第6話 鎧の人

 総統府五階、総統執務室。

 既に夜も更け、街の中で照明が点灯しているのは夜間の稼働が許されている一部の工場、発電所、試験運用中の繁華街、そして大通りの街灯などのみである。ここは日々新しい技術を学び、新しい物を産み出し続ける、恐らく世界で最も新陳代謝の激しい街であることは確かだが、それでも街全体が眠りにつく頃合いだ。

 白熱電球の淡白な光が執務室の中を淡く照らしている。無骨な電話機、書類、ペンなどで手狭になったデスクでトキマサが資料に目を通している。ノックをしたミヤイリに対し無愛想に入室を許可すると、一旦資料を閉じてデスクの上に置いた。

「また目の下に隈がありますよ。ちゃんと睡眠をとってください」

「熟睡できたとしてもどうせ取れんよこれは」

「先日救出した子供達の前で演説した時は事前に寝ていたとか?」

「あれは化粧だよ。目の下だけだがね。希望を持たせる内容を喋る男が死んだ魚の目をしていては不都合だろう」

「閣下は表情や肌はともかく瞳は燃えていますよ。自信を持ってください」

「それで、用件は? あの褐色の少年のことか?」

「はい。先日保護した、例の皮膚の一部が鱗状になった少年、ハルのことです。昼間は新衛隊としての訓練、夜間は教育課程というハードなものですが、よく頑張っていますよ」

「身寄りのない者ほど新しい環境への適応力が高いという典型例だな。それで、彼は頑張っている一般人程度なのか、それとも飛び抜けているのか。重要なのはその点だ」

「残念ながら、後者のようです。皮肉にもシオンで保護される以前の経験が活きているのか、肝は座っているようですが身体能力に関しては特筆すべき点はありません。しかし語彙量に関しては同年代の同じような境遇の者と比べれば多く、そのおかげか高い学習能力を持っています」

「頭はこの際重要ではない。するとなにか。彼の鱗は以前の君の推察通りただのデキモノだったと?」

「医療分野における私の書庫の閲覧制限はレベルBまでですので、断定はできませんが、魚鱗癬ともまた異なるこの世界特有の感染性の皮膚病と思われます。南の帝国にも同様の症状を持つ者がいることが確認できました。彼はまだかなり軽い方ですが、進行すると死に至る可能性もあります」

「感染力は無視していいほど低いのが幸いか」

「彼が重篤に至るまでに有効な治療薬が作れるかは不明です。何しろ書庫の資料に載っていないもので」

「彼は鎧の人ではなかったか……」

 トキマサは短く嘆息した。

「もし、もし仮に彼が本当に伝承通りの鎧の人であったとして、閣下はどうなされるおつもりでしたか?」

 ミヤイリは後ろで組んでいる手を軽く握りしめた。

「そもそも、未成年を戦闘員として訓練するなど……」

「彼の自己申告した年齢では兵員としての基準に達している。志願兵という扱いならばなおさらだ。軍にはいくらでもいるだろう」

「しかし」

「彼が本当に皇室が言う鎧の人と同じか又はそれに近い存在であれば、そしてその戦闘能力が伝説の通りであれば、あれは書庫に次ぐ『遺物』ということになる」

「『遺物』……。現代でも存続、稼働する神代の製造物ですか」

「我が国は、というよりこの街は急速な発展を遂げたが、ただ書庫の指南に従って技術を再現しているだけだ。神代の技術レベルで造られた物にはまだまだ遠い。現存する『遺物』の発見、確保は域外人類との接触に次いで最重要事項の一つだ」

「だから目の届くように新衛隊に加入させたのですか、保護者であるシウという男もまとめて」

「ハルはともかく、あれを入れたのは出自が怪しいというのもある」

「彼がですか? 地方のしがない農家の末っ子であるせいで売られた、と聞いていますが」

「私は経歴を詐称しているとみている」

「えっ」

「ミヤイリ君、育ちの良さ、悪さというものを隠しきれるものではないのだよ。ハル少年と境遇が近いというわりには、明らかに少年期の栄養状態の良さが窺える長身。所作、そしてなにより知識量。正確には語彙か」

 ミヤイリは背筋が少し寒くなった。

「まさか、元貴族。しかも詐称するということは……」

「恐らく、だろう」

 10年前、当時書庫を発見し、その技術を再現し始めたトキマサがまず行ったという。改革後の官職に就く代わりに総統側に寝返った一部の貴族を除いて、貴族は近代武器を用いた当時の新衛隊や協力を約束した傭兵、そして内輪争いによって全滅した。

