◆熟練度・0期◆

*1* 始まりの地。


 お爺ちゃんに似た神様に転生させてもらった私が次に目を覚ましたのは、当然だけれど見たことのない場所。分かり易く解釈するなら、昔テレビで観た海外の朽ちた神殿のような場所だった。


 建物の構造からは何となくだけれど、この新しい転生先が西洋風の世界観であることを示している。


 しかし見回してみると、元は立派な神殿だっただろうに人がいなくなって相当な時間を放っておかれたのか、建物全体がだいぶ傷んでいる。場所によっては天井が崩落していてそこから空が見えていた。


 けれど神様が選んでくれたのか、肌に感じる外気は暖かい。病室に長くいたからあんまり自信はないけれど、たぶん今の時期は春の終わり頃だろう。唯一病室からずっと見られるものの中に、窓の外の空があったから。空の高さと色からそんな気がした。


 それにしても横たわっているのが、ベッドのように温かくて柔らかい場所ではないのはいつぶりだろう? 前世の記憶も約束通りそのままにしておいてくれたから、上半身を起こすだけでも緊張するものの、怖々と身体を起こしてみた。


 枕から頭を起こしただけで貧血を起こしていたのが嘘のように、スッと身体が地面から持ち上がる。たったそれだけのことが、涙が出るくらい嬉しかった。地面についた手はふっくらとして、点滴と採血の針跡も、サージカルテープでかぶれた跡もない。


 お父さんに似た爪と、お母さんに似た指と、妹より少しだけ大きい私の手だ。そんな手を目の前に翳して二、三度握ったり開いたりしてみる。想像していたようなひきつれる感じや痛みはない。


 ゆっくりと立ち上がれば難なく身体は地面から離れ、背中を庇うことなく真っ直ぐ立てたことにまた喜びが沸き上がってくる。


 立ち上がってから自分の全身を見下ろせば、身に纏っているのは病院で着ていたパジャマではなく、如何にも元気な男の子が着ていそうなポケットが沢山ついた、葡萄茶色のツナギのような服だ。足許は長靴よりは多少見栄えの良い黒いショートブーツ。


 姿見を見なくても心躍るような元気な服装。これなら木登りも、全力疾走も、泥に汚れそうなこともできそうだけれど――。今のこの姿を見せたい家族はもうこの世界にはいなくって。病院のベッドの上にいる私を愛してくれた家族のいない新しい人生に戸惑いも感じる……と。


 ――――グギュルルルル!!


 家族のいなくなってしまった不安を感じた直後に、身体の奥底から凄まじい異音がしたかと思うと、せっかく地面から立たせた身体がカクンとその場に膝から崩れ落ちてしまう。


「え、え? なんで……私の身体、健康になったんじゃなかったの?」


 急速に冷えていく指先と、徐々に重くなっていく身体に泣きそうになった私の視界の端。春の暖かさで育った草が覆い隠す中で何かが鈍く光った。咄嗟に泣きそうになりながらも何かの――それこそ天の助けを求めて手を伸ばす。


 指先に触れたのは固くてザラザラとした帆布のような手触り。力が籠もらない手で必死に引き寄せたそれは思いのほか重くて。だけど一人きりの病室で呼吸が苦しい夜にナースコールを押すよりはずっと楽だった。


「こんなところに……鞄と、お鍋……?」


 引きずり寄せたのは中学校で使っていたようなオリーブグリーンの肩掛け鞄と、その肩紐にぶら下げられたキャンプで使う一人用の小鍋。光って見えたのはこの小鍋だったみたいだ。


 わけが分からないままそれでも取り敢えず帆布っぽい鞄の中を覗けば、そこには二回分程度の着替えと、鞄と同じ布に包まれた木製のフォークとスプーンに加え、コルク栓のついた陶器の小瓶が三本に、木製のマグカップまで入っていた。


