は夕方頃には戻ってくる予定だ。それまでオマエは何とか頑張れ」
「そんな一人で置いてかないで下さい。一緒について行きます」
柔らかな日射しの入る、小さいけれど四つ口の炎が出せる竈がある綺麗な厨房の中で、私とウルリックさんは睨み合っていた。そんな私達の背後では初老の女性が苦笑しつつ見守ってくれている。
「ギルドにオマエがついてきても、できることなんてないだろ。それとも仕事して俺に借りた金を返済するって話、あれは嘘か?」
「嘘じゃないです。勿論返します、絶対返済します。だけど初めて訪れたお店の厨房に一人で置いていかれるなんて、心細いじゃないですか。今まで家業の店番くらいしかしたことないんですよ」
今朝がた無事にファルダンの町についたのに、彼は言葉少なで。時々振り返っては何か言い出したそうな顔をして、でも何も言ってくれなくて――というようなことを繰り返していたのだ。
昨夜おかしな能力を持っているかもしれないと教えられてから、何となくウルリックさんとの間に微妙な距離ができてしまった感じがする。だからかもしれないけれど、ここで置いて行かれることが怖かった。
ここに至るまで甘えてきてしまっている分、この町で“やっぱり手がかかるから連れて行くの止めるわ”と言われても、私には引き留める権利なんて爪の先ほどもない。むしろ今日まで面倒を見てくれたことが驚きだった。
「町まで護衛してやって、定休日の良さそうな店を探して、声をかけてオマエの料理の腕前を売り込むところまでお膳立てしてやったんだ。第一俺がいたところでヘマをする時はするだろうが」
「うっ、そう言われると本当にお世話になりっぱなしのド正論だけど……せめて、初めての料理実演の間だけはいて下さい」
ジリジリとお店の勝手口に向かうウルリックさんの妨害をすべく、何とか食い下がろうとするも、彼はゆっくりと首を横にふる。
暗緑色の瞳は呆れを隠そうともせず、私もごもっともな意見なので、真正面からそれを受け取るしかない。
「だからギルドからの依頼外で仕事をしたら、魔石の買取の交渉を持ち込んだ奴が自分でやらなきゃ駄目だって言ってるだろ。持ち込みで向こうの鑑定士に任せたら買い叩きにあう。そうなったら次の旅支度ができないんだぞ?」
「そこを何とかちょっとだけ。それにまた前みたいにぶつかられた時に、仕返しするって言ったじゃないですか」
「クドい。暢気で食うことしか考えてないオマエがついてきたら、俺がお人好しの馬鹿だと思われて足許を見られるんだよ。諦めてレシピの実演したら、あとはここで夕方まで社会見学がてら何か手伝いでもして待ってろ」
そう言うやスルッと身を翻した彼は、あっさりと私の妨害をすり抜けて勝手口に辿り着くと、あっという間もなく表通りに飛び出し、人混みに姿を紛れさせて見えなくなってしまった。
初めての町で右も左も分からない私はその背中を追うこともできず、ヨロヨロと勝手口にもたれかかる背後から、申し訳なさそうに「お兄さんに置いて行かれて寂しいだろうけど、そろそろお料理の実演をお願いしてもいいかしら?」と声をかけられて。
性別もだけれど、兄ではないと言うのも何だか変な感じに話が拗れるかもしれないので、そこは愛想笑いで「分かりました」と答えることにする。
緊張しながら厨房の作業台に置かれた自分の鞄を漁り、道中たくさん摘んできたコゴミモドキと、美味しそうに熟したキツネ色のパンノミを取り出した。その瞬間女将さんの顔がひきつったので、慌てて「見てくれは悪いですけど美味しいんです」と弁明する。
一応最初はコルとカシュアを使おうと思ったけれど、あれは砂糖を結構使うから、安くお店で出すのは難しいだろう。
そこで苦肉の策として抜擢されたのがコゴミモドキだ。この料理なら胡椒を省いても何とか体裁は整う。付け合わせのパンノミに乗せて食べれば、きっとお酒に合うと酒屋の娘の血が告げている。
でも困ったことに私の初のお客様になってくれそうな女将さんは、ひどく見た目に怯えていた。困って他に何かないかと厨房内を見回していたら、食材が詰め込まれたバスケットの中に、アスパラガスを見つける。天の助けだ。
「この葉っぱの見た目が駄目なら、あそこにあるアスパラガスで代用させて頂いても構いませんか?」
「ええ、あれで代用ができるならむしろ是非そうして頂戴。調味料はここのものを好きに使ってくれていいわ」
「ありがとうございます。それならあの、バターと、玉子と、お酢と――、」
私が指折りする要望に、女将さんは嫌な顔一つせずに材料を揃えていってくれる。ものの五分ほどですっかり用意された調味料と材料に感激し、お礼を述べて早速準備に取りかかった。
だけどせっかく玉子とお酢があるのだから、ちょっとだけアレンジを加えたい。そこで小鍋に水を半分より少し多めに注ぎ、お酢を加えて火にかける。沸騰してきたらスプーンでグルグルかき回してかなりしっかりと渦を作り、その渦の中に割った玉子をソッと落とす。
再度一煮立ちして白身が濁ったら火を止めて、小鍋に蓋をして三分から五分蒸らす。蓋を開けて玉子が温泉玉子のように固まっていたら、レードルで潰さないように掬い上げてそのまま待機。
