*3* マッチが欲しい。
翌日、一晩ぐっすりと柔らかい草の上で眠って起きた時には、すでにお日様は真上に昇ってしまっていた。
寝起きの目を擦りながら木製のマグカップと少しだけ睨み合ったものの、一日の始まりに顔を洗わないのは流石に駄目かと諦めて、一回目の水をたたえる。少量を掌にためて顔を洗い、寝癖を整え、残りで喉を潤した。
当然身だしなみを整え終わる頃には、お腹の虫は昨日と同じように大合唱。今が春で気温は暖かいとはいえ、糖が不足した身体は冷え切っている。
そこで早速役に立ったのが昨日採取して鞄に詰め込んでおいた食材。鞄から適当にバターロールのような形の木の実を取り出し、柔らかいその実を両手でちぎる。細かい繊維が裂けた断面は外観同様にまるでパンのようだ。
けれど見た目のフワッと感は裏切らない食感ではあったものの、味は一切しない。いくら味覚が弱っている私でも、多少の味があったなら分かるはずだもの。食感が非常に良いだけに勿体ない。
「そうだ、魔法があったっけ……何もかけないよりはマシかな?」
今世の私は思いついたが即実行。かじりかけのパンっぽい木の実を片手に立ち上がり、利き手である右手を肩よりも高い位置に持ち上げて、多少の恥ずかしさを感じつつ「お砂糖出てこい」と囁きながら、木の実の上で指を擦りあわせてみる。
するとその直後に昼の日差しを浴びた上白糖がダマになって、指先からモロモロと木の実の断面に降り注いだ。うん、流石お砂糖。錬成のために擦りあわせた指先がベタベタする。
先に右手の指先を舐めてからちゃんと甘いことに少しだけ感動し、木の実をかじって多少はマシになっていることに感動した。味付けって偉大だなぁ。ふとそこまで考えてから、鞄にくくりつけてある小鍋が視界に入り、次いで水と砂糖があればカラメルが作れるのではないかと期待感が膨らんだ。
けれど――。
「あぁ、そういえば火おこしの方法も知らないや」
昨日はまだ転生初日とあって、火が使えないことにあまり危機感がなかった。だけどこれは早いうちに解決しておかないととても困る。お湯を沸かすどころか“調理”と呼べる作業がほとんどできない。
この先きっと火を通さないと食べられないようなものも出てくるだろうから、火おこしの修得は早ければ早いほどいいだろう。そうと決まれば今日は昨日読み飛ばしてしまったしおりのサバイバル知識についての頁を読もうか。そう思って昨日鞄にしまい込んだしおりを取り出そうとしたのに……。
「困ったな――……やっぱり鞄の中のどこにもない。なくさないように絶対に片付けたはずなんだけど」
オリーブグリーンの肩かけ鞄を逆さまにして中身を全部草の上に広げてみても、中身が真っ白な辞書サイズの本はあるのに、あの文庫本サイズの【人生のしおり】はみつからなかった。
「あらー……もしかしたら、あれって手許に置いておける時間に限りがあったの?」
そう考えればここにあのしおりだけがないことの辻褄が合う。だから自分で口にしてしまった言葉が全ての答えのように思えて、昨日早くに眠ってしまったことが悔やまれてならない。
とはいえ、せっかく眠る前に今世は楽観的に生きると決めたのだし、クヨクヨしていてもお腹は空く。自分で火が熾せないなら、火がある場所に行けばいい。つまり、町か村的な人の生活している場所。
空腹を感じることの幸せと、食べる楽しみを手にした今、私はお母さんの作ったおにぎりと同じくらい美味しいものを探す。ひとまずは温かいご飯のためにこの神殿跡を出て、人のいそうな場所に行かなければ。
そんなとてもシンプルな欲望のために私は唯一無二の鞄を持って、転生二日目の第一歩を踏み出したのだ――と、慣れない格好をつけたまでは良かったのだけど。
――。
――――。
――――――。
何の考えもなく闇雲に“火が欲しい”と意気込んで歩き始めてからしばらくたった頃、私は今まで感じなかった空腹感の再来時刻を見誤りものの見事に読み間違えて行き倒れた。空腹管理って難しい。
そもそも鞄の中に食べ物があるのに、それを取り出す体力まで使い果たして行き倒れるってどうなのだろう?
