第9話 烈火
諸兵科連合、対魔獣独立戦闘団は歩兵大隊、迫撃砲中隊などの他に、工兵大隊を擁している。この約600人の工兵らは、作戦開始前に誘導路の形成と地雷原の敷設を終えていた。
まず第一迫撃砲小隊が魔獣に人間の存在を知らせ、誘いだした魔獣の集団を9両の戦闘車両がキルゾーンA、地雷原まで誘導する。
軍は西方辺境の奴隷カルテル襲撃の後、救出した孤児達や拘束した容疑者達から魔獣の情報をある程度得ており、挑発に乗るであろう種も、さらにその中で脚の速い種も推察していた。防御陣地で迎え撃つ姿勢の戦闘団にとって、そのような個体は脅威である。よって先頭集団を地雷で壊滅させることが肝要であった。
荒地を利用した誘導路の半ばに大量に埋められた地雷は、一つ一つが一定の重量が信管にかかることで起爆するが、そのタイミングはそれぞれ異なる。
地雷はそれぞれ意図的にずらされてはいるものの、おおまかに南北縦一列に埋められたものが何重にも連なることで太く長い帯状の地雷原となっている。最も東側の列の地雷は一度魔獣が踏めば起爆する。しかし西側、つまり防御陣地から遠い列にいくにしたがって、複数回以上重量を感知しないと作動しない仕組みになっている。これによって最戦闘の集団が地雷原を抜けようとする頃にやっと後方の地雷も作動し、全てが近いタイミングで爆発する。
目論見は成功した。
馬や熊のような体格をした魔獣に損傷を与えるため、個々の地雷は旧世界の対戦車地雷に近い構造をしている。
魔獣といえど、直下の爆発には耐えきれなかった。
どの個体も爆発直後にふき飛んだ血飛沫と巻き上げられた土砂に覆われ、さらにその中を弾丸の如く猛進する破片の雨に襲われる。
被せられた土や砂を通して魔獣が一回、又は複数回踏みつけた地雷の信管が作動し、続いてTNTと硝酸アンモニウムからなるアマトールという混合爆薬が炸裂する。
シオンの地でハーバー・ボッシュ法の再現に成功したことにより、この爆薬の調達の目途が立った。
そもそもここ10年でシオン周辺の農地の収穫量を飛躍的に上げたのは、偏にハーバー・ボッシュ法の再現に成功したことがその理由である。
N₂⧺3H₂→2NH₃
この一見単純にも見えるが非常に難度の高い化学反応式のコントロールは、化学肥料の大量生産とそれに伴う単位面積当たりの生産量の著しい増加をもたらした。
二十世紀の幾何級数的な人口増加を支えたのはこの技術に他ならない。
マルサスの人口原理という呪いを過去のものとした、旧世界化学工業史における最大の功績の一つである。
さらにこの技術は同時に硝酸アンモニウムの大量製造も可能とする。
資源不足が顕著な皇国において、軍や建設業に必要な爆薬の確保は喫緊の課題であった。製造がより難しいTNTの割合を小さくし、硝酸アンモニウムを多く配合することで爆薬を大量に調達できるようになったのである。アマトールは地雷のみならず各種砲弾、さらには工兵大隊が魔獣殲滅後の拠点、線路建設のための発破用爆薬にも使用されている。
密集した魔獣の足元で、次々と地雷が起爆する。
爆風圧や衝撃波が脚を吹き飛ばし、さらに耳、肺や胃などの内臓を襲う。この直接的かつ最も暴力的な圧力は体表を越えて臓器を挫傷、破裂させる。肺胞は圧力変化に耐えきれず容易に破裂する。
複数個作動させてしまった個体、又は自分のそれに加えて直近で作動してしまった個体は合算された爆風の直撃により吹き飛ばされる。近くの個体や同じく吹き飛んだ個体やその一部、地面などに叩きつけられ、皮膚、筋肉、骨格を破壊される。
炸裂時に飛散した破片が、吹き飛ばされた礫や骨などが音速の数倍~十倍の速度の弾丸となって周囲の全ての魔獣を襲う。この凶悪な雨霰は魔獣の固い皮膚も厚い皮下脂肪も容易に引き裂く。さらに骨を砕き、筋肉と臓器をも抉り、一個体を貫通してもなお弾丸の如く進むものさえあった。
硝煙と砂煙の霧の中が、爆圧と破片の地獄と化した。
巻き上げられた煙が晴れるまで、しばらくの時間を要した。
一転、静寂となった。
観測員が双眼鏡越しに見る視界の中に、無傷の個体はほぼ見受けられなかった。地雷原に突入したそのほとんどが原型を保っていないか、行動不能になっていた。
