第8話 逆鱗
「60mm迫撃砲、小隊、修正無し、全弾斉射」
皇国西方魔獣の森にほど近い荒野で、5門の迫撃砲が火を吹いた。戦いの火蓋を切るにしてはそれほど派手ではない発射音が、だだっ広い平原とその奥の森林に吸い込まれる。
「
3発の砲弾が大きな山なりの軌道を描き、扇状に広がりながら魔獣の森の奥深くを目指す。
一番槍にあがったのは、前方、魔獣の森正面に展開していた3つの迫撃砲分隊である。砲1門につきそれぞれ4人がついているが、すでに撤収に取り掛かっている。隊員が砲身、支持架、底板など大まかな部品に分解し始めた。
「弾着、今っ」
森の中で重なりあった爆発音が木霊する。着弾点周辺の樹にとまっていた鳥達が甲高い悲鳴を上げながら一斉に飛び立つ。煙が立ち昇る。
隊員達は分解した迫撃砲を後方に待機していたトラック3台に積み込み、自らも乗車する。
森から何種類もの獣の吠え声が響き、一気に騒がしくなった。
後方の指揮所の通信が入る。
「フクロウ、こちらCP。効果を報告せよ」
森の上空に留まっている回転翼機の観測手が無線で報告する。
「CP、こちらフクロウ。効果を確認。多数の目標が東に向け移動中」
指揮所の通信員が応える。
「CP、こちら
小隊を乗せたトラックが急発進し、東にある防御陣地に向け直進する。
「こちらCP、作戦をフェイズ2に移行。戦闘車小隊とフクロウは
「CP、こちらフクロウ、了解。誘導に移る」
フクロウと呼ばれた、灰色と茶褐色の入り混じった細身の回転翼機がさらに森に近付く。強烈なダウンウォッシュが森の入り口の木々を揺らす。
回転翼機の真下に戦闘車両が待機しており、それを中心として同型の車両が北側に4両、南側に4両の計8両が、およそ100m間隔で森に沿って配置されている。中心の車両に乗った隊員が通信に応える。
「了解。タイガー、こちらタイガー
鬱蒼と生い茂る草木に車体が埋もれるような位置まで前進していた戦闘車両が、主兵装である30mm砲を前方に向け発射する。砲口から広がった火炎が枝を焼き、砲煙が葉を荒々しく撫でる。砲弾は前方で剥き出しになっていた岩に着弾し、ひしゃげて爆発する。
先程の迫撃砲と同じく明確に目標を定めて撃っているわけではない。あくまで周辺の森にいる魔獣に彼らの存在を知らし、見せつけることが目的だ。魔獣は人を殺すために殺す。ならば挑発をすれば必ず追いかけてくる。それが軍の想定だった。
「タイガー各車、こちらタイガー
正面の車両からの指令を合図に、各車両が一斉にキャタピラを駆って180°反転し、移動する。入り口近くのみならず、車両が展開していた側方からも大量の魔獣が躍り出る。
「こちらタイガー
指令を出した車両が、東に一直線に走る。
北側、および南側に展開していた8両の戦闘車両も、それぞれ多数の魔獣を魅きつけつつ集合していく。上空からはその轍は扇状にも見えた。車両は絶妙な速度の加減で魔獣と付かず離れずの距離を保つ。
「CP、こちらフクロウ。タイガーが目標を誘導中」
「こちらCP、目標の総数はどうか」
「目視で確認できる限りでは、1000体近くです」
「了解。フクロウはキルゾーンA上空に後退し、別名あるまで待機。タイガーは誘導を続行せよ」
「了解。こちらフクロウ、キルポイントAに移動する」
「了解。こちらタイガー、誘導を続行する」
回転翼機はブレードで空気を切り裂きながら、車両部隊の進行方向へ一足先に向かう。
戦闘車両のキャタピラが湿った土埃を巻き上げ、さらにその後をついていく魔獣の群集がそれぞれの脚、蹴爪で地面をえぐる。駆動音と吐息と殺意が混じり合った嵐が戦場を駆け抜けていく。
