第12話 地獄の門
避難誘導をしていたハルは、思わず空を駆ける白い翼に魅入っていた。
彼の目の前で、一台の14人乗り軍用トラックがエンジンをかけた。学者を含めた民間人を、後方に待機した汽車まで避難させる車両の一つであった。
しかしそのトラックは急発進すると共に、周囲のトラックに前後をぶつけながら強引にUターンした。
「何してんだ運転手!?」
「馬鹿野郎。そっちじゃない。」
「誰か助けてくれ。こいつも自殺志願者だ!」
幌の中から困惑した民間人の叫び声が聞こえる。荷台から無理やり脱出した2、3人が振り落とされるように地面に体を打ち付け、呻く。だが中にはまだ何人か残っているようだ。
そのトラックの先に、ハルとシウの二人がいた。
ハルは立膝になって自動小銃を構え、トラックに狙いをつける。まだそれほどスピードは出せていないが、覗き込んだ照門にトラックの前面が大きく映っている。しかし視界の中、照門の外には他のトラックに乗り込もうと待機列で慌てふためく人々の姿がある。車体が5.56mm弾を弾き、彼らが被害を受けるイメージが浮かび上がった。
ハルは立ち上がり、トラックの進路上に駆け出した。
「待つんだ。ハル!」
シウが呼び止める。そして咄嗟に左腕を伸ばしてハルの襟首をとらえようとするが、その手は紙一重で空をつかんだ。
「危ない。行くな、ハル!」
ハルはシウの警告を無視し、トラックの左斜め前に躍り出る。そして角張ったキャビンに飛びついたが、衝撃で肩や膝をしたたかぶつけ自動小銃も落とした。後ろからシウの大声が聞こえる。
「ハルーーー!」
ハルはキャビンの左側に必死にしがみついた。運転席に座った男性兵士がこちらに振り向き、目が合った。男はぎょっとした様子だったが、すぐに前を向いてスピードを上げた。
ハルは振り落とされないように車体を掴む左手に力を込め、右手で大腿のホルスターから自動拳銃を抜いた。スライドに噛みついて引き、初弾を装填した。微かに鉄の味と臭いがした。
「運転手。引き返せ。さもないと撃つぞ」
「兵隊さん。助けて」
荷台部分から声が聞こえる。
無視を決め込む男を見て、ハルは2度引き金を引いた。右側窓まで弾が貫通した。男が仰天し、トラックが一時的に左右に大きく揺れた。
ハルが銃床で窓を殴ると、ガラスは粉々に砕け散った。中を覗き込もうとしたハルは、視界の下の方に映っていた物を初めて認識して背筋を寒くした。
左座席にはいくつもの発破用の爆薬が載せられていたのである。
既に窓越しに、白銀の猛禽と戦う竜の巨体が見える。
「このまま突っ込むつもりか」
「邪魔すんなよクソガキ」
ハルは男の頭に照準を合わせるが、車体の揺れで狙いが安定しない。強い風が黒髪を激しく揺らす。
「こうした方がマシだ。どう頑張ったって、俺達に未来なんてないんだから」
「何を根拠にそんなことを」
「その装備、新衛隊か」
「そうだ。軍に助けられて、この仕事に就いた。シオンに来て初めて、お腹一杯のご飯を食べられた。暖かいベッドでぐっすり眠れた。全部近代化政策のおかげだ。だからそれを守る。役立ってみせる」
彼は呆れたような脱力した表情を見せた。
「総統府の使い走りの癖に、本当に何も知らないんだな。このまま皆で頑張れば幸せになれるって、シオンのお題目をそのまま信じてる奴の目だ」
「どういうことだ」
男はハルの目を一瞥し、苦笑した。
足元で自爆を続ける兵士や続々と合流するトラックに業を煮やした竜が、その巨大な尾を再度振りぬくのを、彼らは見ていなかった。
「馬鹿なのはお前らだよ。この世界はもう、俺達が生まれるずっと前から、最初っから詰んでたってのによお!」
金属音が連続した。
足元の人間達を一掃すると同時に竜が放った鱗片は、彼らの乗る軍用トラックも襲った。前輪に穴が開き,さらに荷台を貫通した。幌の中から大量の液体が飛散する音がした。ハルの目の前で、運転手の男の首が超高速の鱗片によって切断される。ハルの目の前が赤に染まり、首や顔に熱い液体が大量に付着する。
フロントガラスを易々と突き破りキャビンに侵入した鱗片は、運転手の頸椎を抉りすぐ後ろの荷台を覆う鉄板に衝突したことで軌道を変え、ハルの左肩を穿った。