「効果を確認。目標の八割を殲滅」
「後続の魔獣集団が地雷原手前に到達。目標、移動速度低下」
戦闘団団長クニヒラ大佐は、ふんっ、と短く鼻を鳴らした。
「脚が速いのを潰せた。上々だ」
「ここまでは予定通りですね」
副官のタカナミ少佐が双眼鏡を下ろして言う。
「地雷原を越えればすぐにスピードを上げてくるかもしれません」
「うん。急ごう。作戦をフェイズ3に移行。迫撃砲中隊、攻撃開始」
通信員らがそれぞれ無線で指令を伝える。
「各隊に通達。作戦をフェイズ3に移行。繰り返す、作戦をフェイズ3に移行」
「
皇都シオンから延びる鉄道の線路、その最西端にある中継地点のすぐそばの小高い峠の上、陣地全体から見れば最奥の位置に指揮所がある。指揮所のさらに前方、峠や木々に隠れた位置に二個迫撃砲中隊による陣地があり、それを外から守るように歩兵大隊が扇状に防御陣地を展開している。
工兵隊が切り拓いた少し涼やかな陣地で、八十名余りの兵員が命令を待っていた。
周りの木々の葉がさざ波のように静かな音を立てている。
通信を受けた兵員が全員に届くよう、大声で号令を伝える。
「60mm迫撃砲、射撃命令っ! 移動目標射撃、目標、魔獣集団。効力射法、中隊っ――!」
二脚と底架に支えられた斜めの筒のような砲身の傍で、4人ずつ兵員が待機している。
円柱を2つの三角錐で挟んだものに棒と羽根を足したような形の砲弾を、兵士がそれぞれ両手で持ったまま砲身の先から本文ほど入れる。砲弾の重さは片手で持てるほどである。
「指名、全弾斉射」
砲弾を持った兵員が一斉に手を放し、即座にその場に屈む。
すると砲弾は重力に従って筒状のなめらかな砲身の中に滑り落ちていき、底に着くと同時に尾部の装薬が炸裂する。逃げ場の無い爆発のエネルギーは砲弾を砲身に沿って押し出す力として作用する。
砲弾は一斉に砲口から飛び出し、目の前の木々を越えて空に山なりの軌道を描いて飛翔する。
「初弾、
地雷原跡周辺の魔獣の群れに、頭上から20発の砲弾が降り注ぐ。
当然ながら移動する魔獣に直撃したものは一発も無かった。
しかし各砲弾のばらつき具合を見た観測員は上々の精度だと判断した。
魔獣の近くの地面に衝き立った迫撃砲弾は、着弾の衝撃で信管が作動し、ほぼ同時に炸薬が起爆する。魔獣を爆風が襲い、爆圧で加速した鋭い破片が切り裂く。
周辺はまたも地獄絵図となった。
「迫撃砲中隊、こちらCP。効果を確認。攻撃を続行せよ」
「中隊っ、各個連続射撃。続いて撃て」
二個迫撃砲中隊が扱うのは60mm迫撃砲である。
1分隊に砲1門、そして分隊長、砲手、副砲手、弾薬手の4名が就いており、それぞれ
旧世界の大口径の榴弾砲と比較して運用の習熟が容易であり、軽量でさらに分解して運ぶことができ、さらに構造が複雑でないため大量生産が可能である、といった諸々の利点から新軍砲兵隊の主兵装となっている。皇国の防衛政策の基本指針は、旧世代の装備であるものの物量を誇る帝国の侵攻に備える、という受動的なものである。そのため、構造が複雑で人的、物的リソースを大きく消費する長射程砲、つまり大口径の装備開発は後回しにする、というのが国是に適うものであった。
峠や木々に隠れているため、砲兵陣地からは魔獣は見えない。
そのため、地雷原やその手前の誘導路から外れた位置に身を隠した前進観測班から位置情報を受け取り、それをもとに計算して砲の角度を決定している。
しかし地雷原跡からは脱したものの、彼らは降り注ぐ凶弾の衝撃と煙による視界不良によって歩みが遅いままであった。
迫撃砲の射撃プロセスは極論、兵員が砲の先から砲弾を挿し入れるだけである。さらに砲弾一発の重さも4㎏にも満たない。そのため数秒に一発という間隔で撃ち続けることができる。
十数発撃つ毎に前進観測班からの指示で各分隊は砲身の角度を微調整し、完了すると同時にまた短い間隔で弾を砲身に運ぶ。
誘導路には爆発によって形成された小さなクレーターと破片、そして四散した魔獣の体の一部が転がる凄惨な光景が広がっている。
なおも砲撃は続く。