だけどそのお陰というべきか、神様の加護がまだ影響しているのか。私の目の前ではあれほど望んでいた火が燃え、枯れ枝と針葉樹の葉と樹皮を食べながらパチパチと爆ぜている。
ぼんやりとその揺らぐ火の勢いを眺めていたら、ふと「これ、もう焼けてるぞ」という、感情のこもらない低い男性の声がして。慌てて視線を上げた先に座る命の恩人へ「ありがとうございます、ウルリックさん」とお礼を述べ、彼が差し出してくれたジャガイモを手持ちの小鍋で受け取る。
この世界には前世でもあった食材があるようで安心した反面、受け取ったジャガイモは私の知るものよりかなり小さく、火を通しても硬い。野菜の品種改良はあんまり盛んじゃないのかも。だけど皮の焼ける匂いは香ばしくて、それだけで涎が口内に沸いてくる。
小鍋の中のジャガイモめがけて木製のフォークを突き立て、それを懸命に冷えた胃の中に納めていると「そんなにがっつくほど旨いか、それ?」と、心底うんざりとした声がかけられた。
その問いに答えたくとも、口の中に詰め込んだパサパサのジャガイモはなかなか飲み下せず、ひとまず何度も大きく頷いて見せる。
そんな返答に呆れたような表情を浮かべるウルリックさんは、赤銅色の短髪をしているけれど、顔の両端だけ少し長めにして三つ編みにしているお洒落な男性で、歳は私より六つ上の二十四歳。若干くすんだ肌色から白人系ではなさそうなのだけれど、前世のどこの国の人の顔立ちかは分からない。
身長は前世でお世話になった麻酔医の先生と同じくらいだから、たぶん百八十前後だと思う。
くっきりとした意思の強そうな眉と、同じく意思の強そうな暗緑色の瞳は一瞬見ただけだと少し怖いけれど、倒れていた私を助け起こしてくれただけでなくお腹の虫の音を聞いて、こうしてずっとジャガイモを焼いてくれている。そんな面倒見の良い人が怖い人であるはずがない。
行き倒れたところに通りかかってくれたのがこの人で本当に良かった。
「アンタは見たとこ脱走奴隷ってわけでもなさそうだが、それが旨いとなると以前はどれだけ酷い食生活だったんだ。正直非常食の中で特に不人気な不味さだぞ? 安いからつい買いすぎて余る系の」
けれど私が感動していた直後に、ウルリックさんは何故か自らの好感度を下げる発言をする。ようやく口の中のジャガイモが飲み下せた私は、そんな彼の発言に断固物申したくて口を開いた。
「いえ、そんなことは。基本的に今まで口からあんまり物を食べられなかったもので、食感のあるものを咀嚼するのは楽しいです!」
最後に「とても感謝してます。是非この恩返しを何かさせて下さい」と付け加えることも忘れなかった。それなのに彼はどうしてか顔を両手で覆ってやけに深い溜息をつき――……。
「分かったもういいちょっと待ってろ。確かまだこれよりはもう少しマシな物……確かチーズと鹿肉のジャーキーが残ってたはずだ。あークソ、行き倒れ相手に不味い非常食の余り食わせようとしたってのに、気分の悪い話を聞いちまった」
何やらご立腹の様子で乱暴に自身の持ち物を漁り始めた。しかも聞き間違いでなければ動物性タンパク質を口にできそうな予感……って、違うでしょう私の馬鹿。
「え、ちょ、ごめんなさい、待って下さい。今のはお代わりをせがんだつもりじゃありません。これで充分ご馳走です! 充分美味しいですから!」
「この量と味とその食いっぷりでそんなわけないだろ。いいからガキは黙って出された物を食え。ただし残すな」
無愛想な言葉なのに、妙に優しさを感じてしまう。正直ガキという言葉は六歳しか変わらないから微妙だけれど、私にも二歳下の妹がいたのだから世間一般ではこういう反応なのかもしれない。
何にしても親切な彼がご馳走してくれると言うのならば、後で絶対にお礼はするとして。
「どんな物でもそれが食べられる物なら、残すことだけは絶対にありません」
すっかり餌付けをされた私は、キッパリと力強くそう断言した。彼は少しの間私の顔を眺めた後、やっぱりどこか呆れた風に「だったら良い。妙な遠慮はしないでしっかり食え」と。不器用な苦笑を浮かべてくれた。
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