 鞄の膨らみ方からは想像できない内容量に驚きながらさらに奥を漁ると、不意に木製ではない固い何かに指先が触れる。掌全体を使って全容を探ってみれば、何だかツルリとした素材でできていた。


 鞄の底からそれを日の下に引っ張り出してみると、それはとても久し振りに目にしたもので。何故だか私はその蓋を開けなくても中身が何だか分かってしまう。


 ツルリとした素材の正体は朱色のプラスチックでできた、妹と一緒に買いに行ったお弁当箱。私はほとんど使う機会がなかったけれど、白梅の模様が入ったこのお弁当箱は、とても大事にしていたのだ。


 力なく震える手でその蓋を開けると……やっぱりそこに入っていたのは、最初で最後の外泊許可をもらったときに食べ損ねた、お母さんが家で漬けた梅干しの入ったおにぎりだった。あの日は一口だけしか食べられなくて、梅干しまで届かなかったけれど――……。


 恐る恐る口許に運んだおにぎりにかじりついた途端、口の中いっぱいに爽やかな梅の酸味と、ねっとりと肉厚な梅肉の食感が広がって。そのせいで私は自分がいつぶりかの空腹を感じていたのだと知った。


「――っい、良い、塩梅で……美味しい、」


 艶々もっちりとしたやや小粒のお米は、生前ご近所の常連さんが自分の家族用に作っていたものだ。大家族でよく今となっては珍しい瓶ビールを月に二度も注文して下さって、配達に行ったお父さんがお裾分けにともらって帰ってきてたなぁ。


 粒がぎゅっと集まった常連さんのおにぎりは、お母さんの柔らかくて甘めに漬けた梅干しにぴったりだった。もっとゆっくり味わっていたいのに、一口食べ始めてしまったらもう、貪るようにどんどん口に押し込んでしまう。


 凍えていた指先に体温が戻っていくたびに、お弁当箱の中に詰められていたおにぎりが一つ、二つと胃袋に消えていく。ここは西洋風な世界だから、きっと二度とこの味を口にする機会は来ないのに。


 嗚咽を漏らしながら、それでもご飯粒一つ残さずすっかり平らげてしまうと、食べている間中お腹からしていた異音はパタリと鳴り止んだ。まだまだ満腹には程遠いけれど、違うもので胸がいっぱいで。


 私はお母さんのおにぎりを食べる機会がこの先一生ないのだと……家族でそろって食卓を囲むことが二度とないのだという事実に、しばらく放心状態になってしまった。しかしそれも一時間ほどすると久し振りに感じた空腹感が再び頭をもたげてきて、せっかく上昇していた体温がまた下がり始める。


 ――……駄目だ。


 このままここで落ち込んでいては、人生コンティニュー初日にゲームオーバーになってしまう。そもそも空腹ってこんなに辛いものだったっけ? 本当に久し振りすぎて怖いくらいなんだけど……これはない。だる重い身体の感覚はそのまま病院のベッドに横たわっていた頃を彷彿とさせる。


 気分が落ち込むのもやむなしという空腹感をどうにかしようと、もう一度鞄に何か食べる物が入っていないかという希望を持ったけれど、流石にそうそう都合の良いことはない。


 次に私の指先に引っかかって取り出されたのは辞書サイズの分厚い本が一冊と、文庫本サイズの薄い冊子に、背の部分がギザギザしたナイフ、それに前世で新学期によくお世話になった黒いネームペンだった。


 少しだけがっかりしつつ、ひとまず分厚い辞書サイズの本を開いてみるけれど、こちらは全ページ白紙。次に薄い冊子の表紙を確認しようと表に向けた私は、そこに書かれた不穏な表題にそんな場合でもないのに、思わず噴き出してしまった。


 表題には【人生のしおり】とある。遠足のしおりや運動会のしおりは見たことがあるけれど、ここまで重要そうなしおりにはまだお目にかかったことがない。現状を考えればこれがただの誇張表現ではない気がした私は、落ち込んでいた気分を鎮めて表紙をめくった。

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