指揮所で砲撃の様子を遠目に眺めながら、タカナミは凛とした声で言う。
「生き残った
「ならばその4種の魔獣はそれほどの脅威ではないということだ。線路建設で多少妨害されるやもしれんが、許容範囲内だろう」
通信員が言う。
「観測班より報告。一部の魔獣が砲撃エリアを越え、こちらに向かっているとのことです」
「前方防御陣地に伝達。迎撃開始。迫撃砲中隊は抜けた個体は構うな。群れを攻撃し続けろ」
「歩兵大隊、こちらCP。接近する魔獣に対する攻撃を開始せよ」
「了解。迎撃する」
迂回をしようとしたのか、誘導路をぬけようとした
これも地雷の利用法の一つである。
驀進する彼らを待ち構えるは、歩兵大隊の防御陣地である。
何重にも重なった鉄条網が、誘導路を断つような形で設置されている。
さらにその後ろには50挺の7.92mm機関銃がずらりと間隔を空けて配置され、その間にはボルトアクション小銃を構えた歩兵が所狭しと並ぶ。小銃を構えた歩兵は皆膝撃ち、機関銃の射撃手は伏せ撃ちの姿勢である。
数種の魔獣が砂煙を巻き上げながら近づいてくる。この位置では既に迫撃砲の援護は無く、地雷の危険が無いルートだと察知しているのか、ほぼ全速力である。
「目標、前方の魔獣、撃ち方始めっ!」
号令と同時に、陣地の前方を砲火が満たす。地雷や迫撃砲弾の爆発音とは違う、激しく鋭い発砲音が重なり合う。
前方防御陣地は誘導路の終点である。よって地雷原と迫撃砲の洗礼を潜り抜けた魔獣はここで全て打ち倒さなければならない。
機関銃の銃口から連続で撃ち出された超音速の弾丸が空気を切り裂き、魔獣の肉体を貫く。機関銃手はこの陣地の要である。よって最も安定し、射撃精度が高いとされる伏せた姿勢でグリップを握り、引き金を引き続ける。その横の給弾手が長い弾薬ベルトを両手に乗せて支える。動作不良を起こさぬよう慎重に持たれた弾薬ベルトを、機関銃のフィードカバーが続々と呑み込んでいき、強大な運動エネルギーを加えて銃口から吐き出していく。
魔獣の肉体は弾丸の運動エネルギーを受け取り、構造を破壊される。
その咆哮も遠方の砲声も、全てが豪雨の如き銃声にかき消される。
「
後ろで仁王立ちをしていたオオヤマ曹長が一人の機関銃手を叱責する。
接近する魔獣を休みなく撃ち続けていたがために、銃身が過熱してしまい動作不良を起こしていたのを、彼は見抜いていた。
最初に陣地に迫った十数体が沈黙した。
「前方防御陣地、こちらCP。かなりの数が砲迫エリアを抜けた。注意されたし」
彼はこの陣地で現場指揮を執る者の一人であった。
「各班、銃身交換急げっ」
兵員が機関銃を捻ると機関部と銃身に分かれ、熱せられた筒状のライフリングが剥き出しになる。手前に傾け滑り落ちた銃身を厚手の布で受け取り、スペアの銃身を差し込んで逆に捻る。交換完了を示す乾いた金属音が鳴る。
「来るぞ! 撃て!」
幾百の銃火が敵を貫く。
いつの間にか砲声は聞こえなくなっていた。つまり迫撃砲が狙える位置にはもう対象はいないということである。残り全ての魔獣を彼らが捌き切らなければならない。
地雷を設置した工兵や迫撃砲を撃っていた砲兵とは違い、歩兵の彼らは肉眼で見える位置まで魔獣が迫っていた。それ故、戦闘団のどの隊よりも異様な緊張を強いられていた。
一体の
鉄線が引っ張られて撓み、杭が地面から引き上がる。だがそれでは埒が明かないと判断したのか、前脚で掻き破ろうとした。成人男性の胴のように太い前脚が鉄線を歪ませ、異常に鋭利な爪が何本も断線させる。隙間が大きくなり、さらに大きくせんとする。
だが対歩兵用とは比較にならないほど大きく作られた鉄条網である。さらに鉄条網の「直撃した敵砲弾の爆発力を受け流す」という本来の機能を無視してよいため、隙間の小さい非常に密な構造の特殊なものだ。要はこちらの銃弾が通ればよいのだから。
半ば恐慌状態となった機関銃手が目の前の獣が動かなくなるまで引き金を引き続けた。
魔獣は肉食草食に関わらず人間を殺すために殺す、という認識は既に周知されている。
こちらに殺意を向けてくる獣というのは、人同士の殺し合いともまた違う、生物としての本能が訴える、体の底から呼び起こされた恐怖であった。