車両部隊の向かう先、戦場の後方にある防御陣地のさらに手前に複数の白い天幕が敷設されている。無骨な天幕の下には、銃器、トラックや装備を詰めた木製、アルミ製の箱が積まれ、中心の大きな天幕の下に指揮所がある。ハルとシウの所属する新衛隊第1班が警護の任務に就いていた。
ハルとシウは指揮所の入り口で自動小銃を携え、歩哨のように立っている。
「表向きはCP、……指揮所の護衛だ。しかしこの諸兵科連合対魔獣独立戦闘団はこの国で、いやこのナカツクニで恐らく最も強力なまとまった戦力だろう。だからこそ我々はそれを監視する役割もある」
シウは前方から視線を動かさないまま、ハルに向かって囁くように言う。柔和だがよく通る不思議な声色が耳をくすぐる。
「この人数で?」
「勿論、もし何事かあったときには私達だけでは対処しきれない。ここに新衛隊が置かれているのはあくまでメッセージに過ぎない。総統府から戦闘団に対する『見ているぞ』という意味のね」
戦闘団をこちらに配備している以上、これ以上シオンの戦力を割くことはできないしな。とシウは付け加えた。
「何とかして前線の部隊に加えてもらえないかな」
シウは溜息をついてから諭すように言う。
「ハル。そんなことは無理だし、私が許さない。……この作戦が終われば晴れて退職できるんだ。シオンで平和に暮らそう」
「でも……」
ハルは言い淀んだが、自動小銃をのグリップを握る力を強めて言う。
「俺も役に立ちたい。誰かのために戦いたい」
ハルは隣の青年を見上げながら訴える。
「私は君に平和に暮らしてほしい。危ない橋を渡ってほしくないんだ」
「『危ない橋』って、どういう意味? 初めて聞いた」
「『わざわざリスクのあることをする』、という意味だ。話を逸らさないでくれ」
出会ったばかりの頃から、シウはハルに対して物事を教えることが多かった。彼が識字率の非常に低い層にいながら、同年代の者達よりもいち早くシオンの生活やこの仕事に適応できたのは、シウのこうした影響が強かった。
「だって、作戦内容を見た感じ、規模が大きいだけのただの駆除なんだろ? それにこのまま軍が強くなれば、多分帝国も攻めてこない。これじゃ、活躍できない」
「ハル、人の役に立つというのは何も血を流すことだけじゃない。君は物覚えが良い。学府で活躍すればいいじゃないか」
ハルが少し伏せるように顔を背けると、シウからはその表情を判別できなくなり、代わりに彼との間に冷たい空気が流れるのを感じた。
「言っておくが、この作戦では何があっても無茶なことはしてはいけない。それだけは約束してくれ。ハル」
一方、天幕の中では、クニヒラ戦闘団長が不満げな表情をしていた。
「学者連中め。彼奴ら、魔獣を何体か生きたまま捕獲するよう何遍も要請してきよる。この作戦を根本から理解していない」
「ええ。魔獣は殲滅あるのみ、です。最終的に絶滅に追いやる勢いで執り行わなければ」
団長は骨太の指を鳴らして応える。
「その通りだよタカナミ少佐。ペットにもできぬ害獣は粛々と駆除するべきだ。でなければあんな場所に鉄道を通すことなどできるものか」
なに、いかに魔獣といえど玉薬には勝てぬ。とにこやかに付け加えた。
「ええ」
彼は静かに首肯する隣の副官をちらと見た。
害獣駆除とはいえ実際の戦場で女が副将とは、凄い時代になったものだ。それもこんなに若い、線の細い女が……。
彼自身は新軍に女性を登用することに多大な違和感を覚えつつも、嫌悪感は無かった。性差という不利を乗り越えて実力だけでのし上がってきたのであろう人間が横にいてくれるのは頼もしいからだ。
