★4★ 奇妙な行き倒れ。


 本来なら仕事を終えて町に戻る前夜に食べようと思っていたチーズを、何の因果か昼間に木の枝に刺して火で炙っている。持ち運びの間に硬くなったチーズが徐々に熱でとろけ、香ばしい匂いをさせ始めた。


 常人が食欲を感じるには違いないこの香りも、目の前でジッと犬みたいな顔で待っているコイツほどではないと思う。


 素直な毛質の黒髪を短く切りそろえた顔はほっそりと青白く、髪と同色の垂れた目と気弱そうに下がった眉は、まだガキにしても男らしさに欠ける。優しげというよりはトロ臭そうな顔立ちだ。ただ今はその青白い頬にも期待感からか血の気が戻り、黒い瞳を輝かせてチーズを見ている。


 ――何かもう、視線だけでチーズ食いそうだなコイツ……。


 まだ芯まで火が通っていなさそうなものの、これ以上待たせるのも気の毒になってきて「ほらよ、火傷すんなよ」とチーズの刺さった枝ごと手渡せば、まるでお宝でも受け取るように恭しく手を伸ばして受け取る。


 案の定人の注意を聞いていなかったのか、目の前のガキはまだ表面のグツグツいっているチーズにかじりついて、直後に小さく悲鳴を上げた。馬鹿な犬みたいなガキだな。


 それでもめげずにハフハフとチーズを頬張る姿に、ガラでもなく少しホッとする。最初に行き倒れているところを見つけた時は、事切れているようならめぼしい荷物を盗んで放置しようと思ってたんだが――。


 鞄に手をかけた瞬間に『お母さん』と譫言のように呟くガキからは、流石に盗みにくい。頭を軽く爪先で蹴ったら目を開けたし、何より目を開けた瞬間の腹の音が酷かった。化け物でも飼ってるのかと本気で疑うような音だったな、アレは。


 服装や荷物からして食い扶持を減らすために棄てられたガキじゃない。それに最初に訊いたところによれば、名前は《ホンジョウアカネ》というらしいが、ここら辺では耳にしない響きだ。


 どこからが名前なのかと尋ねれば《ホンジョウ》が姓で《アカネ》が名だという。姓があるということは、ただの農民階級や奴隷でもないだろう。


 そして貧相な外見からは想像できないことだが、歳は十八らしい。


 しかしコイツからは貴族のような知性も驕りも感じなければ、駆け出しの冒険者というギラギラした空気も感じない。なのにこんな一般人は足を踏み入れないような【獣魔の森】の奥にいた。


 人の姿に近い化け物の類かとも勘ぐったが、それにしては貧相すぎる。肉付きの薄い身体は、成長途中に必要だった食事の量が充分でなかったのだろう。ガツガツとそう質も良くないチーズを貪る姿は少し哀れだった。


 とはいえ、飯を与え終わった後もコイツの世話を焼くつもりは俺にもない。一応森を抜けるまでは面倒を見るしかなさそうだが、それ以降はさっさと切り離さないと駄目だろう。そう思って、ひとまずは簡単な情報を引き出そうと会話を試みることにした。


「食べながらで構わないから、ちょっと俺の質問に答えてくれ」


「ふぁい、わらひに、分かることなら、何れもろうぞ!」


「俺の聞き方が悪かった。食べながらってのはそういう意味じゃねぇ……その口の中の物を飲み込んでからでいい」


 こっちが注意すれば素直に頷いて口を閉ざすところから、意思の疎通は取れるんだが、何かが恐ろしく噛み合わない。そもそもコイツには危機感や恐怖心が極度に欠けている気がする。


 いくら行き当たり上のこととはいえ、面倒な奴を拾っちまったと内心頭を抱えつつ、ひとまず俺ができることといえば、目の前でチーズをがっつくガキの腹が満たされるのをぼんやりと待つだけだった。



***



 そして、ほぼ人の持っていた食料品を空にして満ち足りた表情になったアカネに、なるべく分かり易く《何故ここにいたのか》、《ここがどういう場所か知っているのか》、《何をしていたのか》という三つを尋ねたのだが――。


