第11話 神降ろし
「天佑と福音を確信し、総員突撃せよ」
戦闘団団長クニヒラ大佐の副官、タカナミ少佐が無線に投げかけたその一言は、唐突なものであった。
先ほどまで各部隊への詳細な攻撃の指示を復唱し、進言し、むしろ若干思考停止していたクニヒラよりも率先して動いていた彼女が発した言葉であった。
クニヒラも、他の残った通信員達も困惑した様子であった。
「少佐、今なんと言ったのか良くわからなかったのだが……。いや、そんなことより、今すべきは遅滞戦闘だ。闇雲に突っ込ませればいいというものでは無い」
「邪魔をしないでください。大佐」
彼女はゆっくりと顔を横に向ける。
クニヒラは彼女を見た。
淡色の照明が彫りの深い鼻筋や眼窩に影を落とし、よりいっそう不気味に映す。
「君は……」
このような目つきの人間を見たのはいつぶりだろう。
何かを心の底から信じ切っている者特有の、力強く、曇りの無い目。
あまりにも澄み切っていて、何も見えていない者の瞳。
彼はそれを見て背筋が寒くなると共に、確信を得た。
「乱心したかタカナミ少佐!」
彼は即座に懐に手を伸ばしたが、セーフティを外す動作が遅れた。
彼女は右太腿のホルスターに挿入された自動拳銃を抜いた。
タカナミ少佐の方が数瞬速かった。
指揮所に乾いた銃声が響いた。
天幕の内側に血飛沫が飛散し、付着した。
ハルは疑問を呈した。
「さっきの通信は……。難しい言葉がいくつもあってよく分からなかったけど、どこか変だ?」
「『天佑』は天の助け。『福音』は佳い報せのことだ。いや、今はそんなことより――」
「動いた。動いたぞ」
学者の一人が指をさした。
竜が右の後脚を地面から離した。右後脚を一歩、大きく前に出し、左後脚を後方に摺る。竜は左右の翼をそれぞれ別の角度に捻る。戦場にいた人間がその動作の意味を理解したころには、もう遅かった。
体の回転の力を加えたことによって速度を増した長大な尾が、右から左に払うように振り抜かれた。大樹を鞭の如くしならせたかのようなそれは、戦場にさらなる破壊をもたらした。
竜が尾を振り抜くと同時に、先端付近の刺々しい鱗の一部が離れ、弾丸のように前方に飛び出したのである。
尾の先端は超音速に達し、その運動エネルギーが加えられた鱗は放射状に射出され、兵士達を襲う。
拳大から掌大のサイズの鱗片は、運の悪い兵士達の体を切り裂き、車両に穴を開ける。
いくら「書庫」の資料にある通りに模倣するとて、エンジンの作成は困難を伴う。特に大口径砲と厚い装甲を搭載し、それでなお数十キロで荒地を走破する、いわゆる旧世界の戦車は現時点では皇国には必要ないと判断された。仮想敵は未だ近代化の兆しが無い帝国軍と魔獣であったからだ。よって現時点で再現ができているその他の工業技術、技術者等の人的リソース、鉱物資源、そして時間的な制約を課されて生まれたのが、彼らの駆る戦闘車両である。
タイガー
装甲は矢や投石に耐えられればよい。
主砲は最低限の30mm。
完成当時軍内では、ナカツクニ世界初の戦車である、これを百輌単位で生産すれば帝都を落とせる、と騒ぐ者もいた。
今思い返せば滑稽でたまらなかった。
こんなものは妥協に妥協を重ねた産物だ。
魔獣を引きずり回していた時に感じていたあの万能感は、今では嘘のように霧散している。
「こちらタイガー
「なんだ今のはっ」
「タイガー
「痛え、痛えよ。誰か助けてくれ。血が止まらねえ」
竜が尾を振りぬいた直後から、タイガー
「くそっ、とにかく足を止めるな。30mmはどうせ何発撃ったって徹らん。各車散開、ばらばらに動き続けて時間を稼ぐぞ」
エンジンが唸りをあげ、キャタピラに必死に動力を伝える。履帯が土埃を巻き上げる。
「7号車が敵に突っ込んでいきます」
