第4話 御前会議

 皇都おうとシオン中心部、総統府地下会議室。

 地下に作られているため空調が悪く薄暗いがここにいる者の大半にとっては許容範囲内である。

 北の入口からほど近い場所に意匠を凝らした格式高い肘掛け椅子と机があり、そこから奥に向かって二列、黒く染めたリネンが掛けられた長机が少し距離を開けて設置されている。椅子はそれぞれ向かい合うように5脚ずつ並べられており、既に総統と国皇こくおう以外の全員が着席している。

 初老の軍務大臣がぼそっと呟く。

「陛下はまだだろうか。開始予定時刻から5分過ぎたが」

 左に座る若い男が答える。

「先ほど総統閣下が伺いましたから。そろそろお越しになるでしょう」

 入口から総統が姿を現すと同時に皇王の到着を告げる。すると座っていた者達が全員立ち上がり軽く礼をする。白髪交じりの王は目元を指先で擦りながらぎこちない笑みを作った。

 その後改めて総統と王を含めた全員が席に着いた。

 西側の長机には国皇に近い席から順番に総統。

 外務大臣。

 法務大臣。

 海軍参謀長。

 空軍参謀長。

 東側の長机には順番に副総統。

 財務大臣。

 軍務大臣。

 陸軍参謀長。

 公安委員会委員長、という順に並んでいる。机の上には人数分、冷たい水を注がれたグラスが置かれている。神代のものには及ばないが、現在再現可能なガラス加工技術で作られた代物であり、これといって装飾はなくシンプルだが透明度は高い。表面がうっすらと結露している。

 トキマサが進行する。

「それでは始めます」

 東側に座る陸軍参謀長、アズマは己の立場と能力を使い尽くすことに何よりも充実感を覚える人間であった。十年前この国が大改造されて以来、最年少でこの地位に上り詰めた。そして御前会議という否応でも緊張を強いられる会議は、彼にとって最高の晴れ舞台であった。彼は昨夜、必ずや反対派を実力で叩きのめすことを、由緒正しい武人の家系である自分の血と先祖に心の中で誓った。

 今回の主題は、魔獣の森への軍の派遣を容認するか否か、だ。

 初めに各国務大臣から担当領域の現況報告が読み上げられ始めた。

 アズマは右から左へ聞き流していた。これは無視していい。形式的なものだ。

 彼は内心ほくそえんでいた。無能と断じている財務大臣と外務大臣はそもそも眼中になく、法務大臣と公安委員会委員長はそもそも領域が違う上に、後者は知る限りではこういう場で積極的になれるようなタマではない。おそらく会議が終わるまで黙りこくっているだろう。そして軍務大臣には既に了承は得ている。副総統は読めない男だが、総統には及ばないだろう。そうなると実質的に軍務省内の事前の議論で対立していた海・空の参謀長、そして総統と議論を交わすことになるだろう。

 各自の短い報告が終わり、しんと静まり返る。

「では本題に入りましょう。議題は魔獣の森への軍の派遣についてです。陸軍の提出した議案ですので、まずは陸軍参謀長、どうぞ」

 アズマが意気揚々と口を開く前に、法務大臣が疑問を呈す。

「なんだ。軍全体の意向ではないということかね」

「この作戦案に海軍はご協力いただいておりません」

 アズマより一回り年齢の高い海軍参謀長が指をさして抗議する。

「例え海軍が賛成だとしても、助力のしようがないだろう。ふねは出払っているし、そもそも内陸部への派兵にどう参加せいと言うんだ」

「これは失礼しました」

「海軍は反対ということかね。では空軍は?」

 空軍参謀長は不満気に口を真一文字に引き結んでいた。

「空軍は魔獣の森の空撮による調査には協力したが、本作戦には関係ない。空軍が保有する機体にはまだ爆装して魔獣の森まで行って戦闘できるほどの代物がないのでね。まだ赤ん坊なんだよ、ウチは」

「航空エンジンの再現は特に難関だからなあ」

「他人事のように言うが、そもそも海軍さんがあんなデカいのを作るからこっちにリソースが回ってこないのだよ。人も、物も」

「大きいと言っても装甲は最低限で、武装も哨戒艦程度だ。それに、エンジンと言ったらむしろ技師を占有しているのは陸軍じゃないか。新鋭の回転翼機、参加させるんだろう」

「よくご存じですね。そうですとも。固定翼機と違って、その場に留まれるのでこの作戦にはうってつけです」

「海さんは調査船を連れて遠路はるばるヨーロッパまで。陸さんは果敢に魔獣の森を切り開くとな。ふん。これでは空軍の面目が立たん。両方の目途がつき次第、空軍機隊で太平洋横断でもさせてもらいたいもんだ」