「あー……それじゃあオマエの今までの話を整理するぞ?」


 正直話を聞いたところで頭痛の種が増えただけだったが、肝心のアカネは自分の置かれた状況の厳しさが分かっていないのか、元気よく「はい!」と返事をする。その暢気さがどこから来てるのか分からん分、怖い。まともに見えてコイツはもう狂っているのかもしれない。


「オマエは病気で家族を亡くし、天涯孤独になった」


「えっと……はい」


「取り敢えず知り合いっぽい親切な爺さんに渡された鞄を、何の疑いもなく持ってたった一人で故郷を離れた」


「はい。亡くなった祖父に似た優しいお爺ちゃんでした」


「ここがどんな場所であるか、むしろどこの国かも全然知らず、頼れる身内もいないので目的もないまま歩いていたら、いつの間にかこの森に迷い込んで、空腹に倒れたところを俺に拾われた……と」


「大体はそんな感じであってます。でもちょっとだけ補足するなら、温かい物が食べたかったので、火のある場所を探してました。ウルリックさんが助けて下さったおかげで温かい物が食べられて幸せです」


 こちらのまとめを聞き終えた上で、胸を張って最後に付け加えられた言葉に、俺の中でコイツの評価が一足飛びに【放っておいたらヤバイ奴】へと進化した。


 コイツの荷物にあったナイフはコツがいるものの、背の部分を鉄棒で擦って散る火花で火をおこせる代物だ。なのに荷物には当然必要な鉄棒も入っていなければ火口になるような物もなく、使い方も知らない。


 まず間違いなくコイツは俺が見捨ててここへ置いていったら、確実に死ぬ。むしろ何日くらい歩き回ったのか知らないが、よくここまで物取りに殺されず、魔獣に喰われることなく無事でいられたものだ。その強運に感心はしても、この先がどうか分からないことへの不安がないことがさらに凄い。


 きっと元々はそれなりに裕福な家の生まれで、家族が流行病か何かで全滅して家が絶えたんだろうと推測を立てた。それというのも持ち物にはきちんと名前が明記され、本人が自分で書いたと言ったからだ。


 目の前にいる俺が最初に追い剥ごうと近付いたとは思いもせずに、こうもずっと暢気に笑みを向けてくる奴が死ぬのは流石に寝覚めが悪い。本来なら金にならないことは絶対に引き受けない俺でも、少しは何とかしてやろうという気にもなる。


「こうなったら面倒だが、この仕事が終わったら町のギルドに寄るついでに、教会にオマエを引き渡すまでは付き合ってやるよ」


「本当ですか! ありがとうございます!」


「餌付けした相手に野垂れ死なれたら寝覚めが悪いからな」


「そうだとしても、見知らぬ土地で親切にして頂けて嬉しいです。せめて先に食事の分だけでも何かお礼をさせて下さい」


 まあ、その借りは返す精神と勢いだけは立派だよ。問題は何も伴わないところだけだな。安易にこういうことを言わないように後で注意しとくか。


「礼っつってもな……オマエの所持品に金はなかっただろ。金品以外で礼って何してくれんだよ?」


「簡単な味のついた料理ができますよ。それにちょっとだけなら食材の採取も」


「残念、どっちも自分で事足りるな。オマエ俺の荷物が見えないのか?」


 ポンポンと背後に置いた自身の荷物を身体をずらして見せ、叩く。今回は短期で仕事を請けたから持っている荷物は決して多い方じゃないが、商売道具を見れば誰でも分かるような職業だ。


「弓と矢ですね。初めて本物を見ました」


「ああそうかよ。俺の仕事は狩人兼、ギリギリ中の下レベルの冒険者だ。本職の冒険者と比べりゃ強かねぇけどオマエよりは強いわな。これで護衛も必要ないぞ?」


 段々と顔色が悪くなっていく様子がおかしくて、つい意地の悪い先回りをすれば、アカネはハッとした表情を浮かべて手を打った。どうせまたボンボン・・・・のろくな思いつきではないだろうと思っていたら――。


「だったら町についたら、教会よりも先に身寄りのない女性を雇ってくれるところを探します。それでお給金を頂けるようになったら、ウルリックさんが納得される金額になるまでお渡しします!」


 その言葉の内容に突っ込むべきところは多々あった。多々あったものの、俺は一番気になった事実を口にする。


「……オマエ、女だったのか」

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