「なんだと!? さっきの通信を真に受けたのか」
彼は車長展望塔から顔を出し、確認した。また先ほどのような攻撃が来るのでは無いかと恐怖した。最悪首が落ちるかもしれないが、どうせ車内に籠ったところで変わらない。
「タイガー
「神体招来! 神体招来!」
「タイガー
漏れ聞こえた通信の内容に困惑している間に、その車両は軽快な機動で竜の足元に肉薄し、砲口をほとんど押し付けるような距離で発砲した。
樹齢数百年の大樹のような竜の右後脚は、超至近距離で放たれた砲弾を弾き返した。さらに竜は右後脚をゆらりと上げ、そのまま車両を踏みつけた。
踏み潰された車体は既に原型を留めていないが、再び脚を上げた竜の挙動は、妙に緩慢であった。
さらに一台の工兵隊所属のトラックが竜に近付く。
何かを抱えた兵士がわらわらと降車し、竜の足元に近付く。
「
「神体招来! 神体招来!」
「おおおおおお!」
叫び声が響いている。
戦場の兵士が恐怖を打ち払い奮起する時特有の、強勇で野卑な雄叫び。
兵士達は発破用の爆薬を抱えながら竜に走り寄っていったかとおもいきや、次の瞬間には次々と爆炎に包まれる。
操縦手がぼそぼそと呟き、車両の進路を変えて速力を上げる。
「我が主よ。悲しみも苦しみも無い、安らかな世界に、お導きを」
「隊長!」
「操縦手! 気が狂ったか。止まれ、止まらんと撃つぞ」
「かの邪竜を、必ずや討ち取りますゆえ」
彼は狭い車内に戻り、操縦手の後頭部に拳銃を突き付ける。
「くそったれが」
彼は拳銃のグリップを握りなおし、操縦手の後頭部のヘルメットに覆われていない部分を銃床で殴りつけた。三度鈍い音が鳴ると操縦手は意識を失い、車体も急激にスピードを落とした。
「一旦この馬鹿を移動させるぞ。お前は外を見てろ」
ぐったりとして動かなくなった操縦手の脇を抱えた瞬間、彼は金属の軋む耳障りな音と共に、経験の無い浮遊感を覚えた。
「状況報告!」
車長展望塔から顔を出した砲手が、半ば悲鳴が混じったような声を出す。
「しょ、小隊長!」
小隊長はそれに紛れて間近に聞こえる、唸り声のような、獣の吐息のような何かに全身が粟立ち、血の気が引いた。
「持ち上げられていますっ!」
硝煙と砂埃で濁った夜空を、月光と爆炎が照らしている。
その夜空を背景に、一個の鉄塊が大きな放物線を描いた。
竜は停止していたタイガー
半ば戦闘能力を失っていた車体は、当然成す術も無く宙を舞った。搭乗員にとって唯一幸運であった点を挙げるとすれば、強烈なGによって頭部を打ち付けるなどして、放物線の頂点に達する前に既に意識を失っていたことであろうか。
彼らは落下時の内臓を揺する様な浮遊感も、数秒後に待ち受ける死の恐怖も、落下した車体がもたらす被害の予測も、全てから逃れることができたのである。
戦場でそれを視認した誰もが目を見張るほど高く放り投げられた10t余りの車体は、そのまま吸い込まれるように迫撃砲中隊の陣地に落下した。
落着時の衝撃と破片が、逃げきれなかった兵士を襲った。
数瞬後、ひしゃげた車体から勢いよく漏れ出した燃料と残っていた30mm砲弾に引火、爆発したことで陣地一帯が阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「熱線も出せない亜成体でありながら、これほどどは……」
彼女の凶行を間近に見てしまい、既に通信員も観測員も逃げ出していた。
一部の電気系統が被害を受けたのか、指揮所の天幕の中は電灯が切れ、外の照明器具からの薄明かりに頼っている様な状態であった。
迫撃砲弾にも火の手が回ったのか、戦闘車両が落とされた陣地からは次々と爆発が続いている。
タカナミ少佐は傍らに倒れ伏す男を冷たい目で見下ろしている。