 空軍参謀長は少々大袈裟なジェスチャーを使いつつ皮肉った。

「勿論。当面の目標である本作戦が成功した暁には森の外が開拓されます。それによって増えたリソースは空軍に譲りましょう。陸軍内の技師も積極的に協力させますよ」

「若いの、御前だぞ。二言は無いからな」

「ええ」

「海さんもさっさと終わらせてくれんかね」

 陸軍は旧軍を削減しつつ近代的な装備の新軍を編成し、海軍は小型海防艦2隻に加え軽巡洋艦を就航できるほどにまで成長したが、南の帝国に対する防備として優先度の低い空軍の装備拡充が後回しにされていたからこそ成しえたことは事実であり、若干後ろめたいような気持ちは両者とも有していた。

「今回の遠洋調査が成功しようがしまいが、長旅で疲れた艦体の整備やらでどうせしばらくは慎ましく沿海警備をするしかない。分かったよ。海軍も調査終了次第空軍に協力する」

「よし、言質は取った。おい書記、ちゃんと書き留めておけよ」

 彼は満足気に椅子に深く座りなおした。

「空軍としてはもう言うことはない。賛成票として数えてくれ」

「軍務大臣は賛成だ。他の諸氏は?」

「海軍としては質問したいことが少々ある」

「作戦案については既に詳細に共有したはずですが」

「本作戦に関してではない。私はその後のことを聞きたいのだ」

「というと?」

「もし作戦案の通りに事が運び、陸軍が当該地域の魔獣を退け拠点とそれを繋ぐ線路の設営に成功したとしよう」

 銃火器を揃えた近代軍が獣の群れごときに負けるはずがない。

 まるで敗北の可能性が高いかのような言い回しに反論したくなったが、アズマはすぐにそれを抑え込んだ。

「森の外で域外人類を探し出して接触することが最優先だろうが、もしどうする。空撮写真に森の反対側が映っていたが人っ子一人いないではないか」

「空軍に確認していただいたのは突破に最適な地点を探すためですので、一部地域にすぎません。人類の生存が確かめられなかったのは当然です。だいたい、魔獣の森の近辺にまともに人が住めないのは内側とて同じでしょう」

 海軍参謀長は食い下がった。

「森の外まで線路を敷くのはいい。だが、その後は人家を探してだだっ広い土地を車両で駆け回るのか」

にあった神代崩壊前の地図をもとに、かつて都市のあった場所を虱潰しに回ります」

「地図など役に立つものか。我々が産業革命前のレベルまで身を堕とす大災害があったのだぞ。内陸部ほど地形も植生も変わっとるわ。魔獣の森などその最たる例だ」

「それに関しては調査艦隊に対しても同じことが言えるのでは」

「艦隊の最終目的地は欧州の沿岸部だ。暗黒時代を迎えたとはいえ、我々東洋が生き残ったのだ。西洋文明もきっとその命を繋いでいる」

 アズマは熱弁する海軍参謀長を冷ややかに見ながら内心ほくそ笑んだ。

 予想通り、海軍は焦っている。

 限られたリソースを強引に分捕って民間に支援してまで調査艦隊を造り外洋に出たのだ。域外人類の発見、接触という至上命題を達成するのは当然のこと、他のセクターにその栄誉を横取りされるわけにはいかない。特に我が陸軍には。

 ……馬鹿な男だ。

 もしヨーロッパ沿岸部で文明が残存していたなら、既に。だが、少なくとも歴史書にはそのような記述はない。民間の伝承でも確認できない。まだ内陸部を探したほうが可能性がある。

 それに。

「陸軍の戦闘を含めた此度の魔獣の森貫通事業に関して、皆様に今一度認識していただきたいのは、これは森の外のフロンティアを丸々手にできるというメリットです。森に閉じ込められたままでは、我々の成長はいずれどこかで頭打ちになるでしょう。その後は狭い世界で資源獲得のために資源を食い潰す醜い争いを強いられるでしょう。いくら旧世界の技術を再現したとて、作り、動かすリソースが無ければ全く意味がない。旧世界の都市跡や鉱床を掘り起こし、鉄を、石炭すみを、石油あぶらを手に入れなければならないのです。失われた人口を取り戻すための新たな土地が必要なのです」

 総統が口を挟む。

「域外人類発見に加えて、各種資源の獲得という重要性は重々承知している。しかしもう少し待てないのかね。空軍がさらに航続距離の長い航空機を完成させて、それでさらに綿密な調査を行ってからの方が……」

「総統閣下、我々には時間が無いのです。南の帝国がなんらかの方法で近代化を遂げたらなんとしましょう。覇道の二文字を体現するようなあの男に先を越されるわけにはいかないのです。いえ、皆様、もっと広い視野を持って協議しましょう」