「あの時全滅するか没落した家の子だろう。だからあんな場所にいたんだ。血の繋がりの無いハル少年を庇護する理由は読めんが」

「そもそもこの街の設計そのものがあまりにも人を選ぶんです。古い商人も職人も、この街は適応できない者を徹底的に排除することで発展に向けて邁進できるんです。だというのに何故わざわざ貴族の末裔を新衛隊に……。寝首を掻かれる程度ではすみませんよ。あなたどれだけ恨まれてると思ってるんですか」

「ハル少年の皮膚病が遺物である可能性があったからだ。奴隷の頃からそばにいたシウが横にいた方が都合がいい、彼もハル少年が実質新衛隊の監視下にあっては下手な行動はできまい。少なくとも、あの青年にはそれくらいの意図を汲み取れるだけの知性はあると見た」

 君は同じ隊にいるのだろう。あれは復讐に駆られた男に見えるかね?と、付け加える。

「いえ、少なくとも私の目からはそうは見えませんでした。せいぜい物静かで知的な青年だと」

「だがそれはそれとして、鎧の人では無いと分かったのだ。わざわざ新衛隊に留めておく必要はない。離隊後の再就職先は私が関与するところではないが、口添えくらいはしよう。2人の適職は何だったかな」

「シウは既にリー副隊長と同じく非常勤講師としての実績がありますので、その線がよろしいかと。ハルに物を教えている様子をよく見ますし」

「ハル少年は?」

 ミヤイリは言い淀んだ。

「彼は……彼に関しては、そもそもまだ教育課程を完了していないのもありますが、いえ、それ以上に皮膚病がネックとなります。職種の適正の問題ではなく、どこに行ったところで差別を受けるでしょう。隊の人間に対しては医者である私が誤解を解きましたが、既に夜間学校でも同年代の者達から相当避けられているようです」

「難儀だな。作戦開始が目前まで迫っているというのに」

 ミヤイリは素直に頭を下げた。

「申し訳ありません。なにぶん、未知の感染症であったので」

「君のことを責めているわけではない。それに、簡単に結論を出してしまっていたら皇室は良い顔をしなかっただろうしな」

「私は児童心理には疎いですが、かつてあのような境遇に置かれた未成年を、学校でも疎外され職も無い状態に置くのは非常に危険かと思われます。過酷な環境にあった者ほど、心に脆さを抱えるものですから」

「最悪、カルトに呑み込まれるかもしれんな。それは避けたいものだ」

「シオンやその周辺で活動しているというカルト宗教ですか。噂を耳にする程度なのですが、神も仏も希薄なこの時代にそれほど危険な組織に成るとも思えません」

 本当に神がいるのなら人類はここまで追い詰められていませんし、いたとしてももう信じるに値しませんよ。

 ミヤイリは鼻で笑った。

「これは新衛隊ではなく公安の案件だからな。詳細な情報は入ってこない。実際に何か事件を起こしたというわけでもなければ、そもそも介入は難しい」

「やはり、作戦の前に彼を隊から下ろすことはできませんか」

「無理だな。だが作戦が滞りなく進めば新衛隊は被害を受けることは無い。成功を祈ろう。彼らの処遇についてはその後だ」

 一方的に期待をされて戦場に出され、その後は……。ミヤイリはこめかみを強く揉んだ。あの少年のことを考えると頭が痛くなる。どうして彼にここまで肩入れしてしまうのだろう。除隊の提言をしたのも、元々はシウに協力するよう頼まれたからだが、今では無意識に気を揉んでしまっている。シウの保護者感覚が移ったのだろうか。いや……。

「親も無く、なにより奇病に悩まされる子供です。どうしても私は、気にかけてしまう」

「そういえば君の夢は、感染症の撲滅だったかな」

「撲滅は言い過ぎですが、そんなところです。新衛隊に入ったのも、そこで得た書庫の知識と報酬を医学の発展に役立てるためですので」

「なぜそこまで感染症に拘る?」

「彼のような苦しみを減らしたいというのが最大の理由です。しかしそれと同じくらい、神代が滅んだ要因にあるのではないかという疑いが強いことも理由としてあります。私は知りたいのです。なぜ人類は一度滅びかけたのか。という従来の結論では説明がつきません」

「というと?」

「この土地で中国語ではなく日本語が話されていること。森を越えた沿岸部、朝鮮半島、台湾のような周辺地域に入植した形跡が見られないこと。旧世界の建造物がどこにも残存していないこと。ナカツクニを囲む異形の獣の森。魔獣は森から出てこないこと。遺伝子異常とみられる髪の色をした者が一定数存在すること。そして明らかに旧世界よりも強い、人々の異常なまでの。全てバラバラのようでいて、繋がっているようにも感じるのです」

 総統は少し間を置いて静かに言った。

「面白い。詮索するのは君の自由だが、あまり仕事に支障が出ないようにな」

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