視界を黒い物体が一瞬で横切った直後、ハルは激しい痛みに苦悶の声を出し、意思に反してキャビンを掴んでいた左手を放してしまった。
首無しの運転手を乗せ、左前輪がパンクしたトラックは完全に制御を失い、大きく蛇行した後に勢いよく横転した。ハルは傾いた鉄塊を目前に、地面に体をぶつけ転がった。地面と夜空が連続して入れ替わる。激しい衝撃と痛みを最後に、ハルの意識は途絶えた。
コクピットの中でラファエロは強いGに耐えながら、白銀の機体を操る。
彼が操作する人型高機動柔靭翼機、「メルカヴァ」1番機は自在に宙を舞う。
メルカヴァは得物を目の前の巨大生物に向け、交互に弾丸を放つ。両腕にそれぞれ装備した電磁速射砲から、直径76mmの徹甲弾が連続して発射され、竜の鱗を貫通する。鱗が火花を散らし、金属が金属を打ち貫く鈍く甲高い音が戦場に木霊する。竜は怒りの咆哮をあげ、かっと目を見開いたままメルカヴァに顔を向ける。
メルカヴァが射撃を取りやめたかと思うと、一際大きなエンジン音を鳴り響かせ、ほとんど地面と垂直に急上昇した。
飛行形態のメルカヴァは、通常の航空機とは根本的に設計思想が異なる。四枚の翼は『エンジン内蔵生体模倣推進システム( Engine Built-in Biomimetics Propulsion System)』と呼称されているものだ。固定翼機のような剛性のそれではなく、複数の小型エンジンが搭載された翼は各所に関節があり、鳥のように動かすことができる。これは生体の構造や機能を模倣する技術によるものであり、実際に「メルカヴァ」シリーズの四枚翼は猛禽類のそれから着想を得てデザインされている。
翼を曲げて機体の前方を覆えるほどの柔軟性を実現するため、エンジンもまた小型のそれがいくつも連なった構造になっている。特に後縁に連結するように並んだ噴射口は、遠目に見れば翼を大きく広げた鳥の羽根のように見える。
搭載されているのは、ハイブリッドロケットとラムジェットを組み合わせた複合サイクルエンジンであり、大まかにロケット部分、吸気口、ラムジェット部分が縦に繋がった形状のユニットが、翼の「羽根」を形成する。
この特殊なエンジンには、ハイブリッドロケットエンジンを用いるエジェクターモードと、ラムジェットエンジンを用いるラムジェットモードという主に二種類の作動モードがある。この使い分けは、ロケット部分が制御性は高いが音速以上を維持するには燃費が悪いことと、ラムジェット部分が燃費は良いが音速以上でしか使用できないことを考慮したものである。
音速以下での機動の際はエジェクターモードを用いる。液体ロケットと固体ロケットの利点が合わさったハイブリッドロケットは、大出力に加えて始動、停止、再始動を繰り返す操作が容易なため、搭乗員がGに耐えられる限りの荒々しい急激な旋回、加速、減速などを可能とする。また酸化剤の供給量を変え出力を調整すれば、回転翼機のような滞空もできる。
音速以上での機動の際はラムジェットモードを用いる。ラムジェットエンジンは超音速の気流を吸入して燃料を燃焼し、まとめて排出して推進力とする。燃料を燃焼させるために酸化剤ではなく吸入した圧縮空気を用いるため、エジェクターモードのまま超音速飛行するよりも遥かに燃費が良い。基本的に機体が音速を越えない限り機能させることができないが、それを補うための複合サイクルエンジンである。
音速に達し、ラムジェットモードに切り替えたエンジンの推力が機体を押し上げる。
地上でそれを見守る人々からは輝く点にしか見えないほど遠くなったメルカヴァ1番気は、一転、エンジンを停止した。
ラファエルの銀色に艶めく髪が、重力に引かれて柔らかく揺れ動く。海面に飛び込む熟練のダイバーのように、脱力した機体が反転する。
子供が手を放してしまった人形のように落ちていくかと思いきや、四枚の翼の後縁から高密度の炎を噴き出し、地面に向かって急加速する。
二対の翼が、獲物に急降下する猛禽類のそれのように、金属が擦れる音を発しながらコンパクトに畳まれる。非常に生物的な、滑らかな挙動であった。
一個の流星が、竜に向かって急降下していく。
竜は直上に顔を向け、たわませた大きな翼をその横に近付ける。翼の角度は機関銃陣地の兵士達を襲った時よりもさらに深く、首を挟み包み込むかのようであった。