 彼は一呼吸置いた。

「魔獣の森は人類の未来を閉ざすものです。打破すべき鳥籠です。これを抜け出さなければ、人類の復興はありえない。そう、これは陸軍のためでも、国のためでもなく、人類のための戦いなのです」

 熱弁を振るいながらアズマは閉口するしかない者達を眺めていた。

 神代崩壊後の暗澹たる歴史の転換点が、大事業の発火点としての栄光の戦いを始めるか否かがここで決まるのだ。

 これぞ我が人生の晴れ舞台。

 さらに続けようと彼の声帯が震え発生する寸前に、その場で最も発言力と権力の無い男が軽口を叩いた。

「御前会議というのはもう何度かやったが、慣れないものだね。ふふ、どうにも緊張してそわそわしてしまう。ふふ。あっ」

 ガシャン、と。

 この国で最高の権威を持った男はよそ見をしながらグラスに手を伸ばし倒してしまった。グラスが机をころころと転がった後盛大に床に叩きつけられ砕け散る音が、粛然とした会議室内によく響いた。続けてグラスから零れた冷たい水の大半が床にパタパタと落ち、シンプルな金糸の装飾が施された黒いリネンのテーブルクロスに染み込んでいく。大臣らの反応はまちまちだった。呆れからか目を瞑る者、甲高い音に驚き肩が上がってしまったままの者。誰かの側近か警護の者かは分からないが、どこかから小さなため息すら聞こえた。

「ああ、陛下。大丈夫ですか。お召し物は……」

「すまんすまん。首から下がまだ寝ぼけておるわ。ははは。裾は濡れておらんよ」

 表情を歪めた総白髪の侍従長が駆け寄りひざまづく。

 王は椅子を少し下げ、屈んで破片を拾おうとしたが血相を変えた侍従長がそれを止める。

「陛下、お怪我をされてしまいますから。私共がやりますのでどうか……」

「そうか。ううむ、綺麗なグラスだったのに。もったいないことをしてしまった」

 王は渋々座り直し姿勢を正した。

 総統は終始表情をぴくりとも動かさなかった。

「会議を一時中止します。侍従長はお片付けを」


 その後協議を重ねたが、当初の作戦案から準備期間を二ヵ月延期するという中途半端な内容に落ち着き、賛成多数で可決された。作戦開始時期の多少の延期は陸軍にとって許容範囲内だった。

 会議の終了が告げられ、皆が席を立つ。国皇を先頭にぞろぞろと退出していく。

 仄かな高揚感を覚えながら、アズマは軍務大臣の横を歩く

「なに、私は少しばかり援護しただけだよ。頭の回る者が制服組にいて、背広組としても頼もしいものだ」

「省との連絡をより密にし、作戦実行に向けて奮励努力します」

 軍務大臣の穏やかな笑みを浮かべた横顔が見える。

「私は私の使命を果たしたまでだよ。全ては、神の御心のままに」

 はて、軍務大臣閣下は何宗だったかと記憶を巡らせるが、アズマはついぞ答えが出なかった。そもそも神と言ったか? アブラハムの宗教どころか仏教も道教も希薄なこの世界で? 

 一階に上がったところで、血相を変えた若い女が駆け寄ってきた。海軍の制服を着ている。

「ご、ご報告がございます」

「なんだ」

 ただならぬ様子に全員が足を止め、総統が詰問する。

「艦隊が、調査艦隊が港に帰投しました。今しがたその連絡が入ったところです」

 辺りがざわつく。

「もう帰ってきたのか。早すぎないか」

「西回り航路で欧州まで行くと聞いていたが……」

「いえ、予定ではまだのはず」

 国皇が表情を輝かせ、息を弾ませる。

「おお、ということは途中で同胞を見つけたということか。してどこかな。東南アジアか。それとも印度か」

「は……。それが……」

「管轄は確かに我々海軍だが、域外人類の発見はこの国とそしてナカツクニ全体に関わる話だ。詳らかに報告せよ」

 顔色の悪い女は一呼吸置いて口を開いた。メモらしき紙を持つ手が微かに震えている。

「調査艦隊は出港後、南に下り、南シナ海周辺の各寄港地では人類生存の跡は発見成らず。そのままインド洋に抜けようとしたところ、マラッカ海峡にて原因不明の事故により、外洋調査船「天涯てんがい」及び補給船「方丈ほうじょう」が沈没。護衛の軽巡洋艦「訪遠ほうえん」も大きく損傷したため調査任務を断念し、帰投したとのことです……」

 海軍参謀長は天を仰いだ。

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