そしてまた近代兵装という凶器を手にしているがために、克己せんがために熱い勇気が沸き上がる。
否、沸き上がらせなければならなかった。
「恐れるな。貴様らが今持ってる武器を信じろ! 人の生み出した科学の力を信じるんだ!」
軍曹はなるべく全員に聞こえるように声を大にして鼓舞する。
「貴様らに問う! この戦いは何のためだ。これは人間同士の不毛な争いではない。人類の幸福拡大のためだ。これは世界を救う戦いだ!」
既に戦場は近代軍の機械的な冷徹さを失っていた。みな魔獣の刺し貫くような殺意と鼓膜を揺るがす銃声に圧倒されながら、ただ自分の役割を必死にこなしていた。
リコイルの振動が甘美な味わいに変化し、麻薬の様に兵士の脳を犯す。
既に戦場は狂騒に呑まれていた。
「我々が外に出ることを阻む畜生共を殺し尽くせっ。これから貴様らが築いた道に、何億もの人間が続く。鋭い槍の如く! 切れるナイフのように! 貴様らは、今ここで、未来を切り拓く!」
戦場は一転、静寂になった。
既に満足に動ける魔獣の姿は無く、銃火を吐き出す撃ち手もいない。
硝煙と血の匂いが漂っている。
前線の兵士ほど、静かで荒々しい、異様な高揚感を共有していた。跳弾や運用中の事故などによる極少数の負傷者が後方に運ばれている。
間もなく日没の時間である。
兵士達は水分を摂る者、銃を手放さない者、放心したように夕空を眺める者など様々であった。
誘導路前方の上空に、補給を受けてもう一度飛び立った観測用回転翼機フクロウが滞空している。絶え間ない砲弾の爆発音と銃声に鼓膜を晒され続けたせいか、ローターが空気を裂く音が、前方防御陣地の兵士達には酷く小さく聞こえる。
灰色と茶褐色に彩られた機体表面が沈みゆく夕陽を照り返し、まだ朱の残る空によく映えている。
指揮所の通信員が、回転翼機乗員の通信を受け取る。
「CP、こちらフクロウ。動いている魔獣は確認できない」
「こちらCP、了解。フクロウは誘導路上空で待機せよ」
「了解。地表の監視を続ける」
クニヒラ戦闘団団長は大きく一息ついた。
「勝ったな」
「ええ……」
タカナミ少佐が首肯する。
「各隊に通達。それと皇都に電報を打て。内容は、『作戦終了。これより掃討と撤収に移る』でいい」
「各隊、こちらCP。魔獣集団の沈黙を確認。我ら、勝利せり。繰り返す。我ら、勝利せり!」
通信の声に、各部隊は沸き上がり喜び合った。
西の空、地平線のすぐ上の空にあった朱色が少しずつ失われていく。
黄昏時である。
逢魔時、又は大禍時とも表記される時刻である。
「メーデー、メーデー! CP、こちらフクロウ、攻撃を受けている!」
通信員は突然鼓膜を揺るがした声に動揺し、スピーカーに繋いで指揮所全員に聞こえるようにした。
クニヒラはマイクを引っ掴んで問う。
「操縦手、どうした。何があった。新手の魔獣か!?」
「機体が制御できない! くそっ、また来るぞ!」
無線で拾いきれない絶叫と金属とガラスが損壊する轟音が響く。
天幕にいる全員が凍り付いたように固まった。
操縦手の声が聞こえなくなった。
「……観測手です。操縦手は、ゴホッ、やられました。僕ももう駄目です」
別の男の息も絶え絶えのか細い声を無線が拾う。
「全員、逃げて、……逃げてください。逃げて…………りゅう……」
何か液体を大量に口から吐き出したような音が聞こえた。
既に命を乗せていない新鋭の回転翼機は、完全に機体の制御を失っていた。そして虚しく前方防御陣地の目の前に堕ち、燃料に引火して爆発した。
前方防御陣地の兵士達が何事かと視線を向ける。
その時、その炎を背に、黒い塊が舞い降りた。魔獣とは比較にならない巨体であった。
大きな翼が背中に一対。
太く長い、刺々しい尾。
頭部は爬虫類のようであれど、その表情は無機的でも冷血的でもなく、誰の目から見ても鬼の形相と分かるそれであった。
そしてほぼ全身が鎧の如き鱗に覆われていた。金属質の光沢が、後ろの火炎を照り返していた。
その姿はまさしく、竜であった。
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