次に大まかな作業はコゴミモドキを使ったレシピと変わりないので、材料のコゴミモドキだけをアスパラガスに置き換えて、炒める時に使用する油をバターに差し替える。
あとは前回同様に作っていくけれど、隣の女将さんの視線が真剣すぎていつもの倍緊張してしまう。ウルリックさんは美味しいと言ってくれた料理だけど、女将さんはお金を支払う以上甘えが一切きかないはずだ。
アスパラガスに置き換えた料理もそろそろ完成間近。気合いを入れて重たい借り物のフライパンを一気にあおる。ジャッと耳に心地よい音と食欲をそそる香りが厨房内に広がった。
できたて熱々のものを、スライスしたパンノミと一緒にお皿に盛りつけて……そこに待機させておいたプルプル玉子を、割れないように細心の注意を払って乗っける。それだけで見た目が一気に格が上がる気がするのは何でだろう。
玉子は食事において偉大なアクセサリーだ。持ち運びができないのが残念。
「これで完成です。温かいうちに召し上がってみて下さい」
「それでは早速お味見をさせて頂くわね。オススメの食べ方はあるかしら?」
「それなら上の玉子を潰して具に絡めたものを、パンノミに乗せて召し上がってみて下さい。あと、これはお酒に合うオツマミの面が強いです」
「まぁ、そうなのね。うちはお酒を飲むお客がほとんどだから嬉しいわ。だけどそういうことなら、わたしも軽く飲みながら頂こうかしらね」
そう言ってにこりと微笑んだ女将さんは、素焼きの瓶を持ち出してきてコルク栓を抜いた。途端にブワッと葡萄の濃厚な香りと、アルコールが厨房内を漂う。ニンニクと葡萄酒の香りに、転生してからというもの全く御せないお腹が“ドギュルルル”と盛大に鳴った。
その音にポカンと口を開ける女将さんに「すいません、お気になさらず」とは言うものの、お腹が空いて力が出ない。もうこれはウルリックさんがいなくてしたヘマだ。実際そうじゃなくてもそう思わないと恥ずかしすぎる。
用意してもらったバターとチーズと卵、それに視界の端に入っていた山盛りの全粒粉ビスケットに、蜂蜜の瓶が良くなかったのかも……。金額の相談が終わったら、勝手口前の路地で鞄の中にあるジャムとパンノミでも齧ろう。
けれどお腹を押さえて距離を取った私を見て、女将さんは「これはわたしが味見しないとだから駄目ね。でも大したものはないけど、何かその辺にあるものなら食べてもいいわよ」と、クスクス笑って言ってくれた。
私はそんな魅力的なお言葉に瞬時に目当てのアイテムに視線を向け、即座に「あれを頂いても良いですか?」と指をさす。
その先にあったものを見て、女将さんは「構わないけれど、もう美味しくもなんともないわよ?」と首を傾げながらも、それを食べることを了承してくれる。火とフライパンと調味料も貸してくれるということで、現金な私とお腹の虫は俄然元気になるのだった。
***
「人が粘りに粘って交渉してた間に、オマエはまた餌付けされてたのか?」
待ち望んだ約束の夕方。バターと蜂蜜の香りで満ちる厨房内に、呆れた表情のウルリックさんが顔を覗かせた。その口から零れる皮肉は確かにちょっと元気がなさそうだ。
「お帰りなさいウルリックさん」
「おぅ……ってオマエ一人か? 店主はどうしたよ」
「明日の食材の買い出しに行ってくるから、その間のお留守番を頼まれてます」
店内を見回すウルリックさんにそう言葉を返すと、彼は「不用心な話だが、オマエの暢気そうな面じゃ物取りはしなさそうだもんな」と苦笑して、私のすぐ傍にあった休憩用の丸椅子に腰を下ろした。
目蓋を下ろして長い溜息をつくその表情は、かなり疲弊しているようだ。この間も感じていたけれど、ウルリックさんはあまりギルドに行くのが好きではないように見える。
なら狩人の方を本職にしてしまえば良いのにと思うけれど、きっと何かしら理由があるのだろう。彼が話したくなくて、私が知らないでも良いなら、無理に聞くようなことでもない。
「お疲れならちょうど良い食べ物がありますよ」
「……甘ったるいのはいらん」
「だと思いましたから、ウルリックさん用のレシピも考えたんです。食欲があるようなら食べませんか?」
私の問いかけに少しだけ間を置いた彼が、僅かに頷く。その反応を嬉しく思いながら、借り物のフライパンと、作ってから日にちが経ってカピカピになった全粒粉のホットビスケットを手に竈へと向かう。
けれど竈に向かってからふと、すでに火が消えていることに気付いて彼を振り返れば、ウルリックさんはそれだけで察してくれたようで、竈に火をつけてくれた。
立ち上がって「詰めが甘ぇよ」と笑われ、私も「まったくですよね」と苦笑する。竈の前を私に譲って、背後に椅子を持ってきた彼の視線を感じながら、フライパンを火にかける。
どうか美味しくできますように。彼の疲れと空腹が癒されますように。そんなことを念じながら、壷に入ったバターを掬ってフライパンに落とすのだ。
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