血に塗れたクニヒラは、脇を絞め、左上腕を右手で強く押さえながら、痛みに喘ぎ脂汗をかいている。
「やはり若くないと、新しい物の扱いには慣れませんか。それとも、運動不足がたたりましたか、お武家様?」
「貴様らは、何をしているんだ。いたずらに突撃して、何が目的だ」
クニヒラは痛みに耐えながら必死に問う。
彼女は微笑みを浮かべながら返す。
「これは聖戦です」
「聖戦……だと?」
「あの邪竜との闘いは、我らが主を降臨させるために必要なことです。皆死は覚悟しています。むしろ幸せなことなのですよ。今生から逃れ、人類を救うための尊い犠牲となるのですから」
「ふん。もし神がいるのなら、こんな欠陥だらけの世界を作るものか」
彼は吐き捨てるように言う。
「その点に関しては同意いたします。我々が尊ぶ神は、創造主ではございませんので」
「お前達は気が狂っているだけだ。神などいない。それを証明したのが近代という時代そのものだろう」
「いいえ、我が主は旧世界で信仰を集めたような、がらんどうの神ではありません。実在を証明できる、身ある神です」
クニヒラが倒れたままもぞもぞと動き、外に目をやると、指揮所後方で待機していたはずの工兵隊の軍用トラックが続々と天幕を横切っていった。
「線路建設に使う爆薬か……。貴様ら、いつから企んでいた」
「もう遅いですよ。大佐」
彼女はクニヒラに自動拳銃を向ける。
「あくまで我が主を信じないというのであれば、あなたは救済の対象とはなり得ませんので」
彼女の人差し指が引き金に触れる。
その時突然、戦場全体を揺るがす鋭い爆音が響き渡った。
竜の咆哮とは異なるものであった。
雲を衝くような巨人が、空を覆う鋼鉄製のカーテンを一気に引き裂いたような。
幾千、幾万に重なり凝縮された炎が、一気に噴き出したかのような。
しかしその発生源は、耳をつんざくような音よりも若干速く、それは戦場に到着していた。
誰もが、空を縦横無尽に駆け回るそれを見上げ、目で追った。
猛禽にように鮮やかに、蜻蛉のように激しく飛び回るそれは、加速、上昇、下降、旋回を繰り返す度に轟音を響かせる。
天高く上昇して離れてもなお、白銀の機体は一等星よりもはっきりと人々の目に映った。
後縁全体から炎を噴き出す二対の両翼は、まるで太陽の欠片を鍛えて造ったかのようであった。
そしてよく目を凝らすと、四肢のようなものも見える。
機体は速度を緩めたかと思うと、腕のようなものを竜に向けて何かを放つ。
竜の鱗に火花が散り、血が飛び散り、怯んだ様子を見せる。
今度は滑らかな機動で竜に肉薄し、光にかざした紅玉のように煌めく剣で竜を斬り付ける。背部の斬撃の跡が赤熱し、竜が悶え苦しむ。
「書庫」の航空機史についてある程度長けている者は数名いたが、このような機影はついぞ知らなかった。
むしろそのようなある意味余計な情報を持ち合わせていない、民間伝承、神話、聖典に明るい者の方が、その造形からいくらか連想できた。
その姿はまるで。
「まるで天使です。黙示録の獣を滅ぼす天の使いです」
タカナミ少佐は祈りを捧げるように手を握り合わせ、恍惚とした表情を浮かべた。
「ご覧ください。我々の献身的な戦いぶりを見て、我が主が援軍を遣わしてくださったのです」
彼女は上気した様子を隠すこともなくクニヒラの方を振り向いた。しかしその場に彼の姿はもう無く、血痕が残っているだけであった。
彼女はそれほど気にする様子も無く、また視線を戻して涼やかな夜空に舞う光輝に見惚れた。
「ああ……、やはりこの世は超常に溢れている。矮小な我々程度の力など、遠く及ばぬような」
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