ラファエロの目の前のモニターに、口を開けた巨大なエリマキトカゲのような姿が映る。
「怪獣の動作を分析しろ」
「了解」
メルカヴァ1番機に搭載、接続された人工知能Iが女声的な機械音声で応える。モニターに映った竜がズームされ、翼、頭部、背鰭部、そして肩部に色分けされ、瞬時に解析。
「目標巨大不明生物の肩部に未知の吸気器官あり。周囲の大気を大量に吸い込んでいます。音波砲の可能性あり」
「この地点から検出した轟音は、それか」
「翼は指向性を持たせるためのものと推測されます。回避を推奨します」
「……いや、このまま突っ込む」
両腕に装備した電磁速射砲を竜に向ける。モニターに映された二つの照準が、小刻みに揺れ動きながらパラボラアンテナのような形状の中心に移動する。
「照準を目標巨大不明生物頭部に固定。規定速度到達まで、4、3、2、1――」
彼は両手に握った操縦桿の引き金を引く。
二門の76mm電磁速射砲から、ローレンツ力によって加速され、さらに機体の急降下による運動エネルギーも付加された弾丸が連続で飛び出す。竜の頭部やその周囲を覆う翼に次々と着弾し、先ほどまでより激しく火花を散らし、大きく穿つ。
数秒間の射撃ではあったが、その内の一発が竜の右眼に直撃した。思わず体勢が怯み、右目蓋から大量の血液が地上に零れ落ちた。竜は苦悶の声を響かせた。
メルカヴァは射撃を終えると同時に翼の角度を微調整しながらロケットエンジンによる急制動をかけた。すれすれで通過した地面から航跡を辿るように砂埃が巻き上がる。竜の右側に回り込み、ゆっくりと距離を取りながらさらに弾を浴びせかける。
メルカヴァは電磁速射砲を背部に背負いなおすと、左の腰に提げていた装備に右手を添えた。後ろ半分が鎖鋸状のその装備は、右手を検知するとそのまま前腕を咥えるような形に変形し、腰からパージした。
「
竜は一度短く吠えると、翼を大きくはためかせ浮き上がった。
「あのサイズで飛べるのか。無茶苦茶だ」
「目標の推定重量は、明らかにあの翼の面積で支えられる翼面荷重を超えているはずです。計算が合いません」
「翼が十分大きくたって、今度は筋力が追いつかないだろ。……いや、今はごちゃごちゃ考えるのは無しだ」
竜はメルカヴァを追いかける。メルカヴァは付かず離れずの距離を保つ。
「プラズマジェットは何回使える? それと燃料の残りは?」
「規定出力であれば残り2回。また、ロケットモードでの戦闘機動は残り10分が限度です。それ以上電力と燃料を消費すれば、『ノア』への帰艦が困難となります」
ラファエロは不敵な笑みを浮かべた。
「プラズマジェットの最大出力に変更。一発で決めてやる」
「了解。プラズマジェット出力を120%に変更」
ラファエロは翼の角度を少し変え、急加速した。Gが体をシートに押し付ける。
距離を取ってから、その場で素早く踵を返し、向かってくる竜に向かって体当たりを試みるかの如く直進する。モニターに表示される右眼が潰れた傷だらけの頭部が、みるみるうちに拡大していく。
いかに飛行可能なタイプといえど所詮は鈍重な中型怪獣。俺のメルカヴァの機動には対処できない。
彼は竜との衝突直前に下に滑り込むように紙一重で裂け、さらに鱗が薄いと推測される腹部を引き裂く映像をイメージした。
プラズマチェンソーが高速で回転している。甲高い駆動音と微細な振動が機体越しに伝わってくる。竜との相対距離を計測したモニター上の計器が、その数字を目にも留まらぬスピードで減じていく。
「ここっ!」
と、彼は翼の角度を大きく変えつつ軽く制動をかけ、上体を後ろに反るように鮮やかに回避する。
はずだった。
それとほぼ同時に、竜の巨体が、その胴体の幅の半分ほど沈んだ。翼を動かすこともなく。
怪獣はある程度の知能を有することを彼は知っている。挑発にのって真っすぐ突っ込んでくるだけでなく、急旋回、急制動によって攻撃を受けることももちろん想定していた。
しかし竜は、滑空状態から全くの予備動作も無く下に動いた。
あのまま腹側に滑り込もうとしていれば竜の肩か首に衝突し、圧倒的な質量差によって致命的な損傷を受けていたであろう。常人を超越する彼の反射神経によってそれは避けられたわけだが、目前には機体を両断できるのではないかというほどのサイズの咢が迫っている。赤黒い口腔と並び立つ鋭利な歯牙がモニターを埋める。