目下、皇国の近代化組織はそのほぼ全てが人材不足という難点を抱えているが、例に漏れず陸軍もまた同じ悩みを抱えていた。軍は、前時代的な装備の更新を待ったままの部隊と、近代装備とそれに順応した隊員からなる部隊に分かれる。便宜上、前者は旧軍、後者は新軍と呼ばれている。陸軍における新軍の戦力を大きく割いて編成されたのが対魔獣独立戦闘団である。
兵や下士官の手配はある意味では簡単だ。弓や槍ではなく火砲の操作に習熟し、無線を使った指揮の下、旧軍以上に厳格な統制にもと動かなければならない。しかし逆に言えばそれさえできればいい。だが士官はそうはいかない。優秀であるだけではなく、ある程度権威を持つ者でなければならない。というのがこの差配に対するクニヒラなりの理解であり、自論であった。
クニヒラは小さな貴族の生まれであった。より正確に言えば十年前の貴族殺しの折、国皇と総統が率いる改革派に付いて生き残った貴族の出であった。
ナカツクニの「貴族」は数百年前に公家と武家が融合して形成された身分であり、双方の要素を併せ持つもののいくらか偏りがあった。貴族殺し以降、公家としての性格が強かった貴族は朝臣、官吏としての技能を活かし、シオンで官僚や学者として活躍する者が多い。反対に武家としての性格が強かった貴族はクニヒラのように軍、特にその士官などに起用された者が多い。
いくら魔法の如き近代火器とその運用に適応した者達とはいえ、その精神構造の奥深くには、封建勢力が蔓延っていた世界で育ったが故の近代にそぐわない価値観が潜んでいる。
だが旧軍と比べて実戦経験が少なかろうと、必ず士官は必要だ。
つまり、兵士の統制のためにはある程度元貴族を将校として配置したほうが良い。
クニヒラは静かにほくそ笑んだ。
土百姓上がりよりも毛並みの良い将校の方が落ち着いて戦えるという兵士は多い。国皇の下に全ての国民は平等であると謳って身分制を廃止したというのに、なんという皮肉だろうか? 近代化を成し遂げるために前近代的な者に頼らざるを得ないとは。
「目標、キルゾーンA到達まで約3分」
通信員がヘッドホンを片手で押さえながら報告する。
クニヒラは気を取り直して厳粛な口調を心がける。
「タイガーは離脱したか?」
「タイガー
「CP、こちらこちらタイガー
「予定通りタイガーは誘導を終了。全速で離脱せよ」
「タイガー
「了解。タイガー、こちらタイガー
その頃には広報のカメラはズーム状態で魔獣の先頭集団を映していた。
戦闘車両部隊の誘導の末、魔獣は脚の速さの差によって差が開いていた。先頭をひた走る集団は
靴底から伝わってくる地響きが少しずつ大きくなる。
指揮所の天幕のすぐ外で、双眼鏡で監視していた観測員が声を張り上げる。
「目標っ、キルゾーンA到達まで、10秒……8……7……6……」
通信員や観測員らは固唾を呑むような様子であったが、クニヒラとタカナミは落ち着き払っていた。
「5……4……3……2……、今っ」
地が震えた。
その瞬間の爆轟の影響で、誰もが直前の2、3秒が相対的に静寂であったように感じた。
魔獣の足元の地面が瞬間的に連続して爆発し、断続的に発生する轟音に兵士達は耳を押さえる。重なり合い一陣の巨大な豪風となった衝撃波が指揮所にも届き、天幕を大きく揺らした。
化学、数学、幾多の自然科学の結晶。
工業力と生産力、すなわち近代化の為せる業。
かつての旧世界、戦禍を惨烈せしめた人類の叡智の一つ。
地雷である。
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