彼は世界がスローモーションに見えるほど極限に達した集中状態で、次に取るべき行動を考えた。否、思考する時間的余裕などなく、本能のままに手を動かした。
ハイブリッドロケットエンジンの限界の瞬間出力で再始動し、機体を上に逸らすことで竜の咢から逃れる。
噛み潰すことに失敗した竜は、胴体を軸に体全体を時計回りに回そうとした。竜の左肩が迫る中、ラファエロは瞬時に機体を捻り、そして背鰭の根本に向かって右腕を突き出した。
小さな太陽のように眩く輝く光が、高速で回転するソーチェーン部分を覆い隠す。超高電圧によってプラズマ化した空気の噴流を纏ったソーチェーンが、竜の背骨の上に一直線上に連なる背鰭に接触する。プラズマチェンソーはプラズマジェットによって数万度に達した接触部分を瞬時に溶解、蒸発させ、切断面を焼灼し、ソーチェーンによって斬り砕きながら、竜とメルカヴァの相対速度に従って突き進む。
回転する炎の剣は数秒にも満たない間に、すれ違いざまに剣山のような背鰭のほぼ全てを切断した。
ラファエロとしては咄嗟に脊髄を切断しようと操作したのだが、それは叶わなかった。
「プラズマチェンソー、駆動停止」
プラズマチェンソーが光を失い、刃の回転も止まる。
メルカヴァが空中に停止しながらぱっと振り返る。竜は苦悶の咆哮をあげながら力を失ったように墜落していった。
背鰭に重要な器官でもあったのか、それとも斬撃が中枢神経に達していたのか。
竜はもはや成す術も無く地上に落下した。
「死んだか?」
「目標巨大不明生物の予測落下地点に微弱な生命反応あり。当該個体と推測されます」
「しかしなんだったんだ。あの動きは。何の予備動作も無く下降したぞ」
「解析不能。当該巨大不明生物はそのフォルム、サイズ、重量、翼面積から動作に至るまで、既存の航空力学と矛盾しています」
ラファエロが一息をつくと、通信の着信音が鳴った。
「ミハイル様からです」
彼は呼吸を整えてからモニターに触れた。
「ミハイル、こっちは戦闘中だぞ」
「3分前に心拍数が急上昇して、今は平常値に戻りつつある。滞空しているし、一旦は落ち着ける、といった所でしょ?」
少年とも少女ともつかない不思議で、落ち着いていて、澄んだ声が耳を擽る。
コクピットの中で聴くと、数人に分身して自分を囲んだミハイルに優しく囁かれているかのようで、どこかこそばゆかった。ラファエロはその瞬間、何も身に着けていないミハイルを何人も傍に侍らせているような連想をしてしまった。引き締まっているがどこか柔らかそうな肉体と、それを包む陶器のような肌に、表情を変えず極めて落ち着いたまま、想像の中で目を奪われていた。
「……目標の中型怪獣に重大な損傷を与えた。これからトドメを刺しにいくところだ。それと現地住民の自爆攻撃も止めなければ」
「水棲型の怪獣が『ノア』に近付いてきてる。それも大型」
「なっ……。マラッカ海峡で船を沈めた奴か? まさか『ノア』を追って北上してきたのか」
「同一個体かどうかは不明。南シナ海や東シナ海に生息している別種かもしれない。だが厄介であることに違いはない。戦力を集中した方が良いと思う」
「同意見だ。メルカヴァ1番機、帰艦する。収容の準備を頼む」
「分かった」
ラファエロはその場を後にし、機体の4枚の翼を大きく広げラムジェットモードで東に直進する。
耳心地の良い余韻に浸りながら、メルカヴァの下方を過ぎ去る暗い景色を眺めていると、ふっ、と一つのイメージを思い浮かべた。
飛行中の軍用輸送機が、そのカーゴドアから積載重量ぎりぎりの特大の爆弾を吐き出すと同時に高度が少し上がる、かつて見た映像。
フラップを展開したわけでもなく、エンジンの出力も一定のままで、質量を失い軽くなることで浮き上がる、あの瞬間。
彼はそこから反転させた考えを閃き、目を丸くして手で口元を覆った。
「まさか……、重力制御……?」
光芒のイグザ 椿 泉州 @tsubakisensyu
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